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「イスラーム国」の自称カリフが換わったらしいが:やっぱり何ら思うところなし

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:ロイター/アフロ)

 2023年8月上旬、「イスラーム国」が同派の自称カリフが敵対者に殺害され、新しい自称カリフを擁立したと発表した。「イスラーム国」発表によると、(4代目の自称カリフの)アブー・フサイン・フサイニーがシリア北西部(注:「悪の独裁政権」から解放され、自由、尊厳、公正に満ちた解放区のはずなんだが…)を占拠するシャーム解放機構(注:「イスラーム国」の言い方だと「背教と裏切り機構」)との戦闘で殺害され、アブー・ハフス・ハーシミー・クラシーが次の自称カリフに擁立されたそうだ。これを受け、各地の「州」から新しい自称カリフに忠誠の表明が寄せられ、その手土産であるかのように「イスラーム国」の戦果発表も若干増加した。今般の交代で「イスラーム国」の自称カリフは5代目となるわけだが、初代自称カリフのアブー・バクル・バグダーディーが殺害された週には60件ほどあった「イスラーム国」の戦果は、今や自称カリフの代替わりの大バーゲンセールみたいな発表も含めてその3分の1にも満たない。また、自称カリフは2代目以降「イスラーム国」の広報で姿も声も出てこない。日ごろ「非公然活動」を決め込んで都合のいい時だけ、どの位実情を把握しているのかおぼつかない指令や演説を天の声みたいに投下してくる自称カリフと、やたら見かけるけど大局的な組織指導がまるでできない自称カリフのどちらがいいのかは部外者の筆者にはよくわからない。

 それでも、自称カリフの代替わりは「イスラーム国」の広報に多少影響を与えたようで、このところ地面すれすれの低空飛行が続いていた「イスラーム国」の週刊誌の内容にも若干変化があらわれた。一番わかりやすいのは、このところ8頁に低迷していたページ数を、これまでの通常運行の12頁になんとか戻そうという試みがあることだ。もっとも、ページ数の増加は戦果の増加によって達成されるのではなく、2頁強の殉教者列伝や編集部訓話みたいな記事が掲載されることによってなされている所は見逃せない。より具体的には、これらの記事が現場から遊離した編集部なり指導部が、支持者やファンや外部の報道機関・観察者向けに書いている記事なのか、現場の者にとって必読の訓話なり指令なりとして書いている記事なのかによって、それを斜め読みする筆者の気の持ちようもだいぶ変わってくるということだ。

 今週号は「堅固に持するための複数の支柱」と題する論考が掲載されている。「堅固に持せよ」とは預言者ムハンマドが信徒たちに団結を呼びかけた際に用いた言辞であり、組織内や組織間の団結を呼びかけるときにイスラーム過激派が好んで使う言辞だ。論考の概要は、ムスリムはジハード、合議、団結、金曜礼拝、大巡礼、小巡礼、断食明けと犠牲祭の時の礼拝、記念日の会合などの機会や宗教行事によって「一つの建物」のごとく団結すべしというものだ。具体的には、「イスラーム国」の末端の諸集団で、兵士から指揮官に対して求められる態度、指揮官から兵士に対して求められる態度、「イスラーム国」の構成員からムスリムに対して求められる態度を例示している。兵士には、服従、忍耐、忠言、任務完遂が求められる一方、集団のお金や資源を勝手に使ったり、指揮官の許可なく持ち場を離れたりしないなどという、ごくごく基本的な事項も記載されている。指揮官に向けても、合議、奉仕、公正の精神で部下に臨むようにと訓示をたれている。また、組織外のムスリムに対しても、(同格の者としての)尊重精神を持つようにと唱えている。繰り返すが、ここで重要なのはこの記事の書き手が現場から遊離し、覚醒状態で寝言を言っている程度の者たちなのか、「イスラーム国」の機関誌の編集部や執筆者には現場の状況(そして問題点)がそれなりに報告されており、彼らはそうした問題に訓示や指示を与えるべき立場にあるのかの判断だ。前者なら、別に気にする必要はない。しかし、後者なら、「イスラーム国」の現場はこの手の訓話や指示やお説教が必要なくらい退廃・弛緩しきっているということだ。もし「イスラーム国」の現場が規律正しく団結した兵士と指揮官からなり、彼らが周囲のムスリムと清く正しく美しい関係を構築しているのならば、こんな記事はハナから必要ない。「イスラーム国」の現場の状況を前者と後者の中間のどこかと想定するなら、そこには確実に勝手に持ち場を離れたり、集団のお金や資源を使ったりする兵士がおり、兵士に対して独裁的に臨む指揮官がおり、そんな彼らは周囲のムスリムと仲良くやれていない、ということだろう。

 正直な話、今や「イスラーム国」の自称カリフが誰だろうが、現世に実在する生き物なのかどうかはどーだっていい話だ。もしそれが実在することが必要不可欠ならば、彼らは早々に動画・画像・音声などを用いてそれを証明するはずだが、初代のバグダーディーを除けばそんなことをした者はいない。自称カリフは組織内外への広報のために望ましい人格を合成したものだとすれば、それはいくらでも挿げ替えればいいのだし、生物学的に実在する必要もないので、世界の報道や組織の都合に応じて適宜(そして永久に)代替わりさせていけばいいだけの話だ。筆者としては、このままイスラーム過激派が滅び去ることこそが目指すところなので、「イスラーム国」やその他イスラーム過激派諸派がこのあたりの機微をちゃんと説明できずに衰退していくのは大いに歓迎する。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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