Yahoo!ニュース

パレスチナの反イスラエル武装抵抗運動組織の概況

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:ロイター/アフロ)

 2023年10月7日以来、パレスチナとその周辺での戦闘や軍事的緊張をイスラエルとハマース(ハマス)との間の問題であるかのように矮小化しようとする、或いは局地的な関心や観察に終始する傾向がみられる。報道機関で頻繁に用いられる「イスラエルとハマスとの戦争」という言辞が象徴的な表現だ。しかし、パレスチナ人の運動に限定した場合でも、イスラエルによる占領や入植に武装闘争を試みる組織や運動は多数ある。過去数十年にわたり、これらの諸派は時にいがみ合い、時に連帯して武装闘争を続けてきた。これについて、2023年12月11日付『シャルク・アウサト』紙(サウジ資本の汎アラブ紙)は、主にガザ地区に焦点を当てて有力な組織7派の概況を紹介する記事を掲載した

1.カッサーム部隊

 ハマースの軍事部門。正式名称は殉教者イッズッディーン・カッサーム部隊。なお、イッズッディーン・カッサームとは、1930年代にイギリスに対する武装闘争の中で死亡し、最初の殉教者の一人に列せられるイスラーム法学者、活動家。パレスチナ諸派が要する軍事部門の中で最大の組織。1988年に「マジド(注:栄光という意味)」との名称で編成され、数カ月後に「カッサーム部隊」と改称した。「マジド」はイスラエルの情報機関の協力者を追跡するための秘密組織の名称に引き継がれた。イスラエルが必死に追跡しているヤフヤー・シンワールはカッサーム部隊の主な創設者の一人とされる。また、同部隊の指揮官のムハンマド・ダイフも世界的に著名な活動家だ。1994年からイスラエル人に対する誘拐作戦を実施するようになり、1990年代や2000年代前半の第二次インティファーダの際には、自爆攻撃を含む爆破作戦を多用した。また、2006年にイスラエル兵のジャルアード・シャーリートを誘拐した際には、2011年に同人の解放と引き換えにパレスチナ囚人1027人を釈放させるという「戦果」を上げた。2007年には、パレスチナ自治政府(PA)の治安部隊と交戦の末、ガザ地区を制圧した。この交戦は、わずか数時間でカッサーム部隊の勝利に終わった。

 カッサーム部隊は、第二次インティファーダの際にイスラエルに対するロケット弾攻撃を導入した。当初のロケット弾は軍事的には意味がない児戯に等しいものだったが、カッサーム部隊は2009年に射程50kmの「グラード」を戦闘に投入した。2012年にはイラン製の「ファジュル」ロケットを用いてテルアビブを攻撃した。また、無人機の開発も進め、多様なロケット弾とともに2014年、2021年、そして現在の戦闘で使用している。また、カッサーム部隊は規模を拡大し、公然の拠点を設置するようになった。同部隊はピラミッド型の組織のもと活動し、現在の戦闘が始まる前の時点で3万人の要員を擁すると推定されていた。部隊は、エリート部隊、各地区に配備される諸隊、トンネルや武器の製造や諜報活動を専門とする部隊に分かれている。トンネルには防衛用のものと攻撃用のものとがあり、カッサーム部隊はこれを使用することでイスラエル人の捕虜を長期間隠匿し続けることに成功してきた。

2.エルサレム隊

 イスラーム・ジハード運動(PIJ)の軍事部門で、パレスチナで第2位の組織とされる。第二次インティファーダの勃発後の2000年末に結成されたが、それ以前の1980年代、1990年代は「カサム(注:誓い、という意味)」という名称で活動していた。パレスチナ諸派の中ではイランやレバノンのヒズブッラーと最も結びつきが強いと考えられており、イランやシリアで訓練を受けた幹部や要員がガザに戻り、ロケット弾や無人機の製造に従事している。ただし、これらの兵器の威力や能力は、カッサーム部隊が保有するものに劣る。エルサレム隊には1万1000人の要員がおり、軽火器、中火器、数千発の中距離ロケット弾、数十発の長距離ロケット弾を装備している。過去5年間は、ハマース(とカッサーム部隊)がイスラエルとの本格的な交戦を避けていたため、エルサレム隊が交戦の主役となってきた。過去2年の間、ヨルダン川西岸地区で「ジェニン部隊」との名称で活動している。

