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「イスラーム国」のさっぱりなラマダーン

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:ロイター/アフロ)

 世界中のムスリムの多くにとって楽しく過ごすお祭りであるラマダーン(断食月)が明け、ムスリムの暮らしは断食明けの祝祭、マッカ巡礼、犠牲祭へと進んでいく。ラマダーンについては、この間の宗教的な実践やムスリムの気持ちの高揚などが理由で宗教紛争やイスラーム過激派の活動が活発化するとも言われている。実際、「イスラーム国」はラマダーン中の功徳は10倍と称し、ポイント10倍キャンペーンのような扇動で模倣犯・共鳴犯の決起を扇動したことがあった。過去数年も、ラマダーンの最後の10日間をめどに報道官が演説して各地の「州」に攻勢を実施するよう扇動し、攻勢の期間中は「イスラーム国」による戦果発表などの件数が通常よりも明らかに増えていた。また、ラマダーン関係の「イスラーム国」の広報では、同派の構成員たちがラマダーンやラマダーン明けの祝祭でどのようなごちそうを食べるのかを写す画像を発信することが恒例となっており、これらの画像群は「イスラーム国」の構成員の生活水準や、兵站能力、拠点の整備状況を知る上で興味深い資料となってきた。

 ところが、今期のラマダーンでは、このごちそうの模様を宣伝する画像が一切発信されなかった。その上、「イスラーム国」による戦果発表や戦闘・殺戮の画像の発信件数も急激に減少した。戦果についてのニュース速報は、発信の頻度が間欠的になったとはいえ一応続いているし、週刊の機関誌も律義に刊行し続けているので、各地の「州」の戦果を集約して発信するという、同派の広報機能が壊滅したので発信件数が減っているわけではなさそうだ。ちなみに、毎週機関誌で発表する州ごとの戦果の件数を、今期のラマダーン月と昨期のラマダーン月とで比較してみると、今期は前期の3分の1にも満たなかった。広報部門の機能はともかく、現場で戦果を上げる能力はだいぶ低下しているのは確かだ。しかし、食事風景の画像が発信されなかったことについては、なぜそうなのかいくつかの可能性を考えてみる必要がありそうだ。一つは、「イスラーム国」の広報の方針の変更だ。同派は、2022年中に自称カリフが2度も交代するという、組織の動揺にさらされた。しかも、現在のカリフは公式に姿を現すことも、演説を発表することもない、「イスラーム国」の構成員にとっても正体不明の存在だ。となると、本来自称カリフに求められる役割を上手に演じることができない者がカリフを称していることも十分あり、それが広報の重要性をよく理解できていないために情報の発信が疎かになるという可能性だ。

 もう一つは、食事風景を発信することが広報上得策ではないと判断されたために発信をやめてしまった可能性だ。何年も「イスラーム国」の食事風景の画像を集めていると、衰退期の「イスラーム国」の食事は、同派の兵站機能の貧弱さ、拠点の生活環境の悪さを如実に表すものにすぎず、そのような画像を発信し続けても支持者にウケないだけでなく敵方に自らの窮状をさらすことになる。この他にも、現在の幹部や広報部門の者たちが、食事のような「ゆるい」作品ではなく、より戦闘的な作品を発信すべきとの方針の者たちであるために食事の動画を発信しなくなった、という可能性もあるだろう。

 ここ数日の間にも、世界各地でいろいろな主体による掃討作戦で「イスラーム国」の幹部を殺害したとの発表が相次いでいる。こうした努力のおかげで「イスラーム国」の脅威や広報活動が低下している可能性も、もちろん否定しない。努力を積み重ねて、「イスラーム国」を含むイスラーム過激派そのものと、彼らの支持者・ファン・擁護者の言動が世の中に全く影響を与えなくすることこそが、イスラーム過激派対策の目標だ。そうなると、イスラーム過激派やそのファンたちは、少しでも社会的影響力を保つために様々な挽回策を、それこそ命がけで講じようとするだろう。大逆転を期した派手な作戦を起こされないよう気を緩めてはならないし、「イスラーム国」の衰退自体は喜ばしいことなのだが、それでも食事風景の画像の発表ではもうちょっと奮起してほしいとも思う。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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