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<ガンバ大阪>激動のガンバ史を支えたMF今野泰幸が、ジュビロ磐田へ完全移籍。

高村美砂フリーランス・スポーツライター
移籍の決断について語る今野泰幸(筆者撮影)

 仲間への挨拶をすませ、荷物を整理してクラブハウスから出てきた今野泰幸の表情は、どことなくスッキリとしていた。

「さっき、チームメイトにも挨拶をしてきたんですけど、何を言ったかあまり覚えてないんです。話したいことはたくさんあったけど、全然話がまとまらなくて。7年半もの時間を積み重ねているのに、最後のお別れの挨拶を1分でまとめるなんて寂しすぎるし、そんな話術もないので…でもなんとなく、自分の中で思っていることの4割くらいは話せました」

 だが、後からチームメイトに聞いたところによると、仲間を前に話し始めた途端、大号泣で言葉にならなかったそうだ。そのくらい、ガンバで過ごした7年半は濃密な時間だったのだろう。今野は「いい思い出と悪い思い出と半々」と振り返った。

「この7年半、ガンバに来て、本当に成長できた。僕が移籍してきた1年目は悪い状況が続いて…それを断ち切れなかったし、僕自身もそこに乗っかってしまって何もできずに降格してしまった。ただあの経験があったからこそ、去年、同じように難しい状況に置かれた中でも、長く続いたケガから復活して、なんとか乗り越えられたんだと思う。その時間はすごく手応えもあったし、成長できているなという実感もあって…だから、いい時も、悪い時もあったけど、全てOK。今はそう思っています」

 その言葉にあるように12年に加入してからの最初の3年間、チームはジェットコースターのように上がったり、下がったりと大きく揺れ動いた。

「タイトルを争えるチームでサッカーをしたい」

 そんな思いで自身2度目となる移籍を決断したものの、12年はまさかの残留争いに巻き込まれてしまう。しかも、J1最終節にはクラブ史上初のJ2降格。当時は日本代表としてワールドカップ予選を並行して戦っていた時期で、ステージを下げることへの不安もあったはずだが、13年はJ2リーグを戦い、1年でのJ1復帰を後押しした。

 そして、J1リーグへの復帰イヤーとなった14年はクラブ史上初の『三冠』に大きく貢献。今野はガンバでの一番の思い出を「タイトルを獲れたこと」だと話したが、思えば、その年も前半戦は大いに苦しんだ。序盤から勝ちあぐね、下位から抜け出せない状況に、苦しい胸の内を衝撃的な言葉に変えたこともあったほどだ。チームが5試合、白星のない状況で迎えた4月19日の大宮アルディージャ戦の後だ。

「舌を噛んで、死のうと思いました」

 この一戦で控えに回っていた今野は1-0とリードしている状況の中、守備固めの狙いもあって84分に投入されたが、わずか3分後に失点ーー。結果的に、その直後に今野自ら決勝ゴールをたたき込み、6試合ぶりの勝利を手にしたものの試合後、冗談めかして、だけど真顔で話していたのが印象深い。

 15年以降は、常に『タイトル』を意識してシーズンを過ごしてきた。実際に獲得したタイトルは『三冠』以外だと16年の天皇杯のみで、17年以降はどちらかというと上位争いからは大きくかけ離れてしまったが、今野にとってはその全てが自身の成長に繋がる、かけがえのない時間だったそうだ。それゆえに今年、昨年と同じようにチーム、個人として難しい状況が続いても、チームを離れる考えは微塵もなかった。

「ここ最近は試合に絡めていなかったけど…少し前に肉離れをして、だけど、それも少し前にようやく癒えて体も動くようになってきていたので、後半戦が自分にとっては勝負だと思っていました。またポジション争いをして絶対に勝ち取ってやろうという気持ちでもいました。自分の中では『試合に出られないから移籍』という考えは正直、なかったです」

 そんな中、夏の移籍ウインドウが開くのに合わせて、ジュビロ磐田からオファーが届く。期限を決められていた返答日まで何度も、何度も、考えた。考えても、考えても答えは出せなかった。だけど、考えた。

「とにかく色々考えて…完全に、情緒不安定というような…そんな状態だったと思います。シーズン途中の移籍なんて考えたこともなかったし、最後まで一緒にみんなと戦いたいという気持ちが強かった。7年半ですからね。家族というか…そのくらいガンバは居心地が良かったし、友だちもたくさんできたから。そんなみんなと別れるのはすごく寂しい…やっぱり、今も寂しいです」

 それでも、最後は移籍をすると、決断した。

 

 その理由について「自分の中にしまっておきます」と言うにとどめた彼の心情を慮れば、あれこれ詮索するつもりはない。36歳という年齢を考えても、また、これまでも真面目すぎるほど色んなことに向き合ってきた今野の人間性を考えても、それがどれほど苦渋の決断だったのかも察して余りある。と同時に彼がそれだけ悩み、考えた決断の先には、きっと楽しく、今野らしい道が拓けていると信じられる。

「前回の移籍は、言っても20代で、36歳での移籍となる今回とは違うというか…言葉にするのが難しいけど、若い時のように勢いではなく、より現実的に考えなければいけないところもあるし、その判断材料も1つではなく…うまく言えないけど、とにかく難しかったです。ただ、僕は最終的には、自分が楽しいか楽しくないかで決めたいと思っていて。僕の目標は以前から1年でも長くプロ生活を送ることで、最低でも45歳までは絶対に続けたいし、それを辛い、辛いではなく、楽しく笑顔で突っ走りたいと思っているんです。だから、今回の移籍も正直、悲しいけど、切り替えてまた前を向いて楽しみたい。今はそう思っています」

 自分で自分の背中を押すように、そう話した今野は、最後にこの7年半、ほとんどの時間を『隣』に並んで戦ってきた、憧れの人について言及した。遠藤保仁だ。

「ガンバに来る前から、ヤットさんと同じチームでやれるのが本当に楽しみでした。ずっと尊敬していたし、憧れていたし、でも、追いつきたいばかりではなく、追い越したいと思っていました。でも、やっぱり、その壁は高く、追い抜けなかった。ヤットさんはボランチとしての全ての資質を持っている、すごい人。今でも、ヤットさんにかなうボランチはいないと思っています」

 でも、だからこそ新天地では、その遠藤を追い抜くために、再び全力でサッカーに向き合うと決めている。

「自分にできることは全部やりたいと思っているし、チームが目指すJ1残留のために、みんなと一緒になって戦っていきたい。そのために僕自身も、オファーをいただいたことに対してしっかり責任を果たせるように、普段の練習からしっかりと自分を魅せていきたいと思います」

 自分のサッカー人生だからこそ、自分らしく。まずは、目標である45歳まで。今野泰幸はこれからも楽しく、笑顔で走り続ける。

フリーランス・スポーツライター

雑誌社勤務を経て、98年よりフリーライターに。現在は、関西サッカー界を中心に活動する。ガンバ大阪やヴィッセル神戸の取材がメイン。著書『ガンバ大阪30年のものがたり』。

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