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「イスラーム国」の犯行声明がもたらした奇妙な安寧

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
「イスラーム国」の食事

「イスラーム国」待望論

 2019年4月21日、スリランカで教会やホテル複数が爆破され、多数が死亡した。スリランカの当局は、攻撃の数や質、実行者の身許の確認をする前から「国際的組織」の関与を疑い、その結果「国際的組織」すなわち「イスラーム国」のようなイスラーム過激派が事件について何か情報を発信するのを待望する雰囲気が醸成された。23日、そうした「期待」に応えるかのように「イスラーム国」が「犯行声明」なるものを発信したのだが、これにより、不思議な倒錯状況が生じてしまった。

 これに限らず、ほとんどの犯罪について、「事件の発生→捜査・分析→事実の解明」となるのが通常の展開であろう。事件を起こす側からすると、「企画・準備→実行→戦果の確認→広報」となるべきところである。ところが、今般の事件は、「事件の発生→予断・憶測→“犯行声明”→予断に沿った捜査・事実の解釈」となってしまい、「イスラーム国」にとっては「周囲の期待→“犯行声明”の発表→事件を活用した広報」へと展開していったのである。「犯行声明」の内容やそこから生じた倒錯状況は、別稿でまとめた。

 この種の事件については何度でも確認しなくてはならないことは、「犯行声明」が本物であることと、内容が事実(特に犯人しか知りえない事実を含んでいる)かは全くの別問題だということだ。つまり、権威や名声のある団体(この場合は「イスラーム国」)が「本物の」声明を発表したからと言って、そこでの記述が全て事実とは限らないのである。まったくの虚偽、という声明はさすがに近年見かけないが、ただ既存の報道をなぞっただけ、という声明が実はとても多い。スリランカの事件について「イスラーム国」が発信した作品群も、声明、動画、数日後に出回った週間の機関誌の記事に至るまで、極めて内容が薄い。ここから、「イスラーム国」の関与の程度についてはそれほど高くないとみられる。「犯行声明」や機関誌の執筆者たちは、おそらく計画の内容も事件の全貌も知らないだろう。つまり、捜査機関・報道機関・専門家が考えなくてはならないのは、「イスラーム国」が事件の企画・準備・実行、スリランカという場所の選定、その後の広報の段取りでどの程度指揮・命令系統を機能させたかであって、「犯行声明が出た」ことによって「イスラーム国」の仕業として思考を停止させることではない。残念ながら、多くの関係者は後者に近い行動様式を採用したため、「イスラーム国」はすっかり味を占め、4月27日の時点ですでに摘発に伴う戦闘にまで、報道を引き写しただけの「犯行声明」を発信するようになった。スリランカの事件とその後の反応は、衰退・壊滅期の「イスラーム国」にとって格好の活力源を提供してしまった。

 「イスラーム国」の思考・行動の様式を模倣する者たちによる犯罪行為が多発する、という現象を「イスラーム国」現象と呼ぶならば、同じような現象は既に10年以上前に「アル=カーイダ現象」として発生している。ここでは、犯罪実行者たちは「イスラーム国」やアル=カーイダとの組織的・人的接触が皆無でも、その名称を名乗るだけで何か政治的影響の大きいことができる。しかし、「イスラーム国」現象/アル=カーイダ現象には、別の側面もある。それは、「イスラーム国」ならば理解し難い無茶なことをしても仕方がない、という風に納得し、事態を「影響や思想の拡散」という客観的な実証や分析が困難な問題へと転化して事実関係の確認を怠る、という捜査機関・報道機関・専門家の側の反応である。こうした反応は、「テロリストの行動やメッセージに政治的・社会的な意義を付与する」という意味で、テロリストの幇助行為である。

 もし「イスラーム国」が重大な脅威ならば、それを解消し、二度と流行しない方策を講じるのに貢献することこそが分析や解説の役割となろう。読者諸賢には、この雑文はそうした役割を果たそうとする試みの一環であることをご理解いただきたい。

