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スウェーデン、フィンランドのNATO加盟問題はシリアにおける侵略・占領をチャラにする?

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:ロイター/アフロ)

 2022年初め、トルコのエルドアン大統領はシリア北西部に「安全地帯」を設置し、そこにトルコに滞在するシリア人移民・難民約360万人のうち100万人ほどを「自発意志に基づき」移送すると発表した。エルドアン大統領はこの構想に関し、「安全地帯」に住居や社会基盤を建設するための国際的支援の継続を希望した。トルコが2016年以来シリア領を繰り返し侵略し、シリアにおけるアル=カーイダであるシャーム解放機構を含む配下・連携相手の武装勢力を通じてシリア領の広範囲を占領していることは周知のことである。占領や「安全地帯」設置の目的は、クルド民族主義勢力(こちらはシリアを占領・分割するためのアメリカの提携勢力)をトルコ領から遠ざけること、トルコ国内のシリア移民・難民を移送すること、トルコ領の外部のシリアの「反体制派」の居場所を作ることである

 トルコにとっては約360万人のシリア移民・難民の保護・サービスの提供・統合、そして何よりも彼らがEU諸国に向かうことを抑え込むという重大任務は大変な負担である。また、トルコにとってシリアにおけるクルド民族主義勢力は、長年トルコに対する武装闘争を続けてきたクルディスタン労働者党(PKK)と同じ存在なので、これを越境軍事作戦で討伐したり、同党に対する物理的な障壁や「安全地帯」を建設したりすることは不可欠な政策である。つまり、トルコがシリア領内の占領地に「安全地帯」を築いてそこにトルコ在住シリア人を移送するという構想は新しくも珍しくもない。ただし、他国の領域を占領してそこの人口構成を変えてしまうことが、「法の支配に反する力による現状変更」であることは、ロシアによるウクライナ侵攻に対する欧米諸国の反応を見れば明らかである。また、「安全地帯」に移送されるはずのシリア移民・難民についても、全員が「安全地帯」の出身者のわけではないし、仮にそうだとしても地縁も血縁もない所に建設される住居や社会環境に「入植」させられることになるだろう。当然ながら、彼らを「入植」させるためには既存の住民からの土地や権利を奪うことが欠かせない。しかも、トルコ以外の所に在住しているシリア難民・避難民のうち、「安全地帯」設置予定地に縁故や権利を持つ者たちは構想からは完全に除外されている。要するに、トルコによるシリア領内の「安全地帯」設置構想は、シリア移民・難民のためにも、シリア人民のためにもいい結果が望めない構想だということだ

 現在、かつては「最悪の人道危機」として沢山の報道機関や記者たちが一生懸命記事を書いたシリア紛争についても、シリア移民・難民についても関心を持つ者はほとんどいなくなった。たまにこれについての記事を見かけることがあっても、多くは「カワイソーな難民」として紛争の災禍や「独裁政権」の暴虐を訴える俳優さんとして、ちょっとした降雨や火災でも壊滅的な被害を受ける「難民キャンプ」に暮らす役割をあてがわれた人々についてのもので、紛争や移民・難民問題の全貌や実態に迫るものには見えない。

 このような状況で危惧しなくてはならないのは、「安全地帯」建設の問題がスウェーデンやフィンランドのNATO加盟問題と連動させられ、シリア紛争やシリア人民の苦境、そしてシリア領に対する侵略・占領・入植が上記両国のNATO加盟のための取引材料とされ、シリアやシリア人民の権利が犠牲にされかねないことだ。実際、エルドアン大統領はスウェーデンの首相との電話会談でPKKなどへの支援停止と対トルコ武器禁輸措置の解除を要求した。後者の措置は、2019年のトルコによるシリア領への侵略と占領への制裁措置である。従って、スウェーデン、フィンランドのNATO加盟のためにトルコの要求に応じ、この両国以外にも「国際社会」と称するものが「安全地帯」建設のための支援をしてしまうと、まさにヨーロッパの国の利益を実現するための負担がシリアとシリア人民に転嫁されることになってしまう。既に、ヨーロッパ諸国は様々な問題で本来生じないはずの負担を他国に被らせたり、自らが負うべき負担を他国に転嫁したりしてきた。長年イスラーム過激派の有力扇動家を「政治難民」として庇護して自由に活動させてきたことが前者の例である。ヨーロッパ諸国にとっては中東の「独裁国家」群に抑圧されている人々を保護することであっても、その中には「イスラーム国」の「戦略」の提唱者であるというストーリーの主役であるアブー・ムスアブ・スーリーらが含まれた以上、ちゃんとした検証が必要な問題である。また、本来ヨーロッパ諸国が自国内で取り締まるべきシリアやイラクでの「イスラーム国」などへのヒト・モノ・カネの送り出しを長期間放任し続けたことが後者の例である。

 筆者はスウェーデン、フィンランドのNATO加盟問題について、この両国やトルコのいずれの肩を持つべき立場にはない。しかし、本件についてのトルコの態度や、シリアにおける「安全地帯」建設問題が本件の取引材料とされそうな気配はからは、「トルコが条件闘争をしている」という軽薄な解釈や分析では済まないように思える。トルコの態度には、ご都合主義的に正義や法や人権を振りかざし、様々な負担を自分たちに転嫁しているという、トルコに止まらない中東人民全般が抱くヨーロッパ観の一端が反映されているようでもある。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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