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目標はNCAAディビジョン1でプレーすること。異なる道のりを歩みながら前進し続けるケイン・ロバーツ

青木崇Basketball Writer
ガードとして将来が非常に楽しみなロバーツ (C)Riley Roberts

別競技でオリンピックの可能性を秘めていた小学生時代

 ケイン・ロバーツの名前を初めて見たのは、昨年5月にスペインで行われたアディダス主催のU16インターナショナル・オールスターゲームだった。2002年7月5日、アメリカ軍の基地に勤務する父と日本人の母の間に生まれたロバーツは、バスケットボールを本格的に始めたのが中学生になってから。それまでは別の競技でエリートコースを歩む可能性を秘めていた。

「バスケットボールをやり始めたのは7年生(中1)の時で、本格的にプレーするようになったのが8年生になってからです。いい感じでプレーできていたのと、ある日YouTubeでカイリー・アービング(現ブルックリン・ネッツ)の映像を見て、彼のドリブルもシュートもできるといった多彩なプレースタイルがすごくいいと思いましたし、今もそうです。それがバスケットボールを熱心に取り組むようになった理由でした。以来、僕はハードワークを続けて今に至っています。カイリーは今も好きな選手で、彼のプレーを自分のゲームに加えたいと思っています。その通りできないものもありますけど、彼のプレーを参考にしています」

 こう語るロバーツがバスケットボールに熱中する前は、体操競技とフットボールをやっていた。父のライリーは当時を次のように振り返る。

「我々がハワイに住んでいたころ、ケインは体操をやっていて、それからフットボールをしていました。体操をメインにやっていた当時、この年代のアメリカ代表チームの候補に選ばれていました。彼が言ったようにYouTubeでカイリー・アービングを見てバスケットボールに興味を持ち始め、外でボールをドリブルすることが多くなっていきました。ずっとそれをやっているから、ちょっとうるさいなと感じることもありました。公園に行っていろいろな動きをやり続けてきたことで、彼には才能があると思うようになった。“自分でモノにするんだ!”という姿勢が自然に出ていたので、私は彼に寄り添うことで、やり続けることを許しました。12〜13歳の時でしたね」

バスケットボールで存分に生かされている体操とフットボールの経験

 バスケットボール選手に転向することなく体操を続けていたら、ライリーは息子がアメリカ代表としてオリンピックに出場する可能性があったと感じている。しかし、ハワイから日本に戻ってきて横須賀基地内の中学校でプレーするようになり、夏になるとAAU(アメリカのアマチュア・アスレティック・ユニオンに所属するクラブ)チームの東京サムライで才能が開花。ロバーツの競技歴自体は他の選手より浅く、遅咲きの有望選手と言っていい。しかし、体操とフットボールをやっていたことがバスケットボールで存分に生かされていることは明らかだ。

「アジリティや機動力があることで、スクリーンに対して柔軟な対応ができるなど、体操そのものから教わったわけではないけど、バスケットボールに生かされていることはあります。フットボールはどのようにカットすることや、ディフェンスをどのように読むかという点でプラスに働いていると思います」と話すロバーツの成長に大きく寄与した東京サムライのクリス・ティーセンコーチは、第一印象を次のように振り返る。

「ケインと最初に会ったのは、我々が主催するキャンプの時でした。非常に身体能力が高かったのですが、ちょっと荒削りで規律に欠ける部分もありました。まるで野生の種牡馬のようでした。ただし、すべての部分で可能性を感じることができましたから、(馬を)囲いに入れるような感じのことを少しやりました」

 クイックネスやいろいろなことができる身体能力の高さを生かせることを武器に、ロバーツは中学から高校にかけての時期に所属したJV(2軍)メンバーの中から唯一バーシティ(高校の1軍)でプレーしただけでなく、チームのスター選手へと飛躍。得点源という役割だけではなく、ディフェンダーとしてもチームに大きく貢献するようになった。

