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人間として多くを学び、コーチとしての礎となった桜宮での日々②。福島ファイヤーボンズ・森山知広

青木崇Basketball Writer
写真提供/B.LEAGUE

 大阪市教育委員会の要請を受けた大阪エヴェッサの指示によって、桜宮高のコーチとなった森山知広。学校側との打ち合わせでいろいろなことの引き継ぎをしているうちに、29歳の若者にとっては「これは大変だな」と実感する大きなチャレンジであると同時に、自分が成長するチャンスだと思えるようになっていく。

桜宮高では男女57人の部員全員の名前を覚えることからスタート

 2013年2月14日に桜宮高の部員たちと会うまで、森山にはなんとなくお客さまのような感覚があったというが、記者会見でそんな思いは一瞬にして消えた。コーチとして最初に何をしなければならないかと考えた結果、部員57人全員の顔と名前、女子部員はコートネームも一緒に3日間で覚えることを決意。精神的に大きなダメージを受けた子どもたちに対し、こうすることが最善のスタートになると思えたからだ。

「57人の名前を覚えることと、短い時間でも全員と話すこと、声をかけることは絶対にやろうと思いました。それだけは何があっても毎日やろうと。そういうところからしか、始められない。理解はできないかもしれないけど、寄り添えるんじゃないかと。任された以上寄り添おうと思って、その中で理解できてくることだったり、お互いの信頼関係が生まれてくればいいかなという感じでした」

 当時1年生だった森田雄次(香川ファイブアローズ)は、森山の第一印象を「博多弁(出身地が北九州市なので北九州弁)の眼鏡かけた格好いいお兄さんが来たなと思いました」と振り返る。大阪市教育委員会から体罰や暴言に頼らない指導をしてほしいという指針の下、チームとしての練習は、期末テストが終わった後の3月にスタートした。

 事件発覚から2か月以上体を動かしていない以上、森山は部員たちの体力を戻すことを最優先し、ストレッチやウォームアップといったベーシックなことしかやらなかった。これを2週間ほど続けたわけだが、そうした理由を部員にしっかりと伝え、理解してもらおうという姿勢を見せたのである。

「子どもたちは無茶苦茶やりたいはずですけど、それでも説明をしました。いきなりやってインターハイや最後のシーズンのチャンスを逃すとか、大学進学に影響するようなケガをさせたくないから、時間をかけて少しずつコンディションを戻すという方針を伝えました」

 そのベーシックな練習についても、森山は部員たちに“バスケットボールは楽しい”と思えるように工夫する。タイムトライアルのボール運びを行い、今日はだれが1位だったという競争心を持つようにさせる一方で、遅かったからといって罰走といったペナルティを与えることはない。森山はグループごとへの声かけを頻繁に行うことで、部員たちの信頼感を得ていったのだ。森田はこう語る。

「すごく馴染むのが早かったです。僕ら男子よりも女子の心を掴むのが難しいと思うんですけど、そこに関してはルックスもあるし、森山コーチが言っているユーモアであったりとか、すごく人を惹きつける能力みたいのがありました。すぐに全員森山コーチの虜になっていたなという風には感じています」

桜宮高から関西大に進み、昨季香川でプロデビューを果たした森田雄次 写真提供/B.LEAGUE
桜宮高から関西大に進み、昨季香川でプロデビューを果たした森田雄次 写真提供/B.LEAGUE

精神的に大きなダメージを負った子どもたちとしっかりと向き合う

 森山による指導の下、3月から練習を再開した桜宮高。だが、「なかなかバスケに集中できないというか、自分たちだけバスケをやっていいのかという葛藤がありました。亡くなった先輩がいる中で自分たちが好きなバスケットで活動し続けていくことに対して、悩みはすごくありました」と森田が話したように、部員たちの心境は複雑だった。

 森山は精神的に大きなダメージを負っていた子どもたちのことを考慮し、自分の気持に正直になって、“やれないのであればやらなくてもいい”というアプローチをしていた。部員によってはプレーをすると嫌なことを思い出したり、体育館に入ることさえできない子もいたくらい。そういったことを打ち明けてくれた部員が存在することを理由に、森山は練習に参加することを決して強制しなかった。

 一方、練習に参加できない精神状態であっても、部活の時間に体育館に来て、声かけやタイマー、水の準備といったサポートをしてくれる部員がいた。見ているうちにだんだんプレーしたくなったという女子部員まで出てきたことは、森山が子どもたちの意思を最大限尊重した結果と言える。

「心の状態に寄り添って、こちらが対応するという感じでした。定期的に子どもたちと学校にカウンセリングが入っていたんです。ただ、僕はそのカウンセラーと情報共有をしていないので、僕が言っていないことをカウンセラーが言っているかもしれないし、カウンセラーが言ってないことを僕が言っているかもしれないけど、“学校側は強制しません”、“裏で情報交換するといったことはしない”ということで、こっちはそのままご自身のやり方で進めてくださいという感じでした。そのカウンセラーとの面談で途中で練習を抜ける子がたくさんいたので、そういったことも全然強制せずに“行っておいで”と言いましたし、帰ってきても練習が続いていればそこから参加するという風になっていました」

Basketball Writer

群馬県前橋市出身。月刊バスケットボール、HOOPの編集者を務めた後、98年10月からライターとしてアメリカ・ミシガン州を拠点に12年間、NBA、WNBA、NCAA、FIBAワールドカップといった国際大会など様々なバスケットボール・イベントを取材。2011年から地元に戻り、高校生やトップリーグといった国内、NIKE ALL ASIA CAMPといったアジアでの取材機会を増やすなど、幅広く活動している。

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