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線状降水帯による記録的豪雨で被害 「霞堤」や「放水路」のある愛知・豊川流域では何が起こっていたのか

関口威人ジャーナリスト
6月2日午後6時半頃の愛知県豊川市・金沢霞堤の様子(小野田泰博さん提供)

 6月早々、台風2号の影響で発生した線状降水帯が太平洋側の各地に記録的豪雨をもたらした。中でも愛知県は東部の豊橋市と豊川市に警戒レベル5の「緊急安全確保」が出され、豊橋市では車の水没によって1人が亡くなった。

 被害の出た豊川(とよがわ)流域は古くから河川の氾濫が繰り返され、江戸時代には「霞堤(かすみてい)」、戦後は「豊川放水路」などの整備が進められてきた地域だ。

 私は2年前にこの流域をたどるルポをまとめており、当時の取材先がこれまで以上の被害を受けたと聞き、再び現場を訪ねた。今回はいったい何が起こっていたのだろうか。

【関連記事】激甚災害時代の川と人の関係−−愛知・豊川の「霞堤」から考える(2021年7月11日)

12年前の大損害時より60センチ高く浸水

豊川の金沢霞堤の氾濫で水浸しになった小野田さんの自宅1階。出荷前の野菜や農機具の多くが被害を受けた(6月6日、筆者撮影)
豊川の金沢霞堤の氾濫で水浸しになった小野田さんの自宅1階。出荷前の野菜や農機具の多くが被害を受けた(6月6日、筆者撮影)

 6月2日、豊川市で農業を営む小野田泰博さんは午前7時頃から今回の雨が「ヤバい」と感じた。自宅裏の用水路を流れる水の勢いが、いつもよりかなり速かったからだ。

 小野田さんは市内に点在する畑で数種類の野菜を生産している。この日は午後に予定していた野菜の配送を急きょ午前中に早め、昼からは自宅1階のピロティ部分の農機具などを片付け始めた。しかし、午後1時ごろには「水があふれてきそうだ」と判断して2階に避難した。

 代々この場所に構える自宅は、豊川の堤防が切れる「霞堤」の目の前だ。小野田さんが農業を始めてから、これまで最も大きかった被害は2011年9月。1階が90センチ浸かり、野菜も農機具もすべてだめになった。

2011年に経験した90センチの浸水高さを左手で指し示す小野田さん。今回はさらに60センチ高い150センチまでの浸水跡があったことを右手のメジャーで示す(6月6日、筆者撮影)
2011年に経験した90センチの浸水高さを左手で指し示す小野田さん。今回はさらに60センチ高い150センチまでの浸水跡があったことを右手のメジャーで示す(6月6日、筆者撮影)

 しかし今回、1階の柱には150センチの浸水跡が残った。出荷前の野菜や資機材はぐちゃぐちゃに散乱。3日間を掛けてあるていど片付けたが、収穫や出荷が本格化するという時期に打撃は大きい。

 「ここまでは大丈夫だろうと上げておいた野菜のかごやトラクターも浸かってしまった。機械が使えないと耕作や収穫もできず、その損害をどこまで保険でまかなってもらえるか分からない」と小野田さんは肩を落とす。

 周辺のバラ農家などもビニールハウスが深く水に浸かり、大打撃を受けているという。

豊川放水路は越水せず、道路冠水は内水氾濫

 「霞堤」は元来、豊川の右岸(北西側)、左岸(南東側)の両岸にあった。しかし1965(昭和40)年、豊川の最下流に全長6.6キロの人工河川「豊川放水路」が整備されたのに伴い、右岸側の霞堤はすべて締め切られた。一方、小野田さんの住む金沢地区など左岸側4地区の霞堤は残され、豪雨時にはあえて左岸側をあふれさせて流域全体を守るという形になった。

 だが今回、数十台の車両が立ち往生した道路冠水や病院施設などの浸水は右岸側、豊川放水路の外側で起こった。

豊川流域での6月2日から3日にかけての被害状況や警戒レベルなどの対応を取材を基にまとめた。浸水イメージは実際の浸水範囲を表してはいない(Google Earthの画像に筆者が加筆して作成)
豊川流域での6月2日から3日にかけての被害状況や警戒レベルなどの対応を取材を基にまとめた。浸水イメージは実際の浸水範囲を表してはいない(Google Earthの画像に筆者が加筆して作成)

 一級河川である豊川を管理する国土交通省中部地方整備局豊橋河川事務所によれば、豊川放水路は普段ゲートを締め切り、豊川の水を流していない。しかし、ゲート付近の「放水路第一水位観測所」の水位が5メートルを超え、さらに上昇していたらゲートを開放する運用となっている。増水した豊川の水を速やかに下流の海へ放出するためだ。

 今回、2日午前10時には放水路第一観測所の水位が5メートルを超えて上昇したため、同事務所は関係機関に連絡した上で午前11時13分からゲート開放の操作を始めた

豊川放水路のゲート付近。増水時には青いゲートを上に開けて豊川(左に蛇行する河川)の水を海に向けて放出させる(6月6日、筆者撮影)
豊川放水路のゲート付近。増水時には青いゲートを上に開けて豊川(左に蛇行する河川)の水を海に向けて放出させる(6月6日、筆者撮影)

 これによって放水路には豊川上流からの水が徐々に流れ込んだ。ゲートが完全に開放されたのは午後零時33分。しかし、第一観測所の水位はその後も上がり続け、2日夜の午後11時にはこれまでの観測史上最高の9.74メートルに達した。

