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トルコと「イスラーム国」が360度違うこと

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

トルコのダヴトオール首相の「トルコが擁護するイスラームと「イスラーム国」が心に抱くものとの間には180度どころではなく、360度の違いがある」との発言が、失言として失笑を買った。発言の趣旨は、政治や社会の中でのイスラームの位置づけが「アラブの春」以降のアラブ諸国のお手本とももてはやされたトルコが目指すところと「イスラーム国」の振る舞いには類似性も親和性もないというところであろう。しかし、方向性が360度異なるということは、一周して同じ方向を向くということであり、日本のバラエティーでもおなじみの笑い話となってしまった。その一方で、過去4年以上の「イスラーム国」を巡る情勢を観察してみると、ダヴトオール首相の失言を笑い話のネタとして片づけるわけにはいかないところもある。

もちろん、現在のトルコの政府が「イスラーム国」のような振る舞いを肯定したり、「イスラーム国」が目指す社会に共感したりするというわけではない。また、「イスラーム国」もトルコ語の機関誌を刊行するなどしてトルコ政府や軍に対する脅迫・攻撃扇動を行っており、両者が友好関係にある、共謀しているというわけも決してない。しかし、「イスラーム国」の活動や同派によるヒト・モノ・カネなどの資源調達の動き、トルコ政府の動きの中には、両者が「同じ方向」を向いているのではないかと勘繰りたくなる場面に出くわすこともある。

例えば、イラクやシリアの紛争地で活動するイスラーム過激派諸派に合流する外国人の戦闘員、非戦闘員の人数の累計は、2014年前半の段階では80カ国以上から1万5000人、2015年前半は100カ国以上から2万人以上、2015年9月ごろの推計では3万人とされている。つまり、国連の安全保障理事会などで「イスラーム国」やアル=カーイダ(=「ヌスラ戦線」、「アフラール・シャーム」)による資源調達を阻止するための決議が累次採択されたにもかかわらず、この半年ほどの間だけでも5000人から1万人も人員が流入してしまっているのである。地理的な立地や実際に潜入した者の体験記・捜査情報に鑑みると、紛争地に流入した人員の大半はトルコを経由地としている。シリアの南隣、イラクの西隣のヨルダンもイスラーム過激派への重要な人員の供給源なのだが、ヨルダン人の潜入の事例も「イスラーム国」に合流する場合、経由地はトルコとなる。この状況を「イスラーム国」の側から見ると、トルコはサウジアラビア、カタル、チュニジア、EU諸国などで調達したヒト・モノ・カネなどの資源の通過地、組織にとっては重要な兵站拠点ということになる。それ故、わざわざトルコで組織的な攻撃を仕掛けて現地の政府や官憲と衝突すると、大切な兵站拠点の機能が損なわれることになり、トルコを公然と攻撃することは「イスラーム国」にとって合理的な選択ではない。実際、これまでトルコで発生した爆破事件などについて、「イスラーム国」の犯行声明は一切出ていない。これは、エジプト、リビア、チュニジア、アラビア半島、アフガニスタン、果てはバングラデシュに至るまでの事件で公式の「犯行声明」を発表した「イスラーム国」の行動様式に鑑みると、腑に落ちないところである。爆破事件やそれに対する社会的反響が自派にとって都合の悪いものならば、事件との関与を否定する声明を出す、という選択肢も「イスラーム国」にはあるはずだ。シリアの「反体制派」を支援するというトルコ政府の視点から見た場合でも、「反体制派」支援が「イスラーム国」を利することにならないようにトルコ・シリア間の資源の動きに対する管理・統制を強化すべき局面であるが、「イスラーム国」と直接対決する際には国内で様々な反撃を受ける危険性がある。トルコ領内での平静がトルコ政府、「イスラーム国」の双方にとって利益となっている。

シリア北部・北東部での戦闘に関しても、「イスラーム国」とトルコ政府との認識が奇妙にも一致している。この地域で「イスラーム国」との戦闘の前面に立っているのは、シリア領内のクルド人勢力である「民主統一党」(PYD)とその軍事部門の「人民防衛隊」(YPG)である。アメリカは、シリア領内で「イスラーム国」と戦う武装勢力としてまともに機能している唯一の存在とみなしてもよいYPGへの支援を強化する方針を示している。ところが、これに対しトルコ政府は「シリアのクルド人勢力はトルコの反政府武装組織、クルド労働者党(PKK)と関係がある」との立場から、アメリカなどによるYPG支援を容認しない立場である。実際、2015年7月以降トルコ軍が行っている「イスラーム国」に対する攻撃は、実質的にはPKKとの戦闘に終始している。一方、「イスラーム国」はというと、シリア北部・北東部での戦果発表で、敵をYPGではなくPKKと認識している。「イスラーム国」の声明類では、この地域での敵対者は専らPKK、せいぜい「背教者」と記載されている。つまり、トルコ政府と「イスラーム国」は、敵対者をPKKと認識している点で一致しているのである。

ちなみに、PKKとシリア北部・北東部のクルド勢力の一部を同一視、ないしは混同する見解の根拠は、1990年代のトルコ・シリアの両国の対立に見出すことができる。その当時、シリア政府はPKKによる対トルコ武装闘争を支援し、シリア領内にもシリアの治安機関の管理下でPKKのフロントとみなされる組織や個人が活動していた。1990年代後半にはシリアの治安機関によるPKK支援は打ち切られるのだが、21世紀にシリア領内で公然と活動するようになったクルド民族主義運動の活動家や政党の一部を治安機関の手先(=PKK)とみなす考え方は残ったのである。この考え方に基づくと、トルコ軍が同国の領内でPKKを攻撃することは、YPGに打撃を与える歓迎すべき行為である。

要するに、トルコ領を資源の経由地・兵站拠点として活用する「イスラーム国」と、それを本格的に抑えようとしないトルコ政府、共に「PKKを敵」と認識する「イスラーム国」とトルコ政府、という具合に、一部において両者の利害関係や認識の一部はまさに「360度違う(=つまり同じ)」のである。「イスラーム国」やイラクやシリアでの紛争について「複雑である」ことを前面に出してしまうと、ある種の思考停止状態が生じ、分析や「事態の理解」がかえって妨げられることがある。今般のような政府高官の失言という笑い話を起点にしても、情勢分析・解説として考えるべきこと、発信すべきことはたくさんある。そして、このような分析の積み重ねとして、案外すっきりと全体を俯瞰できるようになるのではないだろうか。

【参照文献】

「イスラーム国」の生態がわかる45のキーワード 明石書店

中東かわら版 2015年No.99

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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