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ジャマール・カショギって誰?

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
カショギが無条件の善玉で、サウジやトルコが悪玉、というわけではなさそうだが…(写真:ロイター/アフロ)

カショーギーの経歴・活動

 2018年10月2日、サウジ人記者のジャマール・カショギが在イスタンブルのサウジ領事館を訪問した後、消息を絶った。トルコの警察は、同人が領事館内で殺害されたと考えている。トルコの警察によると、サウジからカショギ殺害のための一団がイスタンブル入りし、事件当日中にトルコを出国したそうだ。一方、サウジ側はカショーギーの殺害を否定している問題のカショーギーなる人物、7日付のレバノン紙『ナハール』(キリスト教徒資本)によると次のような人物である。

  • カショギ(59歳)は、『ワシントン・ポスト』に執筆するなど世界的に著名な文化人・作家・記者である。同人は2017年からアメリカに滞在しているが、その理由は、同人がサウジのムハンマド・ビン・サルマーン皇太子の政策の一部や、サウジによるイエメン干渉について批判的な記事を執筆したからである。
  • カショギの活動を受け、『ハヤート』紙(サウジ資本の汎アラブ紙)は同人による記事の執筆を禁じた。また、サウジ当局は同人による「ツイッター」の利用を禁じた。
  • カショギはマディーナ市出身で、サウジ王族の富豪として知られたワリード・ビン・タラールの庇護の下、1980年代に記者としての活動を始めた。内外のサウジ資本の新聞に多数寄稿したほか、アル=カーイダ指導者のウサーマ・ビン・ラーディンと複数回インタビューを行ったことがある。カショギとサウジ政府との関係にはあいまいな点があり、サウジの諜報機関の幹部だったトルキー・ファイサル殿下の顧問を務めていたこともある。一方、2003年には「進歩的な」立場が問題視され、『ワタン』紙の編集長を追われたが、2007年に復帰、2010年に再び辞職した。
  • カショギは、ムハンマド・ビン・サルマーン皇太子が進める改革や、対立者・批判者に対する圧迫・逮捕を批判する記事をアメリカやイギリスの新聞に寄稿している。それらの中では、ムハンマド・ビン・サルマーン皇太子が進める改革を、「サウジを宗教的な極端(過激)から、逮捕や行方不明によって(皇太子が進める改革を)議論抜きで容認するという、別のモデルの極端(過激)に移行させるもの」と論評した。

何が問題なのか?

 事件について決定的な証拠や確定的な事実がないため、カショギの消息や事件そのものについての論評は控えたい。ただし、在外公館が舞台となり、外交官が当事者となって、人命や人の身の安全にかかわる事件が起きることは、事件の当事者であるトルコにとっても、サウジにとっても重大な問題で、両国から外国人や外国資本を遠ざけかねない。

 しかし、それ以上に重視すべきなのは、事件やカショギについての報道に偏りがみられることである。特に、アラビア語の報道機関については、伝統的に情報源として重視されてきた汎アラブ紙が、サウジ側の見解を報じるだけの「国営報道機関」状態と化している。これは、アラビア語の著名な報道機関が軒並みサウジ資本によって所有されていることに起因する。これに対し、日本でも著名な衛星放送である「ジャジーラ」は、この問題について連日多くの時間や紙面を割いているが、これは同社がサウジなどと係争中のカタルの広報機関としての役割を担っていることに起因する。本稿でキリスト教徒資本のレバノン紙を参照したのは、この事件に関するアラビア語の報道については「比較的まし」かもしれないという期待感に基づく。トルコ語の報道については、筆者は門外漢であり、この事件に限らず、特定の政府や機関の利害を代弁するだけの報道になっていないことを祈る他ない。

 それでは、非中東の国際的な報道機関は頼りになるか、と言えば、残念ながらそうでもなさそうだ。とりわけ、各社のアラビア語版では解説どころか事件のあらましについてもほとんど目にすることができない。実のところ、カショギの事件に限らず、主要な報道機関のアラビア語版からは2017年にサウジなどがカタルと断交して以来、カタルのニュースが否定的な内容のものを除き見出しから一切消える、という事態に陥っている。すなわち、アラビア語の報道、現地発の報道を見ているにもかかわらず、中東のことがわからない、という状態が生じているのだ。

 筆者は、シリア、イラク、イエメンの紛争について、情報の発信と受容に偏りがあると指摘してきた。たとえSNSを通じた発信でも、それが世界的に反響を呼ぶにはなにがしかの報道機関や発信媒体で大きく取り上げられることが必須である。もっと踏み込むならば、報道機関や発信媒体の背後にいる権力者や資本家の利害にかなわないものは流通経路に乗せてもらえない、ということである。こと中東に関しては、権威主義体制が検閲や出版規制をフル回転させていた時代よりも、資本や政治的事情によって規制がかかる現在の方がより不自由な状態になっているかもしれない。カショギの失踪事件は、単なる謀略や有力国間の対立、サウジ王室内の矮小な人間関係を語るネタとしてではなく、中東、ひいては世界の報道の在り方について考える機会にしたい。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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