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あいちトリエンナーレ「表現の不自由展」、地元で抱いた違和感と危機感

関口威人ジャーナリスト
4日から「展示中止」の断り書きが掲げられた「表現の不自由展・その後」(筆者撮影)

大荒れの中で8月1日に開幕、3日で中止が決まった「あいちトリエンナーレ」の「表現の不自由展・その後」。地元に在住する者として、書くならきちんと展示を見てからと思っていたがなかなか都合が付かず、遅ればせながら4日午後に初めて会場を訪れた。「不自由展」の会場は閉鎖され、館内は全体として穏やかさを取り戻しているように見えた。しかし、モヤモヤした違和感、怒り、悲しみ、情けなさ、忸怩(じくじ)たる思いなどが後味悪く残る。それは何なのか、どうすればよかったのかを考えた。

「不自由展」は参加者の一つという位置付け

前置きが長くなってしまうが、まずは基本事項を確認したい。

あいちトリエンナーレは2010年から3年に1度開かれている国際芸術祭だ。瀬戸内や越後妻有など「アートによるまちおこし」が成功した流れも受け、“文化不毛の地”とも揶揄されてきた愛知・名古屋で新たな文化・芸術事業を起こそうとの狙いがあった。難解と呼ばれる現代アートをできるだけときほぐして街に開き、地元商店街や市民ボランティアが協力して“お祭り”にまで盛り立てた(第1回のテーマは「都市の祝祭」だった)。「官製イベント」ゆえの制約や限界は多いが、民間から選ばれる芸術監督がどう押し切って可能性を広げるかが毎回の見ものーーだと私には見えていた。

ちなみに私自身は2013年の2回目を地元フリーペーパーで取り上げる仕事があり、実行委員会や各作家にたっぷり取材をさせてもらった。4回目の今回は事前に取材の機会はなく、ちょっと距離を置いてながめていた。

感「情」が「情」報によって揺り動かされ、情報もまた感情によって変質する。それをうまく「飼いならす技」が本来のアート。芸術監督・津田大介氏の掲げた「情の時代」というテーマは、率直に今を捉えてうまいなと思った。そのメインテーマに沿って選ばれた国内外90組以上のアーティストが、美術展示をはじめ映像、音楽、パフォーマンスなどを10月14日の閉幕まで披露する。

メインの国際現代美術展は66組のアーティスト・団体の作品が愛知芸術文化センター(愛知県美術館、愛知県芸術劇場などの複合施設)を中心とした愛知県内4エリアで展示される。今回の「表現の不自由展・その後」は、名称から連想する展覧会そのものではなく、1組の「参加アーティスト」による一作品という扱いだ。通常の意味での企画展や併催展といった位置付けではない。

それがなぜここまで展覧会全体を動揺させたのか。1つは税金の使いみち、1つは少女像のインパクトと日韓関係のタイミング、そしてもう1つは「不意打ち」にあったと思う。

政治とは切り離した上で「不快」かどうか

今回の予算は全体で12億円ほどで、そのうち愛知県が約8億円、名古屋市が約2億円を負担し、文化庁から受ける予定の交付金は約8,000万円。残りの1億円余りをチケット販売などの事業収入と広告・協賛金などの収入でまかなう計画だ。

今回の展示と税金の使われ方には、すでにさまざまな議論が巻き起こっている。私なりに整理させてもらうと「政治」、正確に言えば「政策」とは切り離して表現の自由は守るべきだと思う。国や行政が認めていないもの、あるいは時の権力者が嫌がるものを公共イベントでも展示できないとなると、国策に対する健全な批判ができなくなる。反原発や反戦を訴える芸術はこれからも萎縮することなく展示を企画するべきだ(逆向きの思想についてももちろんだと思う)。

では、今回はどんな基準で判断されるべきだったのか。展示された愛知県美術館ギャラリーの利用基準には「鑑賞者に著しく不快感を与えるなど、公安、衛生法規に触れるおそれのある作品」が展示を制限されるという規定がある。快、不快はまさに感情や感覚の問題だ。結果的に今回の展示が鑑賞者に(それが多いか少ないかは問題でなく)著しく不快感を与える作品であったことは間違いない。

ただ、不快に感じるかどうかは場所やタイミングの問題もある。例えば2013年のあいちトリエンナーレでは、放射線の防護服を来た子どもをかたどったヤノベケンジ氏の「サン・チャイルド」がメイン作品の一つとして最後まで展示された。ほぼ同じ作品が5年後、福島市内の公共施設前に設置されたところ、市民から反対の声も多く撤去された。これは愛知と福島という場所の違い、5年という歳月を経て作品を受け止める感情が変わった例と言えるだろう。

「表現の不自由展」は、もともと2015年に東京で開催されたそうだ。当時の展示も「その後」を愛知で展示することも、私自身は地元に住んでいて開幕直前まで知らなかった。

