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<ヴィッセル神戸>ダヴィド・ビジャが引退を決意。会見で語った、キャリア。

高村美砂フリーランス・スポーツライター
三木谷浩史会長とともに会見に臨んだダヴィド・ビジャ(筆者撮影)

通訳を挟み、引退への決意を26分間にわたって口にしたダヴィド・ビジャ。その中身は所属したクラブ、共に戦った仲間、スタッフ、そしてこの日の会見にも出席していた大切な家族への感謝の思いが溢れていた。涙も交えながら一気に話した、冒頭の26分間をノーカットでお届けする。

FWダヴィド・ビジャ

みなさん、こんにちは。今日はお忙しい中お集まりいただき、ありがとうございます。今日、私は今シーズン限りでプロとしてのキャリアに終止符を打とうと、引退を決意したことを発表するために、この場を設けていただきました。

この決断というのは、自分の中でも長く考えてきたことですし、これまで自分をサポートしてくださった方々、家族や周りの人ともよく話しあって決めたことです。コンディションということでは、今シーズン、ヴィッセル神戸で自分はいいプレーができていると思いますし、チームに貢献できるゴールも決められていると思っています。ただ、自分の中でずっと思ってきたことがあり、それは『サッカーに引退させられるのではなく、自分の意思でサッカーを引退したい』と。その中で、自分の周りの人たちと話し、自分もしっかり考えた結果、今がそのタイミングだと決断に至りました。

少し時間が長くなってしまうのが申し訳ないのですが、自分のキャリアを振り返って、そのキャリアに関わってくださった皆さんにこの場を借りて感謝を述べていきたいと思います。

まずはスポルティング・ヒホンに感謝をしたいです。自分を子供の頃にクラブに入団させてくれて、カンテラで育ててくれて今のサッカー選手として、人としての存在があるのは、このクラブのおかげだと思っています。自分の夢であった『プロサッカー選手』としてデビューさせてくれたクラブでもあります。

次にレアル・サラゴサに感謝したいです。このチームを通してスペインの子供たちが持っている、一部でプレーする、デビューする、ということを実現できましたし、タイトルを2つ獲得することができました。

バレンシアCFは、自分がキャリアとして最も長い時間を過ごしたクラブです。街としても、家族と長い時間を過ごしました。大きな舞台で自分がプレーをして認識されるような機会を与えてくれたクラブですし、このクラブを通してスペイン代表としても定着することができました。自分の二人の長女と次女はそこで生まれていますし、自分にとって大切な場所でもあります。

FCバルセロナでは、多くの人が史上最高のチームと呼ぶチームの一員として素晴らしい3年間を過ごすことができました。ほとんどの人にそのチャンスは巡ってこないと思いますし、本当に素晴らしい時間をそこで過ごすことができました。次にアトレティコ・マドリードは1シーズンと短い時間でしたが、とても濃密な時間で、リーグのタイトルも獲得できましたし、アトレティコの関係者のみなさん、ファンの人たちに持っている特別な思いはこの1年の中で蓄積されました。

次に国境を越えてプレーをするチャンスを与えてくれたシティグループの2チーム。まずは短い時間でしたが素晴らしい時間を過ごすことができたメルボルン・シティ。そしてその後4年を過ごしたニューヨーク・シティFCでも、素晴らしい時間を過ごすことができました。アメリカという新たな大陸でプレーする機会を与えてもらいました。

そして、今在籍しているヴィッセル神戸。また新たな国でチャンスを与えていただいて、自分も家族も、これまで体験してこなかったような体験をこの素晴らしい国ですることができました。この後のスピーチでもヴィッセル神戸には感謝の気持ちを改めて述べたいと思っていますが、本当に自分にとって素晴らしい時間を過ごせています。

最後にスペイン代表にも感謝を述べたいです。

自分が物心がついた頃から、子供の頃からの大きな夢が赤いユニフォームを着ることでした。そこで長年プレーできたこと、98試合、代表キャップを積んで、ワールドカップやユーロカップといったタイトルを獲得することもできました。本当に、サッカー選手のキャリアとして、これ以上ないほどの機会を与えられたと思っています。

今、話した全てのクラブ、代表チームをあわせて、そこで働くスタッフの方々、用具係の方々、大事な決断をする役割の方々、そしてファンの皆さんに感謝の気持ちを述べたいと思います。その人たちの力によって、その人たちが流してくれた汗によって自分というものが築けたと思っていますし、自分にとって欠かせない存在でした。