「イスラーム国」の“拡散”についての重大な誤解

 バングラデシュでの襲撃事件(2016年)の際もそうだったが、この種の事件が発生すると、アジアの特定の国に(イラク・シリアから)「イスラーム国」の工作員が派遣されたり、「思想」なるものが意図的に流布されたりして、特定の国が「狙われている」という趣旨で脅威を煽る論考が多数発信される。しかし、イラク・シリアのように「イスラーム国」が占拠していた地域が人員などを「拡散させる」出発地点だと認識するのは、同派の「拡散」について分析する上で致命的な誤りである。

 「イスラーム国」をはじめとするイスラーム過激派は、2011年~2015年にかけて、世界中からイラク・シリアに多数の合流希望者や資金・物資などを引き寄せた。これは、イラク・シリアのイスラーム過激派に向けて世界中からヒト・モノ・カネが供給されるようになった2011年から、「イスラーム国」の勢力がピークだった2015年ごろまでには、人員を勧誘・教化したり、資金などを調達したり、広報に協力したりする者が世界中に広まり、それなりのネットワークを構成して活動していたことを意味する。こうした活動が放任・黙認されていたからこそ、イラク・シリアのイスラーム過激派に向けて「100カ国以上から4万人」ものヒトの移動が可能となった。2015年ごろから顕在化した、“「イスラーム国」が拡散した結果としての世界各地でのテロ”なる事件も、「イスラーム国」への戦闘員の送り出しが多数だった実績のある諸国で「のみ」発生しているので、本当のところ問題は「拡散」ではなく「帰還」である。そして、「帰還」とは誰かが「出発」しない以上決して起きない現象なので、イスラーム過激派の「出発」や、彼らの「送り出し」のネットワークを無視して“「イスラーム国」の拡散”を語っても何の救いにもならないのである。

 そうなると、「イスラーム国」による世界各地でのテロなるものは予測不可能な場所で予測不能な形で発生しているのではないことがわかる。こうした事件は、基本的に2011年以降「イスラーム国」に多数の人員を送り出した国で発生している。そうした諸国には、勧誘・教化・送り出しのためのネットワークが存在しているのがほぼ確実なので、事件の予防のためにはこのネットワークをどうするのかが重要な課題となる。しかし、バングラデシュ当局のように、世界的に注目された大事件が発生するまで「イスラーム国」への人員の送出しを「ゼロ」と主張していた当局もあるので、送り出しの実績が乏しい国でも、現状の再点検は必要不可欠である。本邦で何か対策が必要というならば、最初の一歩はこの再点検であろう。スリランカでも、今般の事件にまつわる当局の動きの悪さに鑑みれば、「2016年の推計で32人」という実績は相当な過小評価、取りこぼしの結果であることも考慮せざるを得ない。

「イスラーム国」と事件との関係

 上述の通り、スリランカでの事件への「イスラーム国」の関与はゼロではない。しかし、その程度については、「単に事件に便乗して広報活動をしてみた」から、「人員の勧誘・組織から事件の企画・準備・実行・広報まで完全に統制した」までの間で様々な形態があるはずだ。ここを解明することこそが、今後の対策や他の場所での事件予防のために必要である。以下では、この問題を考える上でのヒントを挙げてみよう。

(1)頭が悪いとテロリストになれない

 第一に、「実行犯/犯行グループは高学歴な富裕層」は当然のことである。むしろ、貧しく、ろくに教育も受けてない者はテロ攻撃に参加することすら難しい。テロリストとして組織づくり、作戦の企画・実行、広報をするには、政治・社会問題に関心を持ち、自説を他の者に納得させて仲間に引き込み、諸々の準備をし、効果的な広報をしなくてはならない。そうするためにはある程度経済的に余裕があることが必須だし、一定以上の教育水準も必須である。

 そうなると、日々の暮らしに追われて政治・社会問題に関心を持ったり、それらの問題を解決するために行動を起こしたりする余裕の乏しい、貧困や教育の欠如に苦しむ者たちは、「テロリスト」になるのではなく、「テロリスト」に勧誘され、テロ組織の末端の構成員、使い捨て要員として利用されるだけである。スリランカの事件についても、実行犯全員が貧しく教養のない者だったら、「イスラーム国」が組織づくり・企画の段階からまさに手取り足取り介入しなくてはならないので、その段階から動画や画像を残して、それを広報に使っていたはずである。貧困や教育の欠如がテロリズムを生む、のではなく、テロリストが貧困や教育の欠如を利用する、という因果関係を再確認すべきである。

