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カーリング女子新時代へ。五輪銅メダルを「成功とは思っていない」と言い切る本橋麻里の胸中とは!?

竹田聡一郎スポーツライター
写真:ロイター/アフロ

カーリングフィーバーを起こした17/18シーズン

「待ちに待ったオフ。でもそれも、しっかり今季はオンがあったから。次のシーズンに向けてこれから、それぞれがどんなオフを過ごすか大事になると思う」

 17/18年の五輪シーズンを本橋麻里はそう締めくくった。

 充実のシーズンでしたか、と記者に質問されるとイエスともノーとも答えずに、静かに「とにかく濃厚でした」と笑みを浮かべる。

5月のPACC代表決定戦。この勝利で来季もLS北見は日本代表に。(撮影:竹田聡一郎)
5月のPACC代表決定戦。この勝利で来季もLS北見は日本代表に。(撮影:竹田聡一郎)

 17年、ロコ・ソラーレ北見は5月にシーズンを始めた。まずはオンアイスと陸上トレーニングを同時にこなし、長いシーズンに備える。初の実戦となった7月のアドヴィックス杯(北見市)では準優勝、続くどうぎんカーリングクラシック(札幌市)では優勝。9月の平昌五輪トライアルを制すとすぐカナダに飛び、ワールドツアーに参加した。欧州での3大会をはさみカナダに戻り、さらに日本に一時帰国した後、11月上旬には豪州で開催されたパシフィック・アジア選手権に出場し、そのまま三たびカナダへ。初優勝した12月の軽井沢国際も合わせると五輪までにツアー9大会で6度のクオリファイ(プレーオフ進出)を果たしている。これは歴代の日本チームでも最高レベルの好成績だ。

 平昌五輪で銅メダルを獲得すると、テレビ出演などをこなしながら、3月には藤澤五月と吉田姉妹はミックスダブルスの日本選手権に参加し、さらに4月にはツアーファイナルのグランドスラム2大会に招待され、ここでも日本のチームとして初のクオリファイという快挙を達成する。

 LS北見の名前は列島を駆け巡り、彼女たちにはマネージメント会社がついた。もぐもぐタイムで話題を呼んだ地元の銘菓「赤いサイロ」は品薄になり、各地のカーリングホールは体験予約の電話が鳴り止まない。そんなフィーバーを起こした。

話題になった「もぐもぐタイム」の果物や補給食を用意するのも本橋の仕事だった。(写真:長田洋平/アフロスポーツ)
話題になった「もぐもぐタイム」の果物や補給食を用意するのも本橋の仕事だった。(写真:長田洋平/アフロスポーツ)

5ロック制とショービジネスとしてのカーリング

 しかし、その中心にいた当の本橋にシーズンを振り返ってもらうが、「充実」という言葉に肯首せず「濃厚」という表現を用いた。そして「多くの人に声援いただいて本当に嬉しかったし、力をもらった」としながらも「全然、成功だとは思っていない」と言い切った。

 流行語を生み、テレビ出演や取材のオファーは五輪から半年が経過しようとしている現在も引きも切らない。それでも彼女は「カーリングの可能性はまだまだ先がある」そう言う。

 来季(18/19年シーズン)、カーリングは5ロック時代を迎える。

 グランドスラムなど一部の大会では既に導入されていたこの新ルールだが、これまでは両軍のリードが投じる4つの石は、ハウス内に入らない限りテイクは禁止だった。つまりガードストーンをテイクできない、フリーガードゾーンと呼ばれるルールだ。

 その4投に加え各エンドで先攻チームのセカンドの1投目、つまり5ロックまでハウス外のテイクが禁止となる。これによって石はハウスの中に溜まりやすく、複数得点契機とスリルに満ちたエンドが増えるだろう。

昨年9月のカナダ遠征。コーチボックスでは隣のJDコーチから「大切なことをたくさん教わった」(撮影:竹田聡一郎)
昨年9月のカナダ遠征。コーチボックスでは隣のJDコーチから「大切なことをたくさん教わった」(撮影:竹田聡一郎)

 本橋はこの5ロックを例に挙げる。

「5ロック制もそうなんですけど、やはりショービジネスとしてカーリングをもっとも強く捉え、発展させていこうと仕掛けるのはいつもカナダなんですよね。カナダは選手と協会、スポンサー、メディアが、それぞれ対等にアイデアを出し合って、しっかり議論できている。それってすごい健全なことだと思うんです」

 そして日本のカーリングの可能性を示し、最後にはいたずらっぽく笑った。

「今後はカナダをはじめとした海外のカーリングを、文化としてもスポーツとしても改めて見つめ直したい。日本代表としても、ロコ・ソラーレとしてもそれぞれの色でどういう風にワイワイやっていけるかしっかり考える機会が今で、2歩くらい前進できるチャンスに置かれていると思うんです。まだ秘密ですが色々、考えているのでしばらくお待ちください」

ロコ・ソラーレ創設メンバーとは今も家族同然の付き合いを続ける。(撮影:竹田聡一郎)
ロコ・ソラーレ創設メンバーとは今も家族同然の付き合いを続ける。(撮影:竹田聡一郎)

