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レバノン:シリア経由でのヨルダンからの電力供給合意に調印

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:ロイター/アフロ)

 2022年1月26日、レバノンのベイルートにてレバノン・シリア・ヨルダンの電力部門を担当する閣僚がヨルダンの電力をシリア経由でレバノンに供給する事業についての合意に調印した。調印のためにシリアとヨルダンから担当閣僚がレバノンを訪問したわけだが、調印に先立ちレバノンのアウン大統領ミーカーティー首相との会談もセットされ、大統領と首相がシリアとヨルダンに謝意を表明した。

 シリア紛争なり、シリア・アラブ共和国の外交関係なりの観点からここまでの展開を観察すると、この事業が端緒についた2021年9月のレバノンとシリアとの間の合意の際にも指摘したとおり、紛争でのシリア政府の勝利・国際場裏への復帰を象徴するできごとである。少なくとも、レバノンのエネルギー事情を考慮し、それに基づいてレバノン人民の生活の安寧を確保しようとするのならば、シリアにおける「革命成就」も「体制転換」も完全なる夢物語である。様々な社会集団・政治勢力が混在し、それらが各々「スポンサー」となる外国と結託しているレバノンにおいて、シリアとの関係は現在も相当な配慮を必要とする問題ではあり、2021年9月以降も閣僚の交流はレバノンの「親シリア」勢力出身の閣僚による非公式なものに限られていた。しかし、さすがにガス・電力の供給事業に関する要人往来ならばレバノンとしても決して邪険にできないという意味で、近年取りざたされているシリアのアラブ外交場裏への復帰の流れを反映した動きとなった。

 電力供給の合意調印に際し、関係閣僚らはこれをアラブ諸国の協力の象徴であると表明し、当初想定されていた期間よりも短期間のうちに準備が整ったと自賛した。合意によると、ヨルダンからレバノンに対し1日当たり250メガワット時の電力が、経由地のシリアの送電網安定のため18メガワット時の電力が供給される。レバノンに対する電力供給量は、現在レバノンの電力公社が供給可能な1日当たり2時間の通電時間を、2時間程度延長する効果をもたらす。となると、レバノンのエネルギー事情の抜本的な改善にはまだほど遠く、エネルギー供給事業としてはエジプトからヨルダン・シリアを経由してレバノンの発電所に対して天然ガスが供給されることがより重要と思われる。こちらの事業については、天然ガスの供給がアメリカによる対シリア制裁の対象から免除されることを確認した上で合意に調印するという段取りのようで、早ければ2月にも調印式があると見込まれている。電力供給についても、合意調印により直ちに電力供給が始まるわけではなく、レバノンが世界銀行と交渉して料金支払いのための資金を調達する必要がある。また、経由地であるシリアが得るであろう対価にしても、今般の調印に際して公表された電力供給量はあくまで送電に必要な技術的な量な可能性もあり、対価の全容については貿易やシリア難民・避難民の帰還問題も含むレバノン・シリア・ヨルダン間の往来、アラブ連盟へのシリアの復帰問題なども視野に入れて評価しなくてはならないだろう。

 繰り返すが、今般の事業がたとえ合意に調印したという紙の上だけの事業に終わってしまったとしても、その昔トランプ政権の高官が語った「アサド政権を孤立の箱に閉じ込め続ける」という状態は完全に解体された。また、本当にそんなことをしようとしても、早晩レバノンで「人道危機」が生じ、多数がレバノンから脱出するような事態にもなりかねない。レバノン人民については、シリア人民よりも西側の先進国などの外国籍を保有している者の割合が高いかもしれないので、レバノンからの人口流出は西側諸国に「移民・難民危機」とはまた違った形での社会的影響を及ぼす可能性がある。いずれにせよ、アメリカの都合に応じて個別の事案ごとに制裁対象に含むかそうでないかを判断するようなやり方は、対シリア政策としても、今般のようなレバノンの危機への対応としても、やっぱり遅すぎて、しょぼすぎるのである。また、アメリカを抜きにして考えても、今般の事業に関与する諸国を含むアラブ諸国の外交では、仰々しく合意を締結したり資金の拠出を表明したりしても、その後の具体的な成果や行動が全く続かないということがよくある。レバノン人民、そしてシリア人民の苦境が少しでも緩和するよう、実際にレバノンに電力が供給されたという記事をなるべく早く見たいものだ。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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