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ワグネルの今後:シリアの場合

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(提供:PMC Wagner/Telegram/ロイター/アフロ)

 ロシアの傭兵企業ワグネルの経営者が死亡したことで、同社で雇用された傭兵らの命運はもちろん、彼らが活動する諸国の政情や治安情勢についても大いに心配しなくてはならなくなった。例えば、マリ、ニジェール、ブルキナファソを含むサヘル地域について、現地で活動するイスラーム過激派諸派の戦果発表だけをぼんやり眺めていると、ワグネルがちゃんと働いてくれないとこれらの諸国はたちどころにイスラーム過激派に負けてしまいそうにも見える。シリアでもワグネルとその傭兵たちの処遇の問題は、ロシアの政治や軍事の統制だけでなく、シリア国内の情勢とも密接にかかわる問題となっている模様だ。この件について、最近ロシアの副国防相がシリアを訪問し、ワグネルの傭兵たちの処遇についてシリア軍の司令部と協議したそうだ

 本件についての報道によると、ロシア側はワグネルをシリアから退去させるか、同社の傭兵をシリア駐留ロシア軍の指揮下に入れるかする必要があると強硬に要求したそうだ。ロシア軍は、6月の時点でワグネルの者に対しシリアから退去するかロシア軍の指揮下に入るかするよう迫っているが、これを無理強いすることはロシア軍やシリア政府への反乱を招きかねないと懸念されている。シリアの国防相はワグネルの幹部と会談し、1カ月以内に武器を引き渡して退去するか、ロシア軍の指揮下に入るかのいずれかを提示した模様だ。

 シリア紛争の中でワグネルの傭兵が主要な、あるいは決定的な役割を果たした、というのは過大評価のようにも思えるが、現在シリア領内では旧ソ連諸国の出身者を中心に2000人以上のワグネルの傭兵が活動しており、彼らはシリア中部の油田地帯や、シリア北部のトルコ軍の占領地で活動しているそうだ。また、3000人以上のシリア人がワグネルの傭兵となり、シリア内外で活動しているらしい。となると、彼らの処遇はシリア軍・政府にとっても重大な問題だ。シリア紛争で激しい戦闘が続いた時期(2012年~2020年)は、シリア軍は兵員の離反や資源の不足に苦しみ、様々な方法で動員した民兵によって戦力を補っていた。ワグネルもその過程でシリアで活動するようになった。しかし、現在は紛争の勝敗が決し、戦闘も小康状態となっていることから、シリア軍は各種の民兵を軍の組織に統合し、彼らへの指揮権を確立しようとするようになった。実際、著名な民兵のいくつかは解体され、民兵統合用に設置された正規軍の部門に編入された。また、民兵が活躍した時期には、民兵の幹部や民兵を輩出した共同体から国会議員になる者が多数現れたが、最新の国政選挙(2020年)の結果を見ると、民兵としての軍事的貢献が選挙での当落に影響する程度は下がりつつあることがわかる。

 しかし、民兵の解体や正規軍への統合は容易ではない。例えば、民兵としてシリア紛争で戦った期間を、シリアの放棄で定める兵役・予備役期間に算入するか否かという問題一つをとっても、当事者にとっては生死にかかわる重大問題だ。しかも、紛争当初に正規軍からの離反が相次いだ原因の一端は、正規軍の兵士は待遇が著しく悪い上、縁もゆかりもない土地で任務に就くことを強いられることだった。これに対し、民兵は一般のシリア人に比べるとはるかに高額な給与が支給され、自分の出身地とその近隣での警備や検問などの任務に就いた。つまり、上記の推計の通り5000人以上がシリア関連の分野で活動しているとなると、数千人が任地から抜けることの影響だけでなく、ワグネルに雇用されていたシリア人を正規軍に統合した後、彼らの士気や忠誠を確保するだけの処遇は難しそうだという問題が生じるのだ。シリアに関係するワグネルの傭兵の処遇が短期間のうちに決着するとは考えにくいが、本件は紛争中・紛争後の政府による統治、軍や民兵の統制、そして兵員の動員解除と社会復帰など、様々な観点から重大な問題を提起している。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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