「カーリングが人生ではなく、人生の中にカーリングがある」

 彼女には忘れられない光景がある。

「ノルベリさんが、ずっと女王だったんです」

 06年トリノ、10年バンクーバーの両五輪で金メダルに輝いたスウェーデンのスキップ、アネッテ・ノルベリのことだ。

アネッテ・ノルベリ。「なんていうか、ずっと女王なんです、彼女」と本橋は憧れの人をそう表現する。(写真:ロイター/アフロ)
アネッテ・ノルベリ。「なんていうか、ずっと女王なんです、彼女」と本橋は憧れの人をそう表現する。(写真:ロイター/アフロ)

「もちろん、アイスに乗っている時は真剣勝負ですから、例えばバンクーバーなどではその緊張感がプレッシャーになってしまう部分もありました。でも、ノルベリさんはアイスを離れると選手村でものすごいリラックスしていて、誰よりも五輪を楽しんでいたように見えました。その様子を見て『ああ、勝てないな』と痛感したんです」

 カーリングで勝つためには競技経験だけでは足りない。本橋が口にする「カーリングが人生ではなく、人生の中にカーリングがある」は、そのノルベリの佇まいを見て自然に溢れた感情だろう。

 そしてそれを今、後輩たちに伝えようとしている。

日本カーリングの父、ウォーリー・ウルスリアクさんと。「人と話をするのが年々、楽しくなっている」(撮影:竹田聡一郎)
日本カーリングの父、ウォーリー・ウルスリアクさんと。「人と話をするのが年々、楽しくなっている」(撮影:竹田聡一郎)

「トレーニングはハードにこなす必要はありますが、その中で自分の人生を削り、擦り切らせるように生きるのではなく、人生を豊かにするツールとしてカーリングを活用してほしい。スポーツに、五輪に振り回されるようなことがあってはならない」

 それが本橋が、06年のトリノ五輪からの12年間で得たひとつの教訓で、彼女の示す「成功」とはノルベリのようなカーラーが増え、カーリングという競技自体が、その周辺の人々が精神的に豊かになるという、究極の目標なのかもしれない。

2022年北京五輪に向けてカーリング界全体の前進を

 多くのカーラーにとって次に目指すのは2022年の北京五輪だ。18/19年シーズンはこのフィーバーもひと段落し、札幌、山中湖、軽井沢、御代田、青森などをホームリンクとするチームがそれぞれ、4年後を目指して独自の強化策をじっくり続けることになるだろう。

「新しいチームも出てくるし、世代交代もあると思います。前は自分のチームが勝てばいいやと思っていた部分はあったけれど、彼女たちが活躍できる環境を作っていくのも私の役目なのかなと思えるようになりました。単純に4強、5強あったら面白いじゃないですか。例えば、日本選手権で優勝した富士急の(小穴)桃里ちゃんは、『北京を目指します』と言い切った。あれはすごいこと。ちゃんとチーム内で話をしてないと、ああやってスキップが(メディアの前で)発言できない。いいライバルになりそうだなと感じました」

富士急をはじめ、「ライバルチームと切磋琢磨してカーリング界が発展していけばいい」(撮影:竹田聡一郎)
富士急をはじめ、「ライバルチームと切磋琢磨してカーリング界が発展していけばいい」(撮影:竹田聡一郎)

 そう他チームのエースを讃える彼女は、どこか嬉しそうだ。

 6月26日、チームの公式HPで自身の今季について「チームの運営を始め、選手が競技選手に集中できる環境環づくりに携わります」との発表をした。本人が「まだ秘密ですが色々、考えている」と語っていた第一弾、と言ったところか。

思いがけず行動がシンクロするメンバーと、2度目の五輪を目指す。(撮影:竹田聡一郎)
思いがけず行動がシンクロするメンバーと、2度目の五輪を目指す。(撮影:竹田聡一郎)

 また、本橋はこの6月で31歳の誕生日を迎えた。既にオフに入っていて「放浪中」だと言う吉田知那美は、自身のインスタグラムで「#麻里ちゃん」のハッシュタグと共に「とても尊敬する人。一緒にいると優しくなれる人。年々面白くなってる人」と、祝福のメッセージを添えたが、年々、面白くなっていく彼女の次なる仕掛けはどのようなものだろうか。

 この夏から新たなステージへ向かう。その先頭で、あるいは最後尾で本橋麻里は、多くの才能と可能性を見守り続けてゆくのだろう。引き続き、彼女の動向に注目したい。

アイスには乗らずとも、チームの中心にはいつも本橋の姿が。(写真:長田洋平/アフロスポーツ)
アイスには乗らずとも、チームの中心にはいつも本橋の姿が。(写真:長田洋平/アフロスポーツ)

【この記事は、Yahoo!ニュース個人の企画支援記事です。オーサーが発案した企画について、編集部が一定の基準に基づく審査の上、取材費などを負担しているものです。この活動は個人の発信者をサポート・応援する目的で行っています。】

スポーツライター

1979年神奈川県出身。2004年にフリーランスのライターとなりサッカーを中心にスポーツ全般の取材と執筆を重ね、著書には『BBB ビーサン!! 15万円ぽっちワールドフットボール観戦旅』『日々是蹴球』(講談社)がある。 カーリングは2010年バンクーバー五輪に挑む「チーム青森」をきっかけに、歴代の日本代表チームを追い、取材歴も10年を超えた。

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