Yahoo!ニュース

「イスラーム国」の自称カリフが人知れず死亡する

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:ロイター/アフロ)

 2022年11月30日深夜、「イスラーム国」は公式報道官アブー・ウマル・ムハージルの演説を発表した。9分44秒の演説は、「イスラーム国」の自称カリフであるアブー・ハサン・ハーシミー・クラシー(2022年3月に就任)が死亡したことと、後任としてアブー・フサイン・フサイニー・クラシーを選出したと発表する内容だ。また、演説は「イスラーム国」の構成員に、歩みを続け新たな自称カリフに忠誠を誓うよう呼びかけた。

 「イスラーム国」がすっかり衰退した上、世界の世論の関心も同派から離れた中、誰にも顧みられることなく自称カリフが死亡し、後任が擁立された形となった。2019年10月のアブー・バクル・バグダーディーの際も、2022年2月のアブー・イブラーヒーム・ハーシミー・クラシーの時もアメリカの大統領が直々に殺害を発表したが、今般は少々様子が異なるようだ。アメリカ軍は、10月半ばにダマスカス南方のダラア県で「シリアの反体制派」が行った作戦でアブー・ハサンを殺害したと発表した。しかし、何故1カ月半も本件について発表しなかったのか、そもそも殺害の場所が今や「反体制派」の活動が行われていないダラア県なのか、アメリカ軍の発表には疑問点が多い。これまでの「イスラーム国」の動きに鑑みると、自称カリフが死亡してから後任の就任を発表するまで1カ月程度かかっているため、アブー・ハサンが死亡したのも数日前というわけではなく、1カ月くらい前のことではないかと推定される。ダラア県では、11月上旬から15日にかけて政府軍と政府と「和解」した様々な武装勢力を編成した民兵が「イスラーム国」の掃討作戦を実施していた。民兵には、かつての「反体制派」も含まれる。作戦の結果、ダラア市の一角を占拠していたとされる「イスラーム国」は一掃され、シリアの当局は同地域の「イスラーム国」の幹部を殺害したと発表した

 当然のことながらシリア当局の発表では殺害した「イスラーム国」の幹部の中にアブー・ハサンは含まれていなかったし、過去数カ月どころか過去数年にわたりダラア県ではアメリカ軍はもちろん、「反体制派」が「イスラーム国」に対する作戦行動を行った例もない。要するに、「イスラーム国」の自称カリフという重要人物が、いつ、誰が、どのようにやったのかよくわからないまま死んでしまったということだ。そして、後任のアブー・フサインについてもそれが誰で、どのように選出されたかは「イスラーム国」の構成員も含め世の中の大方にとってわからない状態だ。

 今般の演説で注目すべき点は、「イスラーム国」は詳細を発表していないものの、自称カリフはどうやらダラア県で死亡したようだということと、「イスラーム国」と交戦する当事者の誰もがよくわからないまま自称カリフを殺害したということだ。第一の点について、過去2代の自称カリフはいずれもイドリブ県周辺でアメリカ軍の作戦によって殺害されている。これは、同地を占拠するシャーム解放機構(シリアにおけるアル=カーイダ。旧ヌスラ戦線)を含むシリアの「反体制派」や、彼らを管理する立場にあるトルコが「イスラーム国」の幹部の活動や潜伏を放任していたことを強く示唆している。同様に考えると、「イスラーム国」の自称カリフがダラア県で活動していたことは、その後背地にあたるヨルダンやイスラエル、「イスラーム国」対策と称してシリア・イラク間の国境通過地点を不法占拠しているアメリカ軍の怠慢や不作為がうかがえる。第二の点については、いずれかの当事者が何の自覚もないまま「イスラーム国」に致命傷を与えたという事例は過去にも観察されている。例えば、「イスラーム国」が世の中に大きな影響を与えうる広報機能を喪失したのは2016年の4月~5月ごろなのだが、当時同派と激しく交戦していた当事者のいずれもが、いつ、誰が、どうやって「イスラーム国」の広報機能にとどめを刺したのか自覚していなかったと思われる。このため、自称カリフのような重要人物が「人知れず死ぬ」ということも想定の範囲内で、今後も「イスラーム国」は、思想はもちろんたいした戦術的な思考もないまま、なるべく活動しやすい所、なるべくとがめだてを受けないところで異教徒を殺戮し、仲間のはずのスンナ派ムスリムを背教者として殺害・圧迫する活動をゾンビの様に続けることだろう。

 もっとも、組織の指導者が1年足らずの間に2度も交代するという事態は、「イスラーム国」だけでなくあらゆる組織にとって、組織が動揺しかねない大問題だ。特に、現在「イスラーム国」が最も戦果を上げているサヘル諸国や、コンゴ、モザンビークのような地域や、ヨーロッパやトルコをはじめとする世界各地で人員・資金の調達や広報活動に従事している者たちにとっては、今般死亡したアブー・ハサンも後任のアブー・フサインも、姿も声も現さない「正体不明」の者たちだ。相次ぐ代替わりにより、「イスラーム国」は統制のとれたテロ組織、政治・社会運動ではなく、単なる異教徒・背教者殺しを正当化するための看板としての性質をますます強めるだろう。新しい自称カリフがどのように活動するかは大切な観察点ではあるが、なるべく視聴者の心身の健康を害さない方針で広報をしてほしいとは思う。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

髙岡豊の最近の記事