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「3度目の正直」で6年ぶり2度目の優勝。北海道銀行・吉村紗也香が狙う「4度目の正直」はもちろん……

竹田聡一郎スポーツライター
MVPにも選出され、スポンサーの全農より道産和牛が贈られた(C)JCA IDE

 1992年北見市常呂町生まれの吉村紗也香は、9歳の時に体育の授業でカーリングを始める。

 中学時代、バスケットボール部ではスコアラーであり、高校からはバレーボールでレフトに入るなど優れた運動能力を発揮し、並行して続けていたカーリングでも10代の頃から結果を出してきた。

 常呂高校時代に既に日本選手権の表彰台に立ち、2009年にはバンクーバー五輪の代表決定トライアルに参加するなど、将来を期待される俊英だった。

 進学した札幌国際大学時代ではジュニア日本選手権で、ロコ・ソラーレの吉田知那美、吉田夕梨花、鈴木夕湖らを擁するチーム常呂を破るなどして3連覇を達成し、2013年の世界ジュニア選手権で銅メダルを獲得。同年秋に行われたソチ五輪のトライアルにも参加し、結果は4位だった。

 2度の五輪出場のチャンスを逃しながら、ジュニア時代の実績と高い技術が評価され、ソチ五輪5位の北海道銀行フォルティウスに14年に入団。小笠原歩(現日本カーリング協会理事)らと平昌五輪を目指す。

 ただ、2015年の日本選手権こそ優勝を果たしたが、16年は準優勝、17年は4位で平昌五輪出場を逃すと、18年も準優勝と勝ち切れないシーズンが続いた。

 その間に平昌五輪で銅メダルを獲得したロコ・ソラーレがカーリング界の主役となるが、吉村はその平昌五輪の会場であった江陵カーリングセンターに足を運んでいる。

「もちろん、同世代の選手が出ている日本の応援がメインですけれど」と前置きした上で当時の心情を語ってくれたことがある。

「五輪でもけっこう選手の声は通るんだなといった感想と同時に、やっぱり悔しさもありましたね。『4年後は自分が』という気持ちにもなりました。行って良かったです」

 平昌五輪明けの18/19シーズンにはチームの看板選手だった小笠原が第一線を離れて、現在の船山弓枝ー近江谷杏菜ー小野寺佳歩ー吉村というラインに固まったが、それでも19年と20年の日本選手権は連続で3位と悪い成績ではないにしろ、まだ頂点は遠かった。

「心が折れそうになったことは、正直あります」

 本人がそう教えてくれたことがあったが、18年優勝の富士急のスキップ・小穴桃里や19年優勝の中部電力のフォース・北澤育恵など次世代カーラーの台頭、強豪・北海道銀行という看板の重さ、時には吉村以外は全員オリンピアンであるチームメイトのキャリアですら、プレッシャーに化けた。

「特に、中部電力さんに大差で負けた時は自分の弱さを痛感しました。私が変わらないといけないと強く思いました」

 昨年、2020年の日本選手権で吉村率いる北海道銀行は中部電力に対し、ラウンドロビン(総当たりの予選)で1-8、準決勝で4-10というスコアでそれぞれ敗北している。吉村は敗退後の取材でも硬い表情で「アイスへの対応が遅れた」「キーショットを決められなかった」と言葉少なに敗因を口にするのみだった。

 元々、トークティブなタイプではない。記者からの質問には最低限の返答はするが、自分から進んで何か発信をすることはほとんどない。SNSもアカウントこそあるが「私の日常に人に見てもらうようなことは特に起こらないんですよね」と苦笑いするくらい、アクティブではない。

 それでも吉村がスキップとなった18/19シーズン、小野寺は「さやは最近、自分のことをよく話してくれるようになった」と彼女の変化を感じていたように、徐々にではあるが、チームの柱、勝負を決める一投を任された選手としての自我は育っていった。「そのエンドを、勝負を決めきる選手でいたい」と自分なりのスキップ像を見出し、殻を破ることを自身に課した。

 そのひとつがメンタルトレーニングだ。

 北海道銀行は昨年秋から、日本ハムファイターズなどの実績がある白井一幸をメンタルコーチとして迎えているが、吉村はそれより以前に個人的に、自身の判断で白井コーチとは別のメンタルコーチの指導を受けていた。主に呼吸法を学び、ショットルーティーンに組み込むと「ショットが安定して、自信が持てるようになった」と効果を実感している。

 プライベートでも昨年5月には札幌市内の一般男性と入籍するなど、充実の一途だ。「すごく応援してくれるので前向きになれる」と、競技に集中できる環境も整った。

 それらが結果に結びついた。

 今年の日本選手権では、ラウンドロビン、プレーオフでロコ・ソラーレに連敗するも、逆に中部電力には2連勝し決勝に駒を進めた。3たびロコ・ソラーレとの対戦となったが「2敗していますが、3度目の正直でしっかり勝ちたい」と笑顔を見せる余裕もあった。

 結果的には2度のリードを奪われながらも、最終エンドで逆転勝利。

「最初から最後までしっかり集中できた」

 吉村はそう試合を振り返り、北京五輪までの道が繋がったことに安堵した。

 両チームは北京五輪代表候補の座を9月に稚内で行われる五輪代表候補トライアルで競い合うことになる。

「苦しい時期もあって(自信の進退について)何度も悩んだり考えたりはしましたが、いつも最後は『やっぱりオリンピックに出たい』という結論に辿り着くんです」

 苦しい時間は長かったが、トンネルは抜けた。あとは勝つだけだ。

 バンクーバー、ソチ、平昌、北京。吉村にとって五輪挑戦は4回目となる。「4度目の正直」の実現なるか。それは殻を破ることに成功した、寡黙だが内なる炎を持つスキップの一投にかかっている。

吉村紗也香(よしむら・さやか)

1992年1月30日、北海道北見市常呂町出身。小学4年生でカーリングを始め、ジュニア時代からトップカーラーに名を連ねる。2014年から北海道銀行フォルティウスに加入し、18/19シーズンからスキップを担う。好きな食べ物は寿司とカステラ。北海道銀行フォルティウス

スポーツライター

1979年神奈川県出身。2004年にフリーランスのライターとなりサッカーを中心にスポーツ全般の取材と執筆を重ね、著書には『BBB ビーサン!! 15万円ぽっちワールドフットボール観戦旅』『日々是蹴球』(講談社)がある。 カーリングは2010年バンクーバー五輪に挑む「チーム青森」をきっかけに、歴代の日本代表チームを追い、取材歴も10年を超えた。

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