スペインのオールスターゲーム後に取材を受けるロバーツ (C)Riley Roberts
スペインのオールスターゲーム後に取材を受けるロバーツ (C)Riley Roberts

AAUやエリート・キャンプを経験した後にNBAのオールスター選手を輩出した高校へ転校

 横須賀基地内の高校で過ごしていく中で、ロバーツはスペインで行われたアディダス主催のU16インターナショナル・オールスターゲーム、アメリカ・カリフォルニア州で行われたAAUのトーナメント、東京で行われたNBA主催のエリート・キャンプ、バスケットボール・ウィズアウト・ボーダーズ(BWB)に参加。スペインでは24点、AAUでは後にNBA入りする選手がいるチーム相手に活躍すると、BWBではオールスターゲームのメンバーになっただけでなく、最もハードワークをした選手に贈られるGRIT賞にも選ばれた。BWBでの経験をロバーツはこう語る。

「昨年8月、僕は日本を代表として他に4人の選手たちとプレーしました。この機会はすごくうれしかったですし、学ぶということで素晴らしい経験でした。選手、スカウトといったNBAと素晴らしいシステムを熟知する人たちがたくさんいましたし、高いレベルのコーチから学ぶこともできました。オールスターゲームでプレーできる機会を得ましたし、アワードもいただきました。キャンプでアワードをもらえると思っていませんでしたし、自分が目指しているようなものでもありませんでした。僕は日本にもいい選手がいるということを多くの人たちに示したかったのです」

昨年夏に東京で行われたBasketball Without Borders Asiaでアワード選出
昨年夏に東京で行われたBasketball Without Borders Asiaでアワード選出
BWBでは3度NBA制覇を経験したポイントガード、サム・カセル(左端)から学ぶ機会を得た (C)Riley Roberts
BWBでは3度NBA制覇を経験したポイントガード、サム・カセル(左端)から学ぶ機会を得た (C)Riley Roberts

 BWBで取材した際、ロバーツはカリフォルニア州ロサンジェルス郊外にあるサンタ・マルガリータ高でプレーすることが決まっていた。そこに至る経緯についてライリーに質問すると、AAUのトーナメントがきっかけだったことを明かしてくれた。

「昨年カリフォルニア州アナハイムで開催されたトーナメント最終日だったかな、空港に向かっている時にサンタマルガリータのコーチからメールをもらいました。それをきっかけに私とケインはコーチと話をするようになり、それから“OK、僕はそこに行きたい”ということになりました。1か月半後には飛行機に乗り、学校に入るための登録をしたのです」

 サンタマルガリータ高でプレーできることは、ロバーツが思い描くNCAAディビジョン1でプレーするということで大きな前進。身長188cmに対して体重は77kgと今も細身だが、素晴らしいウエイト・トレーニングのプログラムによって約9kg増やすことに成功。身体が明らかに強くなっただけでなく、バスケットボールのスキルもNCAAディビジョン1でプレーできるレベルに十分近づいていた。また、高校の偉大なる先輩で、ステフィン・カリーとガードコンビを組むゴールデンステイト・ウォリアーズのシューター、クレイ・トンプソンと会う機会があったことも、ロバーツにとって大きな刺激となり、素晴らしい経験として記憶に残っている。

「ある日、チームメイトと練習後のシューティングをやっていたとき、コーチが体育館に入ってきて”ここから出て行きなさい。クレイ・トンプソンがワークアウトしに来るから”と言われたのです。体育館から出ようとしたときに彼はやってきたのですが、シュートを打てるようにパスをする人が2人必要ということになりました。そこで僕は彼にパスを出したり、シュートを見る機会に恵まれました。そこでNBAがどんなものか、そのレベルへ到達するには何が必要なのか、どのくらい練習するのかといった話を聞きました。素晴らしい学びの経験でした。1時間半から2時間くらいでしたが、その当時知らなかったことなどいろいろ学習することができました」