 それでも放水路自体は持ちこたえ、放水路からの越水はなかったという。にもかかわらず周辺で激しい道路冠水や浸水が起こったのは、放水路の外側に雨水が直接たまる内水氾濫だったからだとみられる。

豊川放水路近くで浸水した総合青山病院では、大雨から4日後も床を拭く職員らの姿があった(6月6日、筆者撮影)
豊川放水路近くで浸水した総合青山病院では、大雨から4日後も床を拭く職員らの姿があった(6月6日、筆者撮影)

 河川事務所が公表した各水位観測所の水位データを見ると、上流の「石田」観測所よりも下流の「当古(とうご)」や放水路第一の方が上昇時のカーブの膨らみが大きくなっている。今回は線状降水帯によって豊川の下流部に大雨が降り続けた災害だったと言える。

今回の豊川流域の水位変化を表すグラフ。上流の石田観測所(一番上のグラフ)よりも、下流の当古や放水路第一の方が上昇の度合いが大きかったことが分かる(国交省中部地方整備局豊橋河川事務所の資料から)
今回の豊川流域の水位変化を表すグラフ。上流の石田観測所(一番上のグラフ)よりも、下流の当古や放水路第一の方が上昇の度合いが大きかったことが分かる(国交省中部地方整備局豊橋河川事務所の資料から)

霞堤も下流側が先にレベル4発令状態に

 霞堤についても、本来は上流から下流へと順番に水をあふれさせ、最下流の城下町(現在は市役所周辺の市街地)を守るのが役割だが、今回は必ずしもそうではなかったようだ。

 霞堤では地区ごとに石田水位観測所の水位を基準として警戒レベル情報が発令される。上流の金沢・賀茂地区(主に豊川市)は石田の水位が5.7メートルを超えたとき、下流の下条(げじょう)・牛川(主に豊橋市)は同7.4メートルを超えたときがレベル4(避難指示)というのが現行の基準だ。

 しかし今回、下条・牛川(賀茂の一部も)には午後1時40分に豊橋市からレベル4が発令された。上流の金沢・賀茂に豊川市からレベル4が発令されたのは午後2時20分だったため、下流の方が早めの避難を呼び掛けられた形だ。豊橋市防災危機管理課は「石田の水位は基準を超えていなかったが、他地点の水位データなどからの総合的な判断で、早めの発令となった」と説明する。

下条霞堤地区は道路や田畑が広く冠水。水が引いた後は乾いた土埃があちこちで舞い上がっていた(6月6日、筆者撮影)
下条霞堤地区は道路や田畑が広く冠水。水が引いた後は乾いた土埃があちこちで舞い上がっていた(6月6日、筆者撮影)

レベル5が発令されない霞堤で死者

 一方、午後4時20分から30分にかけては、さらに下流方面で豊川とは別の水系になる梅田川・柳生川が氾濫したとして両流域にレベル5が発令された。

 雨はその後も降り止まず、午後10時22分には豊川市が市全域にレベル5を発令。しかしその直前の午後10時10分頃、下条地区では農地の中で水没した車が発見されている。乗っていた男性は車内に閉じ込められていた状態で、病院に運ばれたが死亡が確認された。

 下条地区では霞堤内の簡易水位計の観測状況などから、愛知県によって2日午後3時半頃から幹線道路の通行止めが行われていた。男性は通行止めの前に地区に入り込んだか、通行止めの範囲外の道路を走ってしまったとみられる。

 国や市によれば、霞堤は氾濫を前提にしているので、霞堤地区を対象にしたレベル5は発せられないという。まさに命にかかわる災害が発生しているという緊急安全確保の状況が伝わりにくいと言えないだろうか。

堤防が途切れる金沢地区の霞堤。ここから奥の農地や住宅地に水が引き込まれる(6月6日、筆者撮影)
堤防が途切れる金沢地区の霞堤。ここから奥の農地や住宅地に水が引き込まれる(6月6日、筆者撮影)

「住民の犠牲で成り立っていいわけがない」

 霞堤がなければ、もっと被害は広がっていた可能性もある。国は流域全体で治水対策を進める「流域治水」の中で霞堤の活用を促している。

 豊橋河川事務所の担当者は「霞堤は昔から下流を守るために造られたもので、効果がなくはない。ただ、今回のような災害でどれだけの効果だったかと言われると難しい」と話す。

 小野田さんも「霞堤をなくしていいとは思っていない」としながら、「それが住民の犠牲で成り立っていいわけがない。真っ先にあふれさせるところに正確な情報が来ず、被害を受けたときの補償や移転を含めた支援の話なども先延ばしにされてしまっているのが現状だ」と指摘する。

 複雑な地形に、複雑な歴史が絡む川。そこに災害は形を変えながら襲ってくることが今回、浮き彫りになった。一刻も早い検証と対策が求められるだろう。

浸水被害を受けた霞堤内の畑を前に複雑な心境を訴える小野田さん(6月6日、筆者撮影)
浸水被害を受けた霞堤内の畑を前に複雑な心境を訴える小野田さん(6月6日、筆者撮影)

【6/11 訂正】初出で「賀茂」を「加茂」と表記していましたので、図表を含めて訂正しました。

ジャーナリスト

1973年横浜市生まれ。早稲田大学大学院理工学研究科(建築学)修了。中日新聞記者を経て2008年からフリー。名古屋を拠点に地方の目線で社会問題をはじめ環境や防災、科学技術などの諸問題を追い掛ける。2022年まで環境専門紙の編集長を10年間務めた。現在は一般社団法人「なごやメディア研究会(nameken)」代表理事、サステナブル・ビジネス・マガジン「オルタナ」編集委員、NPO法人「震災リゲイン」理事など。

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