3.勝利者サラーフッディーン・アイユービー旅団

 第二次インティファーダの勃発とともに現れた「パレスチナの人民抵抗委員会」の軍事部門で、創設者のジャマール・アブー・サムハダーナは2006年にイスラエルに暗殺された。5000人の要員を擁し、数十発のロケット弾や迫撃砲を保有している。ヒズブッラーとPIJの支援を受け、第二次インティファーダの際には当時ガザ地区にあったイスラエルの入植地への突入作戦などに参加した。

4.アクサー殉教者部隊

 PAの与党であるファタハの軍事部門で、第二次インティファーダの当時は最大規模の組織としてイスラエルの諸都市で多数の大規模作戦を実施した。なお、ファタハは歴史的に「アーシファ(注:嵐、という意味)」という名称の軍事部門を擁してパレスチナ内外で活動してきたが、アクサー殉教者部隊はその流れを汲む。傘下に様々な集団があり、2000人の要員が軽火器、中火器、手製のロケット弾数十発を装備する。ロケット弾の射程距離は16キロメートル程度。2007年にPAのアッバース議長が同部隊の解散を宣言し、要員をパレスチナの治安機関から追放した。同部隊の人員の一部は、近年ヨルダン川西岸地区のジェニンやナブルスでの武装闘争に復帰している。

5.殉教者アブー・アリー・ムスタファー部隊

 パレスチナ解放人民戦線(PFLP)の軍事部門で、2001年にラーマッラーでイスラエルの航空攻撃で暗殺された当時のアブー・アリー・ムスタファー書記長にちなんだ名称。ガザ地区とヨルダン川西岸地区を合わせて数百人の戦闘員がおり、軽火器、中火器、手製のロケット弾を保有している。2001年に西エルサレムのホテルで当時のイスラエル政府の閣僚を暗殺する「戦果」を上げた。

6.愛国抵抗部隊

 パレスチナ解放民主戦線(DFLP)の軍事部門で、第二次インティファーダ前は他の様々な名称で活動していた。数百人の戦闘員がおり、軽火器、中火器、手製のロケット弾を保有している。

7.ムジャーヒドゥーン部隊

 ヒズブッラーやPIJから資金提供を受け、ファタハから分離して結成された軍事集団。軽火器、中火器、アシュケローンやスデロットなども攻撃可能なロケット弾を保有しており、第二次インティファーダ以来活動している。

 今般の『シャルク・アウサト』紙の記事は、ガザ地区を中心にパレスチナで活動する諸派を取り扱ったものだ。ヨルダン川西岸地区には近年の既存の武装闘争に不満を持つ者たちからなる「ライオンの巣窟」という名称の武装集団も活動している。また、レバノンにもハマースやPIJの人員がおり、今般の戦闘ではカッサーム部隊やエルサレム隊の名義で南レバノンからイスラエルを攻撃したとの戦果発表をしている。さらに、レバノンやシリアでは、パレスチナ解放機構(PLO)の正規軍として編成された「パレスチナ解放軍」(PLA)や、パレスチナ解放人民戦線総司令部派(PFLP-GC)やファタハ・インティファーダの軍事部門、パレスチナバアス党の軍事部門のサーイカ(注:稲妻、という意味)が戦闘員や軍事拠点を擁している。また、シリア在住のパレスチナ難民からは、「エルサレム旅団」、「ジャリール部隊」などの民兵が編成され、既存の諸派とともに親政府の立場でシリア紛争に加わった。PFLP-GCは、長年秘かに主にガザ地区に携帯式対空ミサイルなどの機微な兵器を運び込んだ「実績」もある。ただし、これらの諸派はシリア政府の管理・統制下にあり、シリア政府がイスラエルとの本格的な交戦を望まない以上、彼らが現在の戦闘に積極的に加わる可能性は低い。また、レバノンのパレスチナ難民キャンプでは、パレスチナ難民を主な構成員とするイスラーム過激派諸派も活動しており、彼らは「イスラーム国」の人材供給源となるなどレバノンだけでなくシリア、イラクの治安上の懸念材料となってきた。

 このようにしてみると、現時点での戦闘の主役がハマースとカッサーム部隊であることは間違いないものの、今後の展開によってはここで紹介したものも含めいろいろな組織の名前が挙がる可能性がある。これらはいずれも、ガザ地区やパレスチナに局限されない広範囲で多様に展開してきたパレスチナ解放運動の歩みと失敗の結果であり、この機会に復習することをお勧めする。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

髙岡豊の最近の記事