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イスラーム過激派:アラビア半島のアル=カーイダ指導者の消息は?

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:ロイター/アフロ)

 2021年4月8日、アラビア半島のアル=カーイダ(AQAP)は同派の指導者が逮捕され、副指導者が殺害されたとの国連の報告書を「完全に否定する」との趣旨の声明を発表した。国連の報告書とは、2021年2月4日に発表された、「2020年10月にイエメンのマフラ県での作戦で、AQAPのハーリド・バータルフィー指導者を逮捕、副指導者のサアド・アーティフ・アウラキーを殺害した」との内容のものである。その後、AQAPは問題の報告書について否定するでもなく、逮捕・殺害されたことになっている幹部の消息に触れる情報を発信するでもなく、「ぼんやりと」活動を続けてきた。AQAPは、2021年2月10日に問題のバータルフィーがアメリカ議会議事堂への突入事件に言及する演説の動画を発表していることから、これをもって「事実上の」否定とみなすこともできなくはない。ただ、テロ組織であるAQAPにとって、指導者が逮捕されたなどとの重要な情報をこのような形で「なんとなく」否定するのはあまり格好のいいことではない。つまり、同人が逮捕されたはずの2020年10月以降に何か目覚ましい「戦果」をあげ、それについて指導者自身が発表する動画を配信するなど格好よく情報を否定してくれないと、たとえ指導者の逮捕情報がガセだとしても、テロ組織としてのAQAPの力量が最盛期とは比べ物にならないほど低下しているという事実までは否定できないのだ。

 そのようなわけで、2月に出回った報道を4月になってようやく否定するようでは、AQAPが戦場でも広報でもたいした活動ができていないと判断する材料が増えただけということになる。逮捕を否定する声明は、「国連は元々西側諸国に奉仕する機関であるし、それに止まらず情報を捏造する機関であることが明らかになった」と悪態をついた。また、バータルフィー逮捕の情報を報じた報道機関に対し、「中立性や信頼性を主張するならば、逮捕を否定するこの声明についても報道するとともに、国連の疑わしい役割や偽情報を発表した目的について取材・報道すべきだ」と注文を付けた。管見の限り、AQAPの今般の声明は、主要な報道機関は取り上げられていない。AQAPについては、同派の過去の実績に鑑み今後もその危険性を軽視してはならないのだが、現時点では同派の広報活動どころか、個々の幹部の生死や消息についてもイスラーム過激派の支持者・ファンも含む世間の関心を惹きつけるものとはなっていない。

 その一方で、バータルフィーの消息についての顛末は、イスラーム過激派の観察において看過できないできごとである。つまり、国連や各国の捜査・諜報機関は、筆者のような観察者は無論、大手の報道機関や有能な記者をはるかに上回る資源を持っており、それを用いて膨大な情報を持っていると信じられているが、それらの機関が発信する情報が「いつも正確」だとは限らないということを改めて意識すべきだということだ。2003年にイラクを攻撃する大義名分としてアメリカの国務長官が国連安保理で報告した「フセイン政権とアル=カーイダとの関係」や「イラクの大量破壊兵器」についての情報のほとんどが正しくなかったように、国家権力や諜報機関が提示する情報の信頼性は、イスラーム過激派関連に限った場合、あくまで相対的なものである。また、たとえ国家・国際機関・その他公的機関といえども、これらが自らに有利な環境を醸成するために意図的に「正しくない」情報やストーリーを流布し、イスラーム過激派への観察・分析をゆがめてしまう可能性にも注意が必要である。上述の通り、バータルフィーの逮捕を否定するAQAPの声明はほとんどの報道機関で取り上げられていない。となると、同人が逮捕されたとの報道にだけ接した読者・視聴者は、今後AQAPの実態について不正確な情報を持ち続けることになりかねない。AQAPを含むイスラーム過激派の広報活動を鵜呑みにし、それに過剰反応するのは極めて有害なことなのだが、それでも観察対象が発信する情報を日々精読することは、分析の基本中の基本であることには変わりがない。イスラーム過激派の観察は、虚偽情報や世論誘導工作がどのような主体からでも生じうるという、不健康な環境の下での作業である。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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