新型コロナウイルスで進学へのプロセスに大きな影響が…

 ロバーツのサンタ・マルゲリータ高におけるシーズンは2月6日に終了した。その後、進学先を決めるプロセスに入る予定だったが、新型コロナウイルスの感染拡大がアメリカにも波及。数多くのスポーツイベントがキャンセルや順延という事態に発展し、NCAAのリクルーティングも影響を受けている。ライリーにはNCAAディビジョン1と2の大学から連絡が入っているものの、進学先を決めるところまで至っていない。ロバーツのスタッツは平均出場時間14分で3.8点だったが、サンタマルガリータ高のジャスティン・ウィリアムズ=ベルコーチはスタッツ以上にNCAA選手としての可能性を感じている。

「ケインはコンボガードとして才能があり、多彩な得点能力を持っています。カリフォルニア州南部の強豪高であるJシエラ・カトリック高戦で素晴らしいプレーをし、彼が決勝点を奪ったことで試合に勝ちました。残念ながら次の試合でケガをしてしまったため、残るシーズンでその勢いを止めてしまったと思います。でも、彼は間違いなくカレッジ・バスケットボールのロスター入りするに値する選手です」

高校の最終学年はクレイ・トンプソンが通ったサンタ・マルガリータ高でプレー  (C)Riley Roberts
高校の最終学年はクレイ・トンプソンが通ったサンタ・マルガリータ高でプレー  (C)Riley Roberts

 ロバーツの希望はスカラシップ選手としてディビジョン1の大学に進学。しかし、2020-21シーズンについてはNCAAでプレーできる資格を失わずに済むという理由から、「100%決定というわけではありませんが、B2チームでプレーする可能性があります。1年だけです。サラリーをもらわずにプレーすれば、NCAAの資格を失わずに済むからです。この1年はプレップスクールの学年にあたるので、後に興味を持ってきたチームからスカラシップ選手としてオファーがあればと思っています」と、特別指定選手としてB2でプレーすることを視野に入れている。ロバーツの成長を見届けてきた東京サムライのティーセンコーチは、NCAAディビジョン1でプレーできるレベルにあると確信している。

「我々はカリフォルニア州で行われたアディダス・ガウントレット・トーナメントで、以前バム・アデバヨ(ケンタッキー大→現マイアミ・ヒート)とデニス・スミス・ジュニア(ノースカロライナ州立大→現ニューヨーク・ニックス)が在籍していたトップレベルのチームと対戦しました。あのチームには3〜4人ディビジョン1に入りそうな選手がいたので、約30人のカレッジ・コーチが観戦する中での試合でした。私はこの試合の前にケインを(東京サムライの)トップチームに昇格させ、ベンチの選手として起用しました。彼は出場した直後からいいプレーをし、あっという間に16点を奪う爆発力を見せたのです。試合後ディビジョン1のコーチたちが私と連絡を取り始めたことで、ケインにはあのレベルに到達できる可能性があると思うようになりました」

 新型コロナウイルスの感染拡大によって体育館が使えない状況の中、ロバーツは自宅の庭にあるゴールを使ってのシューティング、ボールハンドリング、ダンベルを使ってのウエイト・トレーニングを継続し、バスケットボールの活動が再開できる状況になった時に向けての準備を怠らない。ロバーツにとって次のシーズンは、選手としての方向性を大きく左右する1年になるだろう。もし、特別指定選手でB2のチームに入ることが決まった場合は、レベルアップしたプレーをプロ相手に発揮することで、NCAAディビジョン1への道筋を切り開くつもりだ。

Basketball Writer

群馬県前橋市出身。月刊バスケットボール、HOOPの編集者を務めた後、98年10月からライターとしてアメリカ・ミシガン州を拠点に12年間、NBA、WNBA、NCAA、FIBAワールドカップといった国際大会など様々なバスケットボール・イベントを取材。2011年から地元に戻り、高校生やトップリーグといった国内、NIKE ALL ASIA CAMPといったアジアでの取材機会を増やすなど、幅広く活動している。

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