将来について少し話をさせていただきます。

この引退後に訪れることへの恐れはありません。自分の中で準備してきたこともあります。もちろん、まず言いたいのは、自分のサッカー選手のプロキャリアの後のキャリアというものは、ヴィッセル神戸として大事な天皇杯が残っているので、それを優勝した後にスタートしたいと思っています。昨日発表されましたように、ニューヨークのクイーンズのサッカーチームの経営にもかかわっていきますし、またDV7というサッカースクールも展開しています。そういったところで、子供達のサッカーでの教育だったり、サッカー界での他の部分に関わることで、ピッチでプレーすることはなくなってもサッカー界に貢献を続けるということはこれからも続けていきたいと思います。

個人的に感謝を述べたい方もいます。

まず代理人であるビクトル。自分にとっては代理人以上の存在で、私のキャリアを導いてくれた大切な存在です。自分がサッカーを楽しみながら、サッカーに関わるいろんなプロジェクトを推進していく上でも大きな力になってくれました。ありがとうございます。次に父。仕事が終わった後に私を練習に連れて行ってくれた父。そして家で食事を作って待ってくれていた母に感謝したいです。そして、私の姉妹たち。結婚後には義理の両親、そして私を支えてくださる友人や親戚のみなさんにも感謝したいと思います。彼ら彼女たちの存在なしに今の自分はなかったと思っています。

そして自分の子供たち。毎朝、起きて練習に行って、自分と向き合う力を与えてきてくれた子供たちに感謝したいです。本当にいい時も、何よりも悪い時にも子供たちが見せてくれた愛情が自分にとっては力になってきました。ライアン、ルカ、ありがとう。

最後に、私の中の一番大切な存在である妻のパトリシアに感謝したいです。本当に彼女は欠かせない存在ですし、私はこれまでサッカー選手として、人生においていろんな決断をしました。いい決断もあれば、失敗した決断もありましたが、自分の中でこれまでで最高の決断は彼女と結婚したことだと思っています。

最後に、私がキャリアを終えることになる、このクラブ、ヴィッセル神戸に改めて感謝を述べたいと思います。

自分を信じて、自分に懸けてくれたこと。確かに私にはキャリアはありましたが、年齢を重ねていた自分のような選手を信じてくれたことに本当に感謝しています。このクラブを支えるスタッフの皆さん一人一人に感謝したいと思います。もちろん、今日この場に集まってくれている選手、チームメイトの皆さんにも感謝していますし、これまで一緒に仕事をすることができた監督、スタッフ、あらゆる人の力があってここでの時間が素晴らしいものになりましたし、これからも素晴らしいものになると信じています。今日、このような場を設けたことが、願わくばこのシーズンの残りの試合を、いい形で臨めるような助けになればと思っています。特に、天皇杯というクラブの歴史にとっても大事なタイトルが残っていますので、それを戦い抜くために、助けになってくれれば嬉しいです。

このクラブで特に感謝したい方がいます。まず三木谷(浩史)会長。先ほども言った通り、年齢を重ねた自分のような選手を獲得する決断というのは、決して簡単ではなかったと思います。そんな私に懸けてくださった、その思いは、私が日々、このクラブで練習していく上での大きなモチベーションになりました。少しでもこのクラブが目標を達成するための助けになれたのなら幸いです。

そしてもう一人、感謝したい方がいます。最初に、ヴィッセル神戸の私への興味について、僕に連絡をくれて、メッセージをくれた人で日本、クラブへの適応、チームメイトや生活への適応において常にサポートしてくれたアンドレス(イニエスタ)に感謝したいです。彼と一緒に生きてきた時間は、かけがえのないものですし、残りの1ヶ月半の時間を満喫し、最後に一緒に、他のチームメイトも一緒に天皇杯を掲げることができれば幸いです。

スピーチが長くなってしまって申し訳ないです。

最後にもう一度、強調したいことは、今日この場は私の引退を発表する記者会見ですが引退はまだ今日ではありません。私の強い願いは、1月1日、天皇杯の優勝を成し遂げた後に引退したいというのが願いです。今日の会見が終わったら、私は家に帰り、早く寝て、早く起きて、これまでやってきたようにクラブハウスに行って練習の準備をして万全のコンディションで練習に挑んで日々練習を重ねていく。これまでの全てのクラブ、キャリアでやってきた通り、変わらずに続けさせていただきます。今日は本当にありがとうございました。

フリーランス・スポーツライター

雑誌社勤務を経て、98年よりフリーライターに。現在は、関西サッカー界を中心に活動する。ガンバ大阪やヴィッセル神戸の取材がメイン。著書『ガンバ大阪30年のものがたり』。

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