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「イスラーム統治」がもたらす白黒の世界

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:ロイター/アフロ)

 某所で、2023年8月6日付の全ての私立教育機関への通達と称する文書が出回った。この文書、某所を統治する主体が発行したものなので、その内容への好悪の感情があったとしても逆らうとひどい目にあわされることは間違いない通達だ。以下、通達項目を要約してみよう。

*学校の壁に描かれているイスラーム法(シャリーア)に適合しない絵や写真を除去すること。

*初等と中等の女子生徒に、シャリーアに適合した服を着せること。

*学校の女性職員にシャリーアに適合した服を着せること。

*初等と中等で、男女の生徒を完全に分離すること。

*生徒に携帯電話を持たせないこと。

*facebook、その他SNSの機関のアカウントから、シャリーアの規則に反する音楽や行為を載せないこと。

*我々の宗教と習慣に反する行為(女性の魅力をさらす行為など)を遠ざけること。

画像:2023年8月6日付シリア救済政府教育省通達674号。
画像:2023年8月6日付シリア救済政府教育省通達674号。

 通達の内容を見ると、かつて制圧下の住民の個人の嗜好や行動にまで強烈に監視・干渉した「イスラーム国」の実践や、国際的に様々な摩擦を引き起こしているターリバーンの教育行政を連想させるものだ。しかし、この通達を制圧下の住民に強制しているのは、「悪の独裁政権」から解放されたはずの、シリア北東部の統治当局だ。この地域には、2017年から「シリア救済政府」なるものが設置され、「閣僚」と「省庁」を擁して教育などの行政サービスを提供している。しかし、地域を実際に制圧し、暴力装置を独占しているのは、シリアにおけるアル=カーイダであるシャーム解放機構だ。同派は、2013年に「イスラーム国」から分裂、2017年にアル=カーイダと分離して今日に至るのだが、上記の通達を見る限り、シャーム解放機構の統治の方針や志向が「イスラーム国」やターリバーンと何か違うということは難しい。シャーム解放機構の占拠地域では、同派がそれと信じて排他的に決めるイスラームや習慣が制圧下の住民や機関に強制され、住民らにはそれに従うか恣意的な懲罰を受けるかの二択しかないということだ。「シリア救済政府」も、一見「解放地」の行政を担い、「悪の独裁政権」に対抗する政府に見えるが、その実は単にイスラーム過激派であるシャーム解放機構から世間の目をそらすためのフロント機構に過ぎない。

 「イスラーム国」の場合も、ターリバーンの場合も、教育機関(しかも私立)に対してこのような方針を押し付けた際には、国際的な人権団体や各国政府からそれこそ袋叩きにあった。しかし、理由は不明だが、シャーム解放機構の振る舞いを非難したり、問題提起したりする団体も政府も今のところ見当たらない。それどころか、各国の政府や援助団体の一部は、シャーム解放機構の占拠地や同派のフロント機関に熱心に資源を提供しようとしてさえいる。管見の限りでも、シャーム解放機構の占拠地にある教育機関を運営・支援している団体は本邦を含め世界各地にある。これらの団体の活動が初等・中等教育を対象としているならば、シャーム解放機構による個人の内面への干渉や人権侵害に従いながら活動を続けることになろう。

 シャーム解放機構、「イスラーム国」、ターリバーンなどのイスラーム過激派の諸派・活動家・支持者・ファンは、各々激しく敵対し、競合する団体・個人を背教者や裏切り者呼ばわりすることが日常茶飯事だ。しかし、一度領域を制圧し権力を握ると、どの団体のすることもたいして変わらない。過日、ターリバーンが楽器を没収して焼却した件がニュースになったが、これはかつて「イスラーム国」が世界各地の占拠地域でやったことだ。携帯端末も、自派の活動に役立つならよいがそうでない利用は禁圧するという方針で「イスラーム国」とターリバーンは変わらない。シリア北東部でも、そのうちシャーム解放機構により楽器の没収や焼却、携帯電話や衛星放送やインターネットの利用規制が行われることになるだろう。対立することなる団体だとしてもやることが一緒、となる理由は、イスラーム過激派には彼らがそうと信じ他者からの批判や指摘に一切耳を貸さないで解釈と実践を決める「正しいイスラーム」と「そうでない現象」という二つしか見えていないことだ。イスラーム過激派の目には、世界は「正しい」と「悪い」の二色に色づけられた、白黒画像のような世界が広がっている。そして、イスラーム過激派の制圧下の住民は、自分がいつ「悪い」色に染まっていると告発されるかに怯えて暮らすだけの生活をすることになる。なぜなら、住民には何が「正しい」もので何がそうでないかを決める過程に参加する機会が絶無だからだ。

 今般の通達を見るだけでも、イスラーム過激派による統治が普通のムスリムを含む現在の世界の住人にとって極めて生活しにくいものだということがよくわかる。問題は、シャーム解放機構がシリアの「反体制派」を偽装し、同派の統治が何かから「解放」されたものだと信じる個人・団体・政府が少なからず存在するということだ。このような個人・団体・政府も、「イスラーム国」の蛮行には非難の声を上げ、時には物理的に攻撃した。また、彼らは、ターリバーンの統治の実践に対しても問題点を指摘し、困窮している(はずの)アフガン人民への寄付や支援にはあまり熱心でない。この点に、シリア紛争の深刻さと、シャーム解放機構とそれを放任・支援する個人・団体・政府の悪質さが如実に示されている。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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