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Jr.ウィンターカップ準優勝のNLG INFINITY。チームの原点は“子どもたちの可能性は無限”

青木崇Basketball Writer
ジュニアウィンターカップでは見事準優勝 写真提供:無限NO LIMIT

 中学生でダンクを軽々叩き込むだけでなく、ブロックショットがゴールテンディングを吹かれた川島悠翔は、15歳以下の日本一を決めるJr.ウィンターカップで強烈なインパクトを残した。川島が絶対的なエースだったとはいえ、群馬県代表のNLG INFINITYは初戦で長年全国屈指の強豪と呼ばれている西福岡REBIRTHを撃破したのをきっかけに、次々と接戦を勝ち抜いて決勝進出を果たす。

 秋田代表の城南中に敗れての準優勝に終わったものの、NLG INFINITYの成功は時間をかけて構築された選手とコーチングスタッフの一体感によるところが大きい。決して川島のワンマンチームではなかった。チームを指揮した舘野拓也ヘッドコーチとアシスタントコーチとしてベンチに入った堀田享代表は、声を揃えてJr.ウィンターカップをこう振り返る。

「夢のような時間でした。本当に楽しかったです」

無限NO LIMITという育成組織がベース

 NLG INFINITYは元々、2010年に無限NO LIMITとして栃木県足利市と小山市、群馬県伊勢崎市をベースに、堀田代表と大学の先輩にあたる今里貴彦氏が一緒に創設したクラブだ。一昨年まで同一チームとして活動していたが、Jr.ウィンターカップを目指すチームとして群馬県の中学に通う子はNLG INFINITY、栃木県の中学に通う子はJr.ウィンターカップで準々決勝進出を果たしたEternityの一員としてプレーしている。NLG INFINITYのNLGは、NO LIMIT GUNMAの頭文字である。

 創設当初の無限NO LIMITは、中学3年生が最後の大会が終わった後、高校入学までの期間における体力とスキルの維持を目的としたクラブとしてスタート。しかし、時間の経過するにつれ、先輩と一緒にプレーすることでレベルアップしたいと思う中学2年生が入るようになった結果、現在は中学1年生から3年生の男女を対象に活動するようになったのである。

子どもたちの可能性を大人が限界を決めることはしたくないというのが名前の由来 写真提供:無限NO LIMIT
子どもたちの可能性を大人が限界を決めることはしたくないというのが名前の由来 写真提供:無限NO LIMIT

 無限NO LIMITという名前は、「子どもたちの可能性は無限」という堀田代表の思いから生まれたもの。中学生と高校生を対象に長年指導してきたが、ミスに対して厳しく叱ることや、罰走を課すといったスタイルのコーチングをしていた。堀田代表はそのやり方で結果を出し続け、外部コーチを務めた高校のインターハイ出場に貢献した実績がある。

 しかし、一定のところまで勝ち上がっても、なかなか上に行けない現状に直面。無限NO LIMITを立ち上げた当初、堀田代表は自問自答する日々を過ごしていたが、「バスケットボールが楽しくてやっているのに、なぜ練習をビビりながらやるのか? 練習試合も怒られないようにしようとか、コーチの目を気にしながらやっていたんだだろうな」ということが頭に浮かんだ。

 部活から引退した後に中学3年生が急激にうまくなり、シュートが入るようになるという子たちを見たことで、堀田代表は選手たちがもっと楽しくやれるようなコーチングをしようと心に決めたのである。その翌日から、楽しくやれる環境を作ること、子どもたちの可能性は無限という考えをベースに、選手を育成してくスタイルの構築が始まった。

子どもたちのやる気が最優先。やらされて伸びるには限界がある!

 もちろん、練習をサボる、ダラダラやることを堀田代表は決して受け入れない。真剣にやっている時には、すごく楽しくなるという感覚を子どもたちに伝えたかったのだ。シュートが入れば喜んでも笑ってもいいし、ミスを恐れずにチャレンジし続け、やらされているのではなく能動的にやることが大事であると…。それは、丸紅時代のコーチ、パトリック・ライアンから学んだ経験が大きく生かされている。

「勝つことよりも、楽しくやろうが先行したので、いろいろな技術を教えるにしても、難しいことも教えてしまおうと。今までは“子どもだからできないし、このくらいにしておこう、これができないのにこんなことをやらせては”、というのが自分の中にありました。それを変えるきっかけで思い起こさせてくれたのが、丸紅の時のコーチだったパトリック・ライアンです。

