「絶対に勝てない相手はいないと思っています」日本のエース・藤澤五月から、世界のFujisawaへ

今季も多忙なシーズンだったが「プレー自体が楽しい」とも(著者撮影)

 1979年あるいは80年生まれのサッカー選手には小野伸二や稲本潤一ら「黄金世代」と呼ばれる学年がある。

 野球も同様で1981年の松坂世代や、88年生まれのハンカチ世代など。呼称は違えど、才能溢れる選手が集う一時代がスポーツには、まま存在する。

 女子カーリングでいえば、1991年生まれの選手がそれに当たる。ロコ・ソラーレでは藤沢五月と吉田知那美と鈴木夕湖、北海道銀行フォルティウスの吉村紗也香と小野寺佳歩、富士急の石垣真央。錚々たるメンバーだ。いずれも日本選手権で優勝経験があり、世界選手権のアイスを踏んだ日本を代表するカーラーだ。

 ジュニア時代からお互いに切磋琢磨するライバルであったが、日本ジュニアなどの大会を制してきたのは、やはり藤澤だった。世界ジュニア選手権に出場するなど育成年代から世界に触れてきた。高校卒業後に中部電力に加入するために軽井沢に活動拠点を移すが、そこで師事する長岡はと美コーチへの第一声も「世界と戦えるカーリング選手になりたい」だったという。

 ただ、中部電力時代に日本選手権を制し、2013年には世界選手権初出場を果たしたが、結果は7位。ソチ五輪への切符は小笠原歩率いる北海道銀行に奪われるなど、思うような結果が出ない時期もあった。

 ロコ・ソラーレ加入後の2016年、自身2度目の世界選手権で日本カーリング史上世界大会で初のメダル獲得という快挙を達成するが、藤澤はその年のグランドスラム出場に際して以下のように語っている。

「ジャパンと言えばチーム小笠原(Team Ogasawara/北海道銀行)であったり、他のチームの名前が出てくることも多いので。チームジャパンと言えばFujisawaと言ってもらえるように頑張りたいです」

 それから3年が経った。平昌五輪で日本カーリング念願のメダルを獲得すると、藤澤五月の名を列島が知った。本人は「特に変わったことはないけれど、テレビ観ててクイズ番組の正解が『藤澤五月』だった時に、『おぉ』とちょっと思いました」とスターになった自覚は希薄だが、道を歩けば声をかけられるし、店に入ればサインをねだられる日々だ。

11月のアジア・パシフィック選手権(韓国・江陵)にて。韓国のファンや関係者からもサインや写真をねだられた(著者撮影)
11月のアジア・パシフィック選手権(韓国・江陵)にて。韓国のファンや関係者からもサインや写真をねだられた(著者撮影)

 そしてそれは国内に限ったことではない。彼女がかつて願ったようにFujisawaの名前は世界に響いた。特にカーリング大国のカナダでは影響が大きい。彼女は今季、嬉しかったこととして以下のエピソードを挙げてくれた。

「2017年、ブライアー(男子のカナダ選手権)を観にセント・ジョーンズに行ったんです。飛行機がキャンセルになって空港に1泊したんですけど、翌日の飛行機でたまたま隣になったおばさまがたのグループと一緒になって」

 日本人の女の子が一人、ブライアー観戦に行くのは酔狂と言っていい旅だろう。だからこそ本場のファンと意気投合して「じゃあ一緒に観よう」という流れになり、藤澤はおばさまグループに同行した。既に世界選手権で銀メダルは獲っていたのだが、Fujisawaの名前はおばさまグループにはまだ届いてなかったようだ。

「カナダってやっぱり男子のファンが多いんですよね。でも、『覚えておきたいから名前教えて』って言ってくれたので日本でカーリングやっていることと、名前を伝えました。今、考えれば連絡先とかSNSのアカウントとか交換すれば良かったんですけれど、その時はまだ英語も全然、できなくて。いつかまた会えたら嬉しいなとは思っていました」

 そして今季、再会を果たした。4月にトロントで開催されたグランドスラム「プレーヤーズチャンピオンシップ」の会場にそのおばさまグループの数人の姿があったらしい。

「来てくれて『久しぶり!近いので観に来たのよ。ずっといたのにあなた気づいてくれなくて』って声かけてくれて。めっちゃ感動しました。嬉しかったです」

 また、そのプレーヤーズチャンピオンシップでは各チームの過去の映像などが会場で紹介された。平昌五輪で金メダルを獲得したスウェーデン代表(Team Hasselborg)との準々決勝前に、前述の藤澤の「チームジャパンと言えばFujisawaと言ってもらえるように」というインタビューが英字幕と共に流れると、Team Hasselborgのメンバーが「そういう風にもう、なっているよ」と声をかけてくれたらしい。

