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「非常事態」の効能と弊害

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:ロイター/アフロ)

はじめに

 中国発の新型コロナウイルス禍により、世界各国で多数の感染者・死者が出ている。検査や、経済活動・ヒトの移動への規制、感染情報の開示などについての各国の対応はまさにバラバラであるが、どれが「正解」かはまだ定まっていないようだ。また、個々の国で制度も法規も異なるため、「正解」があったとしても一律で実践される見込みもなさそうだ。そうした中、「戦時」・「非常時」・「国難」を宣言し、強権的・強制的な規制を科し、違反者を処罰する・・・などなどの方針で臨む当局や為政者の人気が上がり、強権的な措置への待望論もあるようだ。

 そこで、本稿では、「戦時」・「非常時」・「国難」と、それを乗り切るための強権的措置の実践では人類史上群を抜いて経験豊富な中東諸国を例に、その効能と弊害について考察する。なお、「非常事態令」で具体的に規定されている事柄については、中東某国で1963年~2011年まで施行されていた条文を参照した。

効能について考える

 本稿執筆のために参照した某国での非常事態令では、一度それが宣言されるとその間の国政を担う執政官や行政府に強大な権限が付与される。これによって、以下のような様々な措置が可能となる。

*集会・居住・移動・交通の規制、容疑者・治安と秩序を脅かす者の予防的逮捕、いつでも個人や場所を捜査する、そうした業務を人に任せること

*あらゆる信書・通信・新聞・報道・編著・絵画・印刷物・ラジオ・広告・全ての表現手段の事前検閲、発行禁止、印刷所の閉鎖

*公共の場所の開放・閉鎖の時間決定

*特定の場所の無人化・封鎖、移動の手段の指定、通信規制

*あらゆる動産・不動産の接収、企業・機関の封鎖、債務繰り延べ

*上記にかかる諸般の命令に違反した場合の罰則の決定(一応上限の規定もある)

 この非常事態令、もちろん今般のような疫病の蔓延に対応するために定められたものではない。しかし、他人に感染を広げる可能性を考慮せずに遊び歩く者、帰省する者、生活必需品を買いだめする者、買いだめを誘発する偽情報を流す者、あれこれ言い訳してだらだらと出勤し続ける者・・・などなどを文字通り「封殺」するのに効果抜群のようにも感じられる。

弊害について考える

 しかし、効果が期待できるということは弊害や予想外の副作用があるということと表裏の関係である。筆者が訪れた中東諸国でも、複数の国は上記の非常事態令と類似の「非常事態・戦時」が宣言されており、実は夜間外出が禁止だった所も複数あった。つまり、筆者も地元の人々も、「非常事態」がすっかり常態化した環境で、本当は「外出禁止」に違反した咎でいつでも逮捕されたり、撃ち殺されたりする危険を自覚すらせずに夜遊びを楽しんでいたことになる。弊害として最初に意識すべき点は、官憲の側に強大な権力・権限が付与され、禁止事項などの順守・違反の判断を、取り締まる側が恣意的に選択してよくなることだ。当局にとって都合のいい娯楽の集会や奉仕活動はよいが、そうでない政治集会や抗議行動はダメ、というのがその典型例だろう。この場合、官憲の一員だったり、彼らと親密な関係を築く機会があったりする者は有利な待遇を享受でき、そうでない者は必要もないのに厳重に処罰されるという状況が生じる。本邦においては、公務員、特に現場の警官はちびっこのあこがれの職業かもしれないが、中東諸国の多くでは、公務員、特に現場の警官は、上部の権力に弱く、身内にえこひいきし、わいろなどで庶民にたかる、文字通り「人民の敵」である。これが、汚職やイスラーム過激派などの深刻な犯罪を取り締まる上でものすごい弊害であることは言うまでもない。

 ヒトの移動を規制したり、情報を監視したりするのに、膨大な人員と巨大な機関が必要になることも、弊害の一つだろう。広報活動を抑えることはイスラーム過激派対策の要諦の一つだ。しかし、彼らが発信する情報を「事前に」捕捉したり、発見後ただちに削除したりするには、それとは無関係な情報や発信者が常に監視されることになるし、ちょっとした発言であらぬ嫌疑をかけられるものが無数に出ることになるだろう。そこで、イスラーム過激派の広報に対しては「あらかじめ口をふさぐ」ではなく、「発信しても流行させない」という対抗策をとることになる。伝染病関連でも、デマや扇動の「発信そのものをさせない」ことを望むと、膨大な資源を投じて情報や言論を監視しなくてはならなくなる。天然資源からの収入に恵まれてでもいない限り、経済的にこのような負担に耐えられる国は少ない。また、本邦でも個人の移動手段と経路、立ち回り先についての情報を集計したものが当たり前のように用いられている。その一方で、「あの便利な道具」が、いつ、どのように、どこに出かけ、どんな買い物をしたのかを、様々な企業や団体に正直に報告する恐るべき密告者だということを意識している利用者がどれだけいるだろうか。

おわりに

 「テロリズム」は人類の政治的行動様式の一つであり、それと戦争することは目標も成果も具体的に提示できない終わりのない戦争であるのと同様、ウイルスと戦争してもその行方は心もとない。死者がゼロになったら勝利・終戦だろうか?感染者ゼロだろうか?それとも、ウイルス感染防止のために係る規制や費用がゼロになったときだろうか?中東諸国の多くでは、「非常事態」、「戦時」が常態化した挙句、当局の権力が肥大化し、人民の権利・生活水準の向上の足を引っ張る結果に終わっている。「非常事態」や「戦時」と、それに伴う動員が常態化・永続化するのは勘弁してほしいのだが。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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