 小学生向けのクリニックを頼まれて、その時にお手伝いをしに行ったんのですが、ライアンは小学校3年生くらいにいろいろな難しいドリブルメニューをさせていました。“小学生にこんなことできないでしょ。まともに右ドリブルも左ドリブルもできないのに、そんなことを教えたらダメじゃない?”と言ったら、彼はすごく不思議な表情をしながら“なぜそんなことを言うんだ。子どもができないと大人が言ったら絶対にできないから。見ててごらん”と。時間の経過とともに子どもたちがだんだんできていくのを見て、それでいいんだと納得しました。大人の物差しで測って、“子どもはここまでしかできないだろう”というのを止めたほうがいいと言われた気がしたんです。

 夢中になって(我々が)止めてもやるくらいの状態になれば、放っておいても伸びると思う。あとはこちらが正しい方法を教えてあげたりとか、もっと効率のいい方法を教えてあげることができれば、その子の手助けになる。やる気を出させることも大事ですが、やる気のない子をよくするのはどうやっても難しいし、そこに時間をかけている余裕もないので、やる気を重視しているのは(創設)当初からですね」

 “子どもたちの可能性は無限”を原点にクラブを運営していくことにより、リクルートしなくてもいい選手が集まるようになったのだ。川島も将来有望だからという理由で勧誘したわけではなく、ちょっとした縁があってチームに入った選手である。

バスケットボールへの愛情を取り戻したコーチとミスを恐れず積極果敢にプレーし続けた選手たち

 Jr.ウィンターカップでNLG INFINITYを率いた舘野ヘッドコーチは、高校時代に軍隊と呼ばれるくらい厳しく、様々な制約を課すコーチの下でプレーすることを強いられた。高校を卒業してからしばらくは、「バスケットをやりたくなかったし、バスケの“バ”の字も聞きたくなかった」と口にするくらいの状態になっていたのである。

 しかし、バスケットボールへの愛情を完全に失ったわけではなかった。舘野コーチは勤める会社の社長が堀田代表の同級生という縁で、無限NO LIMITのスタッフとなってコーチのキャリアをスタート。チームに入った直後から遠征に同行すると、「子どもたちとワイワイすること、育っていくこと、自分が思い描いていたことをうまくやってくれたり、失敗するのも楽しくて」と、コーチングの魅力に取り憑かれていく。

 高校時代の影響があまりにも大きかったせいか、舘野コーチはしばらくの間、大声で叱ることやミスに対する罰を与えてしまうことも多かった。しかし、堀田代表からの注意を素直に聞いたことで、そういったコーチングが時間の経過とともに減少。Jr.ウィンターカップでの舘野コーチは選手たちを激励し続け、ポジティブな姿勢を維持していた。次の言葉は、若き指揮官の今を象徴している。

「コーチたちのほうが子どもたちよりも楽しくやっている」

Jr.ウィンターカップの大舞台でも選手とコーチが一体となって楽しんでいた 写真提供:無限NO LIMIT
Jr.ウィンターカップの大舞台でも選手とコーチが一体となって楽しんでいた 写真提供:無限NO LIMIT

 NLG INFINITYは決勝戦までの5試合、いずれも相手チームよりもターンオーバーの数が多かった。

  • 西福岡REBIRTH戦:19-8
  • ZEPHYRS戦:20-11
  • RIZINGS徳島戦:22-11
  • 奥田バスケットボールクラブ戦:17-13
  • 城南中戦:11-6

 川島という絶対的なエースがいたから勝ち上がれたという声は否定しない。しかし、ターンオーバーを恐れることなく、アグレッシブにプレーすることで持っているスキルを発揮しようというNLG INFINITYの姿勢は、Jr.ウィンターカップというビッグゲームであっても普段通りであり、コーチ陣が怒りの声を出すこともなかった。その好例が中学2年生の見竹怜。速攻の際に何度かビハインド・ザ・バック・ドリブルでディフェンスを抜こうとしていたし、たとえターンオーバーになったとしても、次の機会でより難しいプレーにチャレンジしていたのが印象的だった。

 準優勝という結果に終わったものの、“子どもたちの可能性は無限”というカルチャーの構築が正しいことは、今回のJr.ウィンターカップで証明したと言っていいだろう。

「勝つことも大事ですけど、楽しそうにやっていると言われるのが、僕たちにとっての褒め言葉です」(無限NO LIMIT代表:堀田享)

Basketball Writer

群馬県前橋市出身。月刊バスケットボール、HOOPの編集者を務めた後、98年10月からライターとしてアメリカ・ミシガン州を拠点に12年間、NBA、WNBA、NCAA、FIBAワールドカップといった国際大会など様々なバスケットボール・イベントを取材。2011年から地元に戻り、高校生やトップリーグといった国内、NIKE ALL ASIA CAMPといったアジアでの取材機会を増やすなど、幅広く活動している。

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