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イラク:誰がアメリカ人を殺害したのか?恐怖の伝言ゲームの顛末

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:ロイター/アフロ)

 日本では全く報道されなかったが、2022年11月7日にバグダードのカッラーダ地区で開発団体で英語教員を務めていたスティーブン・トロール氏(アメリカ人)が殺害された。バグダードのカッラーダ地区と言えば、かつては多数が死傷する事件も含め連日のように攻撃・爆破事件が発生し、「その筋」ではおなじみの地名だ。最近、バグダードの治安状況はイスラーム過激派などの武装勢力による襲撃よりも、イラクの諸党派による抗議行動の暴徒化や民兵の動向が世間の関心事となっているが、それでも邦人も含む外国の民間機関・民間人が殺害されたとなると、本来はもっと重視され、注意喚起くらいはした方がよさそうなものだ。そうするためには、実行犯やその意図や動機を知ることが何よりも大切な作業となる。かくして、「どこかから犯行声明が出ないものか」との期待はいやおうなしに高まった。

 そんな機運を知ってか知らずか、2022年11月8日夕刻に待望の(?)「犯行声明」が出回った。ところが、この「犯行声明」、21世紀も5分の1が過ぎた現代において、「報道発表」なる「初歩的な」経路で出回ったらしい。筆者が知る限り、「犯行声明」の全文はいかなる媒体にも出回っておらず、専ら「報道発表」を受け取った(らしき)報道機関の報道や引用がその内容を知る材料となった。もちろん、「犯行声明」の名義を確認できるような情報も公開されていない。その結果、「犯行声明」は事態をなんだか妙な物語へと導く恐怖の(?)伝言ゲームの素材であるかのような数奇な運命をたどった。「犯行声明」についての報道が出回った時点で、この作品の名義は「洞窟の仲間たち隊(Saraya Ahl al-Kahf)」ということになっていた(写真参照)。

写真:汎アラブ紙『シャルク・ル・アウサト』のツイッターで出回った報道。
写真:汎アラブ紙『シャルク・ル・アウサト』のツイッターで出回った報道。

 報道によると、「犯行声明」は2020年1月にアメリカ軍が殺害したイランの革命防衛隊エルサレム軍団のスライマーニー司令官とイラクの民兵組織の人民動員隊のムハンディス副司令官の件の報復である旨主張したそうだが、原文が出回っていない以上これをこちらで確認するすべはない。また、このような名称の団体がイラクでアメリカ軍をはじめとする外国権益を攻撃した事例は初めてと思われる。それが、時間を経るにつれて報道やSNS上の書き込みで「犯行声明」の発表者を「洞窟の仲間たち(Ashab al-Kahf)」と記載する記事が増えてきた。こちらについては、数年前から主にイラク南部でアメリカ軍の兵站車列を攻撃したと主張する声明や動画を発表しており、筆者にとっても「おなじみさん」だ。一説によると、「洞窟の仲間たち(Ashab al-Kahf)」は2000年代にサドル派の民兵「マフディー軍」から分派した「アスハーブ・アフル・ハック(Ashab Ahl al-Haqq 敢えて邦訳するなら真実の民連合か?)」の配下だそうだ。「アスハーブ・アフル・ハック(Ashab Ahl al-Haqq)」はシーア派の民兵・政治組織として国会議員も輩出している有力団体だ。昨今、イラクの政治・治安分野で取り沙汰されるシーア派の民兵や武装勢力には、諸派の実態を考えることなく「親イランの」という枕詞がつけられるが、「アスハーブ・アフル・ハック(Ashab Ahl al-Haqq)」も例外ではない。ここで、トロール氏の殺害事件を「親イラン」派の犯行ということにする物語へと収斂する恐怖の(?)伝言ゲームが発動した。既にこの記事を読むのにうんざりしている読者が居られると思うが、事件の「犯行声明」について出てきた団体名はよく似ていて紛らわしい。「洞窟の仲間たち隊(Saraya Ahl al-Kahf)」という活動実績も正体も不明の名称が、既存の「洞窟の仲間たち(Ashab al-Kahf)」と混同され、それがさらに「アスハーブ・アフル・ハック(Ashab Ahl al-Haqq)」と結びつけられ、「親イラン」派との印象と結びつけられたのだ。ちなみに「洞窟の仲間たち」とは、元の綴りがAhlだろうがAshabだろうが、迫害を逃れて洞窟に隠れたところ、本人たちはわずかな時間隠れていたつもりが実際には300年ほど経過し、迫害のない世の中になっていたというキリスト教の奇跡譚で、イスラームではアッラーの奇跡としてコーランで言及されるお話だ。

 こうして、「アメリカ対イランの民兵」の対決構図に落とし込まれたトロール氏の殺害事件は、2022年11月9日にシリアのアブー・カマール通過地点で発生した、燃料輸送車列に対する爆撃事件とも絡みついた。この攻撃の実行者は不明のままだが、爆撃で死傷した者たちは「イランの民兵」の者たちだと広く報じられている。アメリカ人が殺害されたことへの反撃なり報復として、アメリカ軍がシリアを舞台に「イランの民兵」を攻撃したという一続きの物語が成立した、ということだ。

 観察している側としては、比較的活発に活動している「洞窟の仲間たち(Ashab al-Kahf)」が本件について何の発表もしないというのは非常に気分が悪い所なのだが、2022年11月13日に同派から事件について言及するなんだか不思議な文書が発表された。それによると、「数日前にバグダードで外国人1人が殺害された件について、我々はこの暗殺事件を実施したとの声明を一切発表していない」とのことだ。「やったという声明を発表していない」という変な言い回し、つまり「やってない」とは一言も言わない思わせぶりな文書だ。しかも、この文書、イラク政府に対し、イラクを舞台に怪しげな活動を続けるアメリカ軍、NATO軍、それを隠れ蓑にしてイラクに入り込むイスラエル軍の活動をやめさせろと要求したり、やはり反イラク破壊活動やイスラエルの浸透の隠れ蓑となっている各種の援助・開発・教育団体、美術や演劇関係の学部や専門学校を監視しろと要求したりしている。その上ご丁寧に、「二人の司令官(スライマーニー、ムハンディスの両名を指す)の件を忘れてはならない」との一文まで挿入されている。どうやら、「洞窟の仲間たち(Ashab al-Kahf)」はトロール氏殺害事件やその後の情勢推移と関連付けられたことに「まんざらでもない」ご様子だ。こうして、様々な憶測や意図的な勘違いや単語の置き換えによって、「アメリカ対イランの民兵」の戦いに新たな挿話が付け加えられたのだ。

 もっとも、トロール氏の殺害事件には、「アメリカ対イランの民兵」の対決物語の一コマとして眺めているだけでは済まない側面がある。というのも、「洞窟の仲間たち(Ashab al-Kahf)」はイラクにおける外国(特に西側諸国の)援助・開発・教育団体や、美術・演劇関係の教育機関の活動にあからさまな不快感を表明しているからだ。これらの団体・活動に関与してイラクで活動している邦人や企業は、今や少数ではないはずだ。イラクで政治的な理由で邦人の生命・財産が損なわれた事件はこれまでも複数発生しており、それなりに有力な団体による情報の発信はないがしろにできない。だからこそ、今般の様に印象論に基づくかのように特定の事件を特定の物語の一幕へ収束させてしまうような処理のやりかたは望ましくない。事態は、「件の“報道発表”の名義を確認するために原文を見せろ」という些細なこだわりよりもはるかに大ごとになっているのだ。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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