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人間として多くを学び、コーチとしての礎となった桜宮での日々③。福島ファイヤーボンズ・森山知広

青木崇Basketball Writer
写真提供/B.LEAGUE

 2012年度3学期の学年末テストが終わると、桜宮高バスケットボール部のコーチとなった森山知広は、体力回復とバスケットボールを楽しむことを重視した練習を2週間ほど続けた。しかし、男子のキャプテンを亡くしたことによる精神的なダメージは、子どもたちの中から簡単に消えるわけではない。ただし、彼らに寄り添うという点で、コミュニケーションの取り方には気を使っていた。

記憶や思い出は上書きできる!

 衝撃的な事件は、桜宮高バスケットボール部に在籍していた子どもたちの記憶にずっと残るかもしれない。しかし、森山は次のような言葉を部員に投げかけることで、前に進むきっかけを作ろうとした。

「バスケットで起きた問題、バスケットで感じたダメージを抱えたまま人生は進んでいく。でも、バスケットで起きたこと、記憶や思い出を上書きすることはできるから、コートで起きたバスケットの今のイメージをいいものに変えてあげてあげたい」

 記憶と思い出の上書き。これは、森山の部員に対するバスケットボールを嫌いになってほしくないという思いから来たもの。一般受験に合格してせっかく桜宮高に入ってきたのに、大学入試や就職時の面接で事件が起きた時の部員と言われることを彼らは覚悟しなければならない。それでも、前に進んでいかなければならないことの重要さを部員たちに辛抱強く伝える。3歳の息子を持つ父親になっていた森山は、部員自身が親になった時、子どもができたときに違った形で言い伝えることができれば、いい人生経験になるという意味を込めた言葉だった。

 当時1年生で現在香川ファイブアローズでプレーする森田雄次は、森山の存在によってチームが前に進めるきっかけになったことを認める。

「確か活動が3月〜4月だったと思うんですけど、そこからインターハイ予選で僕たちは1回戦から出ました。そこに向けて時間がないということで、森山コーチからスウィッチを入れていただいたというか、そこに向けて頑張ろうと。亡くなった先輩のためにも、インターハイ出場を目標にして頑張ろうということで考え方を変え、その人のためにということでバスケットのスウィッチが入ったかなと思っています」

今季プロ2年目を迎える森田雄次 写真提供/B.LEAGUE
今季プロ2年目を迎える森田雄次 写真提供/B.LEAGUE

向き合い方が難しかった保護者たちの変化

 森田が「人を惹きつける能力みたいのがある」と話したように、森山は短い時間で部員と良好な関係を構築した。しかし、保護者との向き合い方には注意しなければならなかった。桜宮高はこういう(体罰がある)ところと理解したうえで保護者が子どもを入学させているため、どうしてここまで大きな問題になってしまったのだろうと感じていた人も多かったからだ。

 しかし、前コーチを悪く言う人がだれもいなかったことに、森山は強い違和感を持っていた。と同時に、実績のあるコーチに対して保護者が盲目になっていたのでは? と思っても不思議ではない。

「兄弟姉妹で桜宮というのが多いんです。僕が見ていた代もお兄ちゃんが卒業生とか、お姉ちゃんがいたとか、兄弟で目指すというのがありました。保護者からすると、大学進学といったことでも恩恵を受けている。全国大会に出ている代とか普通にあったので、絶対的な信頼感があったんでしょう。コーチは保護者との関わりがうまかったようで、保護者会の組織もしっかりしていました。そういったところのマネジメントはしっかりされていたのかなという気がします」

 コーチによる体罰と暴言の連続でキャプテンが自殺したという事件だけに、しばらくの間はニュースやワイドショーで繰り返し報道されていた。保護者からすれば、子どもが精神的にダメージを受けていることを家で認識するとともに、保護者自身も周りからいろいろ言われ、悩みを抱えていたことは想像できる。

 森山が桜宮高のコーチを引き受けた直後に今までのやり方から180度転換しなければならないと実感したように、保護者たちも意識や感覚を変えることを迫られていた。そんな彼らの助けになったのは、森山の息子である。

「土日の試合に妻と長男が一緒に応援しに来てくれて、生徒たちも当時3歳だった長男を可愛がってくれて、保護者たちも僕以外の家族を迎え入れてくれた。試合会場に来たとき、部員たちが一緒に遊んだりしてくれました。女子の試合では、女子のメンバーがすごく面倒を見てくれましたし、男女で試合会場が違っても保護者会がよくしてくれたのです」

 部員や保護者とのつながりを強くするマスコットボーイとして、森山の息子は桜宮高バスケットボール部にとって貴重な存在になっていた。

Basketball Writer

群馬県前橋市出身。月刊バスケットボール、HOOPの編集者を務めた後、98年10月からライターとしてアメリカ・ミシガン州を拠点に12年間、NBA、WNBA、NCAA、FIBAワールドカップといった国際大会など様々なバスケットボール・イベントを取材。2011年から地元に戻り、高校生やトップリーグといった国内、NIKE ALL ASIA CAMPといったアジアでの取材機会を増やすなど、幅広く活動している。

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