(2)「イスラーム国」の広報はテキトー#1

 実は、「イスラーム国」自身が、自派の広報活動を各地で発生する事件に便乗したものに過ぎないと認めてくれている。その記述によると、世界各地で発生する同派の犯行とされる作戦は、実は組織とのつながりがない者たちばかりである。こうなると、「イスラーム国」自身が諸々の事件への組織的関与の程度を捜査機関に先んじて証明しなければ、同派が発表する「犯行声明」はどれもただの便乗広報に過ぎないということになる。それらの作品をどう解釈するかは、まさに攻撃を受ける側、犯罪を取り締まる側次第となる。「本物の犯行声明があるから「イスラーム国」の犯行に間違いない」として思考を停止することが、実態の解明や再発防止の役に立たないことは言うまでもない。

(3)「イスラーム国」の広報はテキトー#2

 「イスラーム国」は、スリランカの事件に2週間ほど先立つ4月第2週に、「シャームのための復讐攻勢」なるキャンペーン(=実態は世界中から「戦果」をかき集めて、犯行声明に“「攻勢」の一環である”と書き足すだけ)を実施して、「イスラーム国」の世界規模での機能が健在であると誇示しようとした(しかし「攻勢」と銘打たれた声明はたったの三十数件。観察する側としては、しょぼさの方が際立つ惨めなデキである)。世界的な指揮・命令・影響で「イスラーム国」の攻撃が行われているのならこの「攻勢」の一環とした方が効果は大きかっただろう。また、復活祭との関連付けもほとんどなく、ニュージーランドの事件などの時事問題との関連付けもない。

 その結果、「イスラーム国」の週刊の機関誌では、1カ月に2回も「世界中で「イスラーム国」は健在」との趣旨の論説を掲載することになった。同派の広報を日々観察している限り、スリランカの事件の計画を広報部門が事前に知っていたようには見えない。また、「攻勢」の開始と終了について、計画立案や指揮を担当する部署からちゃんとした計画や指示があったようにも見えない。テキトーと論評せざるを得ないくらい場当たり的でご都合主義的な「イスラーム国」の広報を日々ちゃんと観察してさえいれば、スリランカの事件の際にも同派の声明を「待望」したり、その記述を鵜呑みにしたりする必要はなかったはずだ。

(4)イスラーム過激派の「思想」はテキトー

 スリランカの事件の実行犯として、NTJなる団体が取りざたされている。NとはNational(=愛郷主義、愛国主義、民族主義)、TはTawhid(アッラーの唯一性を信じること)である。この二つの信条を兼ね備える、或いは調和させているイスラーム過激派ももちろん存在する。アフガンのターリバーンやソマリアのシャバーブ運動が、その代表格だろう。しかし、少なくとも「イスラーム国」にとって、このNとTの相性は最悪である。つまり、愛郷・愛国・民族という政治信条は、全てをアッラーの教えによって秩序付けるべし、という発想から見れば断固殲滅すべき多神崇拝行為なのだ。事実、「イスラーム国」はこの論理に基づきターリバーンとシャバーブ運動と交戦している。もしスリランカの事件の実行犯たちと「イスラーム国」がこのあたりの齟齬に気づかずに「昔からなかよし」だったのならば、双方とも本当は「思想」はどうでもよかったのかもしれない。

 それでも、この思想上のテキトーさを「正しい手続き」によってなかったことにする荒業もあることはある。それが、23日に出回った動画にもあったバグダーディーへの忠誠表明である。ムスリムが「イスラーム国」なりバグダーディーの正統性を認め、これまで誤りがあったとしてもそれを悔悟するのならば、それ以前のことは追求されていないようだ。つまり、バグダーディーに忠誠を表明することにより、誰がどんな思想信条を持っていて、「イスラーム国」のそれと矛盾・対立していようとも、一切合切チャラになるのだ。これは一見、「イスラーム国」を予測不能かつ無制限に「拡散」させることができる恐るべき手続きではある。しかし、これがあくまで「手続き」である以上、この程度の儀式を通じて拡散している「思想」とやらが一体何なのかという点については、観察者がもっと冷たい視線を向けるべきであろう。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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