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「イスラーム国」と新型コロナウイルス

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:ロイター/アフロ)

 「イスラーム国」が、新型コロナウイルスの流行に対処するための指針を発表したというニュースが出回っている。この話題、個人的な会話のネタとしては本当に「オイシイ」というのは筆者も認めるところであり、実際「オイシク」使わせてもらっている。しかし、その程度のネタを大手報道機関や一般公開のSNSで話題にしても、それが「イスラーム国」とその仲間をバカにするための「カウンターナラティブ」なるものとして効果があるとは思われない。この話題に接し、そのダメさ加減を理解すべき対象は別のところにいる。そのため、この話題を敢えて「激辛」なり「健康を害する苦さ」の水準の論評を加えてご紹介したい。

神罰から対策へ

 「恐れない、カネ出さない、利用しない」に「ネタにしない」を加えることが、「イスラーム国」を含むイスラーム過激派対策の要諦であるというのが年来の筆者の主張である。イスラーム過激派、特に「イスラーム国」の広報部門やその協力者には、日永一日、何かの方法で世界中の流行の話題を渉猟している者が少なからずおり、自分たちの益になるように利用しようと努めている。それ故、イスラーム過激派の害悪を軽減するためには、彼らが発信する情報に対し、「早く見つけた・早く翻訳した」競争をするのではなく、そうした情報についてなにがしかの分析や論評を付し、社会的影響を抑え込む方針で臨まなくてはならない。

 「イスラーム国」は、2020年3月12日に出回った週刊のアラビア語機関誌にインフォグラフィック記事を掲載し、新型コロナウイルスの流行について「伝染病に対するイスラーム法(シャリーア)的指針」と称する指針を提示した。指針は、それぞれコーランや預言者ムハンマドの言行を根拠に、伝染病にどう対処すべきかを列挙している。具体的には以下の通りである。

*諸般の病気はそれ自体が害悪なのでなく、アッラーの力によってそうなっていると信じるべきだ。

*アッラーに委ね、諸病からのご加護を願うこと。

*諸病を予防し、避ける手段をとるべきである。

*(諸病に)感染していない者は感染地に入らないように。感染者は感染地から出ないように。

*くしゃみやあくびの時は口を覆うこと。

*容器や水入れを覆うこと。

*水入れに浸す前に手を洗うこと。

 これだけ読んでいると、「イスラーム国」が占拠地や組織の構成員を疫病から守るために何か対策を講じたかのように見える。これらの指針のうち、(未感染者は)感染地に入らない、(感染者は)感染地から出ないという助言が、一部で「イスラーム国」による「出入国規制」であるかのように解釈されたようだ。しかし、個々の紛争をイスラーム共同体全体の問題と認識し、国家や地域を超越して資源を調達することが、イスラーム過激派がイスラーム過激派である重要な要件・特徴の一つなので、今やほぼ全世界に新型コロナウイルス感染が及んでいる以上、本当に「出入国規制」が実践されたらイスラーム過激派自身にとって大打撃になるだろう。

届かなかった祈り

 しかし、このネタを持ち出すのならば、「イスラーム国」の機関誌の当該の号だけでなく、その20日ほど前に出回った号にも言及すべきである。その号には新型コロナウイルス流行についての論考が掲載され、新型コロナウイルスの流行を「不信仰の国家中国」にアッラーがもたらした災厄であると、自らに都合よく解釈した。その上で、アッラーに多神崇拝者が被っている災厄からムスリムを守るよう祈願して論考は結ばれている。

 このような思考様式は、実は「サラフィー主義者」と呼ばれるムスリムの中の思想・政治潮流の唱道者・支持者の間で共有されていたもののようだ。「サラフィー主義者」達は、新型コロナウイルスの流行がムスリムに及ぶと、それを信仰心を試す試練であると主張するようになった。「指針」で疫病予防や回避のための手立てを論じる前に、疫病がアッラーの力によるものと認識し、その害悪を避けるためにアッラーに祈るよう勧めていると点は、「イスラーム国」が拠って立つ思想・論理的潮流を如実に示している。

 疫病がなぜ人類に災厄をもたらしたかどうかはともかく、「イスラーム国」による「ムスリムだけは無事でありますように」との祈願はかなわなかったようだ。

国家ごっこは誰のため?

 新型コロナウイルスの流行は、「グローバル化」でヒト・モノ・カネが地域や国家を超越して移動していた社会を、数十年前に退行するかのように「国家」を単位とした移動規制へと引き戻した。これは、「イスラーム国」が派手に宣伝した「国境破壊」のまさに逆を行く事態の展開だ。本当にヒト・モノ・カネが流通しないといちばん困るのは、実はそれらを世界中から調達しているイスラーム過激派だ。それを承知で、既存の国家・国境を前提とした移動規制に従うか否かを表明しない中途半端な「指針」なるものを発信しても、それは「イスラーム国」の自家撞着を実証する材料に過ぎない。それを、あたかも同派が「国家」のごとく振る舞って「旅行規制」を発したと報道することは、「イスラーム国」とそのファンを喜ばせ、彼らが国家ごっこを続ける余地を提供することに他ならない。「イスラーム国」を含むイスラーム過激派が絶滅し、人類にとっての危険要素が一つでも減って失業することこそが筆者の目標である。しかし、いつまでも「イスラーム国」の国家ごっこを応援し、何かの足しにしようとしている個人や団体は思いのほか多いようだ。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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