今回プレスリリース一覧を見直して、この企画が公表されたのは今年3月27日、参加アーティストに47組を追加する発表の中でだったと知った。しかし、その資料に添えられたイメージは木版画のようなロゴのみ。説明文に「慰安婦」「戦争と天皇」「憲法9条」などの言葉はあるが、いわゆる少女像などの具体的な展示の説明はなかった。その後、ホームページでも展示のイメージは示されず、公式ガイドマップ(トリエンナーレには今のところ「ガイドブック」はなく、タブロイド判の「マップ」が会場などで配られている)にもロゴだけ。少女像のイメージが示された出品の詳細が見られるのは、トリエンナーレ本体とは別ドメインで作成されたウェブページだ。

津田氏は「趣旨については県庁の関係部署や施設側にも説明をして、展示を行う際のリスクについても事務局や県民文化局と調整してきた」と説明する。大村知事はきょう5日の会見で少女像などが展示される詳細を知らされたのは「6月半ば」で、その際にある程度の「希望要望は言った」が、最終的に津田監督に一任することを決めたという。一方、名古屋市によれば、愛知県から展示の連絡を受けたのは7月22日で、しかも厄介なことに河村たかし市長には開幕前日まで報告できていなかったという。

結局、少女像を含めた展示の内容は各マスコミも開幕直前になって報道する事態となった。政治的なスタンスは別にして、大半の市民にとってはまったくの不意打ちだったろう。これが痛恨の極みだったと思う。

なぜもっと早く詳しく公開できなかったか

なぜもっと早く展示内容の詳細を公表できなかったのだろうか。厳しい言い方になってしまうが、“お上”の一部の了承、あるいは黙認を取り付けたことでよしとして、後は市民(本来の意味の市民であろうがなかろうが)をどうコントロールするかを考えていたとすれば、それこそどちらを向いて仕事をしているのかという問題になる。

私は、少女像の展示決定はもちろん、搬入や設置段階でも公開してよかったのではないかと思う。これも2013年のトリエンナーレだが、福島第一原発のスケール感を表現した建築家の宮本佳明氏らは、開幕のはるか前から館内の至るところにテープ(原子炉の大きさや燃料棒の位置も示す)を貼って見せていた。こうした事前のプロセスを見せ、市民を巻き込む作品は今回も少なくはない。

少女像については、その段階で大小の抗議が押し寄せただろう。しかし、開幕後よりよほど安全管理をコントロールできただろうし、一般市民や来館者へのリスクも小さくできたはずだ。何より、その時点でどれだけの反響や反発があるかを把握でき、もしそこで「検閲」があったら、それも公にすることで「湧き上がる反感などを可視化」するという当初の目的は達成できたのではないか。そもそも卑劣なテロ予告や脅迫を絶対に許してはならず、屈してならないのは言うまでもない。だからこそ、展示のインパクトを溜め込んでいるうちに、日韓関係の悪化と同調して「不快」さを増長させてしまった今回の手法の是非は検証されなければならない。

展示方法についても、見たくない人は「見ないという選択ができる」よう配慮はされていたという。しかし、実際に展示スペースの構成を見ると、8階ギャラリー隅の1室を前後2つに分け、奥のスペースを「不自由展」としていたため、手前に設けられていた「CIR(調査報道センター)」の展示スペースは横切らざるを得なかった。3日までは壁一枚を挟んで奥から怒号が聞こえていたと想像できる。個人的にCIRの展示は今回一番見たかった。ヘッドフォンはかけるが、モニターの映像と音声をじっくり見聞きするもの(内容は痛烈なトランプ批判もあった)で、「不自由展」がその鑑賞を妨げるものになっていなかっただろうか。

愛知県美術館では2014年、写真展「これからの写真」で性器の写った写真があるとして警察が介入し、写真の一部を布で隠して展示を続けた一件があった。このとき、取材した当時の副館長は「見慣れない表現の作品として驚かれた人がいたのかもしれない。それを直接言ってくれればこちらも意図を説明するなどのコミュニケーションができた。しかし今回は突然、警察への通報という形になってしまった」と悔やんでいた。今回はこの件の教訓もあったはずで、警備員や電話回線も増強したというが、殺到する電話やSNSの反応は予想をはるかに超え、職員も「もうもたない」となってしまったようだ。さらに、本当なら「布をかけられた写真」のように社会的反応の痕跡を残した上で展示を続けるのが妥当だったと思う。それもできず、なすすべもなく壁で閉め切るのを誰が望んでいただろうか。

地元の誠実な職員やボランティアを何人も知っている。彼ら、彼女らには展示中止後も「その後」がある。テロまがいの脅迫は5日時点でもまだ続いているという。どうかこれ以上のヒートアップは避けた上で、冷静に今回の経緯と反省を検証してほしい。

ジャーナリスト

1973年横浜市生まれ。早稲田大学大学院理工学研究科(建築学)修了。中日新聞記者を経て2008年からフリー。名古屋を拠点に地方の目線で社会問題をはじめ環境や防災、科学技術などの諸問題を追い掛ける。2022年まで環境専門紙の編集長を10年間務めた。現在は一般社団法人「なごやメディア研究会(nameken)」代表理事、サステナブル・ビジネス・マガジン「オルタナ」編集委員、NPO法人「震災リゲイン」理事など。

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