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イラク:水不足で伝統農作物が危機

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:ロイター/アフロ)

 2022~23年のユーフラテス川沿岸の降水量は、シリアを見ている限り平年値に近い数値を記録した。しかし、この地域は過去2年余深刻な干ばつに見舞われていたため、今期の降水量が多少改善したところで流域全般の状況が改善するまでには至らないようだ。とりわけ、イラク南部の水不足が解消する見通しは立っていないようで、イラクでは5年ぶりの大規模な作付け制限が科されるようだ。イラク政府は、2018年に栽培に比較的多くの水を必要とするコメやトウモロコシの栽培を規制し、ナツメヤシの栽培の振興を試みたことがある。今期予定される農作物の作付け制限は、イラクの伝統的な作物の存続にも影響を与えるようだ。2023年6月9日付『クドゥス・アラビー』(ロンドンで刊行。在外パレスチナ人が経営する汎アラブ紙)は、「アンバル米」と呼ばれるイラクの伝統的なコメの作付けが制限されると報じた

 報道によると、「アンバル米」の栽培のためには、夏の数カ月にわたって農地を冠水させる必要があり、(通常の作付面積では)1回の作付けに100億~120億立方メートルの水が必要だ。この品種のコメはイラクでしか栽培されておらず、そのほとんどがディーワーニーヤ、ナジャフ、ジー・カーッル、ムサンナー、バービルで栽培されている。イラクでは、2021年は約4万ヘクタール、2022年は約1100ヘクタールがコメの栽培に割り当てられたが、今期の作付け制限により「アンバル米」の栽培が絶えることが危惧されている。「アンバル米」はイラクの食卓を飾る重要な食材で、ドルマ(野菜をくりぬいてコメ、肉などを詰めた料理)のような料理として供される。しかし、イラク政府は近代的な技術を用いて灌漑用水を節約して小麦の作付面積を増やそうとする一方で、「アンバル米」を含む大量の灌漑用水を使用する昔ながらの灌漑の手法を制限しようとしている。

 イラク南部諸県は、依然として深刻な水不足に苦しんでおり、多数の家族が避難を余儀なくされている。被害が最も深刻なのは、ジー・カーッルとマイサーンの両県でこれにディーワーニーヤとムサンナーが続くそうだ。この地域の水不足は過去数年続いているが、問題はイラク一国での対処で済むことではない。特にチグリス・ユーフラテス川の水源であるトルコでの水需要の増大や、チグリス・ユーフラテス川を含む地域の河川で適切な流量を確保するための国際的な合意や枠組み作りが必要と思われる。筆者も、イラク南部での水不足について過去数年間の間に複数回駄文を書いた記憶があるのだが、そこに出てくるイラク南部の諸県の地名は、15~20年ほど前には「とある事情」により本邦でも連日新聞やニュースで取り上げられていたものだ。しかし、現在はこれらの地名はもちろん、干ばつや水不足を含むイラクの政治・社会問題に関心を示す報道機関や読者は本邦にはほとんどいないようだ。「とある事情」に臨むに際し、イラク南部の諸県と末永く手を携えて地域の発展に貢献する、という意志は政府だけでなく民間団体の多くが表明したはずなのだが、今でもそうしている主体はとても少数になってしまったように感じられ、非常に寂しく思う。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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