トロントで開催されたグランドスラムの最大タイトル「プレーヤーズチャンピオンシップ」では写真のように藤澤らの映像が会場内の巨大スクリーンで紹介された(著者撮影)
トロントで開催されたグランドスラムの最大タイトル「プレーヤーズチャンピオンシップ」では写真のように藤澤らの映像が会場内の巨大スクリーンで紹介された(著者撮影)

 しかし、名実共に世界レベルとなった藤澤とロコ・ソラーレだが、そのぶん、国内外のチームからのマークは厳しくなった。

「あれ? って最初に思ったのはちょうど平昌オリンピックくらいです。3位決定戦でミュアヘッド(イギリス代表)のチームがかなりディフェンシブに戦ってきたんですよね。オリンピック終わりの去年のこの大会でも、私たちに対する戦い方がどのチームも似ていて、研究されている実感はありました」

 カーリングにもデータ化の波は押し寄せてきている。それを集めてうまく使うことが今後、世界一へ向かうチームの鍵の一つだろう。

 まずは自分たちがどんなカーリングをしたいか、そう藤澤は言う。

「これまで自分たちらしい試合、笑顔でプレーしているとか、そういう(チームカラーのようなもの)のはもともとあったと思うんですけれど、こういう作戦を採るのがロコ(・ソラーレ)だよね、チームFujisawaだよねというのが、あまりなかった。今季はそれを見つけるシーズンでもあって。特に海外のトップチームと対戦するにあたって、自分たちのやりたい作戦プラス、対戦相手のスタイルを分析して戦ってきました。データにとらわれ過ぎてもダメなんですけど、うまく活用できれば。今はどのチームに対しての戦い方もだいぶ把握できました。もちろん、今度はその対策に、相手も対策してくるんでしょうけれど、しばらくはその繰り返しになるのかな、とは思います」

 世界から追われる立場になりながら、日本選手権では中部電力に完敗を喫した。来季は国内外でのチャレンジが続く。スケジューリングとピーキングという意味では難しいシーズンになりそうだが、チームと藤澤に悲観したところはない。むしろ歓迎している節もある。

「今回の日本選手権で国内で勝つのが簡単ではなくて、日本ってこんなにレベルが上がっているんだなっていうのをつくづく感じました。どこが世界選手権に行っても戦えると思います。だから次のオリンピック(2022年北京)に日本が出られないことはないとも思います。それはカナダだったり、スイスだったりも似たような状況で。強豪国に日本も近づいているのはいいことだなと思っています。スケジュールについてはこれからミーティングしますが、国内で日本のチームと試合するのも大事ということを今シーズン、感じたので、まず国内の2大会に出場する予定です」

 藤澤の語る「国内の2大会」は8月1週目に札幌で開催されるどうぎんカーリングクラシックと、翌週に地元・常呂で行われるアドヴィックスカップ(仮)のことだ。既に前者はワールドツアーの正式タイトルに名を連ねていて、後者も今季からツアーに組み込まれる予定だ。

 北京五輪へのレースも始まる。2020年2月(場所未定)に行われる日本選手権の結果は国内選考に関わり、その日本選手権を制したチームが出場する世界選手権(2020年3月/カナダ・プリンスジョージ)は日本代表としての出場枠を勝ち取る国別のオリンピックの予備戦だ。

 落とせない試合も増えてくるが、それでもチームは来季は根本的な氷の滑り方、身体の使い方を見直し、難易度の高い新たなトレーニングも取り入れる方針だという。藤澤の相棒である吉田知那美はかつて「挑戦をやめると、世界ではすぐに取り残される」と語っていたことがあったが、その言葉どおりロコ・ソラーレは進化を求め続けるだろう。

 最後に藤澤に来季の世界一への展望を聞いた。

「頑張ります。絶対に勝てない相手はいないと思っていますから」

 91年生まれのカーリング黄金世代、その旗手の言葉はシンプルで力強い。Fujisawaの行進はまだ始まったばかりだ。

今季最終戦となった北京でのW杯グランドファイナルにて。試合後に軽く円陣を組んでメンバー内で短く言葉を交わしていた(著者撮影)
今季最終戦となった北京でのW杯グランドファイナルにて。試合後に軽く円陣を組んでメンバー内で短く言葉を交わしていた(著者撮影)

ふじさわ・さつき

1991年5月24日北見市出身。5歳でカーリングを始め、ジュニア世代から結果を出し、中部電力時代の2011年からは日本選手権4連覇を果たす。15年にロコ・ソラーレに加入し、16年の世界選手権での銀メダル獲得の原動力となった。昨季からミックスダブルスにも挑戦し、日本選手権を連覇するなど活動の幅も広げている。趣味はアロマ。好きな食べ物は白米で、一番合うおかずは生姜焼き。