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ガザでの戦闘の「新段階」:軍事衝突ではない戦場

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
ボイコットの末、パロディーが発達する例もある。(筆者撮影)

 2023年10月7日以来のガザでの戦闘が「新段階」に入り、イスラエル軍による一方的な殺戮の様相がますます強くなってきた。この状況は、ハマースなどのパレスチナ諸派がいくら備えを固めて頑張っても、レバノン、シリア、イラク、果てはイエメンの「抵抗枢軸」の面々が多少援護射撃しても覆ることはない。となると、ガザ地区での戦闘に関係のない者たちは紛争の当事者ではなくなり、単に凄惨な被害を嘆き悲しんだり、紛争について立場の異なる者を罵倒したり、当事者にとっては紙切れや音声に過ぎない声明やアピールをせっせと発表したり、どこかで抗議行動に参加したりするだけの「外野」になるのだろうか?「イスラーム国」やアル=カーイダなら、そんな無駄なことはせずに敵方の大使館や権益を襲撃せよと説教してくれるだろうが、このような思考・行動様式に賛同しない者たちにとっても戦場はたくさんある。

 実際には、今般の戦闘に限らず、紛争の現場は軍事的な衝突が繰り広げられている場所だけではない。特に、昨今はSNSを中心に「情報戦」が繰り広げられており、軍事衝突の展開や、紛争当事者が受ける被害、戦争犯罪やテロ行為の「下手人」や動機などなど、様々なことについての資料や動画、分析やコメントがあふれている。特に、パレスチナ側の被害を訴える情報が大量に届くようになったことは、アラブ・イスラエル紛争をイスラエル側のストーリーでしか認識してこなかった欧米の視聴者にとっては衝撃的ですらあっただろう。このような環境は、欧米諸国でのアラブやムスリムの増加、SNSの急速な発達、アラブ諸国での衛星放送局の発展など、何十年もかけて醸成されてきたものだ。

 しかも、「情報戦」以外にも各国の企業・労働者・消費者が主体となった経済活動も、今般の戦闘の戦場の一部をなす。イスラエルと諸当事者との戦闘が激化する中、各国の政府だけでなく著名な企業もイスラエル支持のメッセージを発信したり、物質的な支援を申し出たりした。著名な企業の態度や、それに対する世論の反応については、いくつか興味深い報道が出ているので、10月28日付『クドゥス・アラビー』紙(在外のパレスチナ人が経営する汎アラブ紙)の記事を例に考えてみよう。マクドナルドは、イスラエルの現地法人がイスラエル軍を支持するために1日4000食をイスラエル兵に提供すること、その他の食品についてもイスラエル兵には5割引で販売することをインスタグラムで発表した。ところが、これがアラブ諸国だけでなく、パキスタン、バングラディシュなどでも「炎上」し、各国でSNSを通じた「マクドナルド・ボイコット」が呼びかけられることになった。SNS上には、ボイコットの呼びかけだけでなく、ボイコットの結果お客が入らなくなった店舗を撮影した動画が多数出回っているそうだ。この結果、レバノン、オマーン、UAE、トルコ、クウェイトの現地法人は、イスラエルの現地法人の立場に同調しないと表明したり、ガザへの連帯を表明したりすることとなった。著名な多国籍企業の各国支部が、「政治的に分裂」してしまったことになる。同様に、スターバックスもイスラエル支持の声明を発表したところ、同社の労働組合がそれとは逆にパレスチナへの連帯を表明し、イスラエルによるガザ地区攻撃を拒否する声明を発表した。スターバックスについても、会社の経営者と労働者、(アラブやムスリムの)消費者とで立場が分かれたことになる。ボイコット呼びかけは、外食産業以外の欧米企業が製造する輸入品にも及んでおり、ボイコット支援のために対象表品の「代替」となる国産品を紹介する活動も行われている。

 マクドナルドやスターバックスほどの大企業でなくとも、アラブ諸国で事業を展開している企業や経営者が今般の戦闘やその犠牲者に対して表明した立場をきっかけにボイコット呼びかけの対象となった事例が複数ある。経済的ボイコットは、大企業の行動に影響を与えるため国際紛争で非常に重要な手段だとの指摘もある。その一方で、以前別稿で検討した通り、ボイコットを呼びかける側はそれによる何らかの「戦果」や落としどころを考えているため、「マト」にされるのは著名かつ日常生活への影響が小さい財やサービスになりがちだ。近年アラビア半島諸国をはじめ経済的に発展した中東の諸国で事業を営もうとする個人や経営者も増加しているようだが、彼らが政治や外交の問題についてアラブの世論や社会状況を理解せずに現地に進出し、このような戦いの巷に放り込まれるのも気の毒な話ではある。しかし、中東でなくとも国際的に事業を展開する以上、政治や外交、安全保障問題について、ものの見方やストーリーが一つでないことを理解しておくことも不可欠と言えるだろう。

 アラブ諸国や中東での経済的ボイコットの問題は、本邦の企業にとっても重大な問題だ。かつてはアラブ諸国が一体となって国家主導の対イスラエル・ボイコットが唱道されており、これは単に商品の販売だけでなく、個々の企業の取引関係や資本関係まで調査して「ブラックリスト」に掲載するという活動だった。アラブ諸国の対イスラエル・ボイコットは、イスラエルやアメリカとの関係を重視する国が増えたこと、近年の政治的混乱によりアラブ諸国の連帯や団結が全く望めなくなったことにより今や形骸化している。しかし、制度そのものが完全になくなったわけではないようなので、より一般的な形で情報や調査の成果が出回ることが待たれる。

 本邦の企業者権益にとってより恐ろしいのは、政治的問題に特段態度を表明したわけもないのに、何かの誤解や悪意、制度や手続きの不備、商品のデザインへの言いがかりじみた非難によって突如ボイコット対象にされてしまうことだ。筆者も、日本の著名なアニメ作品へのボイコット呼びかけが突如広まり、中東での関連サービスや商品を含め、文字通り炎上してしまった事例をいくつか目撃したことがある。武力紛争、特に今般のような大規模な破壊と殺戮を伴う紛争は、とかく現場の被害や戦闘に目が向きがちだ。しかし、紛争の舞台は戦場だけとは限らないので、直接の当事者も、そうでない者も、それを踏まえた行動が大切になるのだ。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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