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ウイニングチケットの墓参り&秘話「俺はこの部屋には泊まれないわ。もしも泊ったら、一晩中泣いてる」

花岡貴子ライター、脚本&漫画原作、競馬評論家
競走馬時代の担当厩務員だった島明広さんがウイニングチケットの墓参り(筆者撮影)

チケゾーの名づけ親がウイニングチケットの墓参りに

 実は少し前、まだ夏の暑さが厳しくない頃にウイニングチケットの競走馬時代の担当厩務員だった島明広厩務員が墓参りに行くというので、取材もかねて同行させていただいた。ウイニングチケットが現役競走馬だったころから島さんには取材させていただいているので、もうかれこれ30年お世話になっていることになる。

 島さんはウイニングチケットを「チケゾー」と呼んだ人で、その愛称の名付け親でもある。基本的に競走馬の記事は現役時しか読まれないので、引退した馬の"箸休め"的な記事は取材ストックの奥底に眠り続けるものだが、人気ゲーム「ウマ娘 プリティーダービー」のおかげもあり、再び脚光を浴びている。いや、再びというより、当時よりはるかにこういった"箸休み"的なネタがフィーチャーされている。

 箸休め記事ばかり書いていた筆者には嬉しい話だ。

■過去記事

「生きているうちに逢いたかった」ウイニングチケット、愛称の名付け親との再会/ウマ娘史実シリーズ

 まずは静内の花屋さんに頼んでアレジメントを作っていただき、静内の公園にあるというウイニングチケットの墓を尋ねる。その公園は「桜舞馬公園(オウマイホースパーク)」といい、静内の目抜き通りを過ぎた少し小高い場所にある。たしか、テスコボーイの銅像があるはずで、と記憶をたどる私自身もすごく久しぶりに訪れた。

 到着してすぐにウイニングチケットのお墓を探す。順路にきれいに配列された、その最後に新入り・ウイニングチケットのお墓はあった。墓石は皆、同じようなデザインに統一されていて、日高、とくに静内にゆかりのある馬たちの墓石が並んでいた。

ウイニングチケットの墓石(筆者撮影)
ウイニングチケットの墓石(筆者撮影)

 さて、このお花をお墓の前にそなえていくのがよいのか、それとも、ウイニングチケットの墓石に見せて気持ちだけ置いていくのがいいのか。島さんはしばらく思案した。結果、このアレジメントを墓前に置いていっても管理をしきれないだろうと考えた。そこで、ウイニングチケットへのお供えの"気持ち"だけを墓前に置き、実体は最後を過ごしたAERUへ持参することにした。

AERU乗馬課の太田篤志さん(左)とウイニングチケットの競走馬時代の担当厩務員だった島昭広さん(左)/筆者撮影
AERU乗馬課の太田篤志さん(左)とウイニングチケットの競走馬時代の担当厩務員だった島昭広さん(左)/筆者撮影

 AERUにつくと乗馬課の太田篤志さんが出迎えてくれた。そこでさっそく花束贈呈。8月いっぱいまでウイニングチケットのいた馬房にたくさんのお弔いの展示が施されていた。

 きっかけはどうであれ、ウイニングチケットという存在が愛されている。それがすごく素敵なことだ、と筆者は思う。そういう点で「ウマ娘」の功績は大きい。1993年にダービーを勝った、ある意味、過去の功績を、決して過去のものとせず、今につなげてくれる。「あんなことがあったね」ではなく、今に続く歴史の1ページとして蘇らせてくれるのだ。島さんもウイニングチケットに寄せられた多くの絵、写真、花束、グッズ、かき寄せ、などを丁寧に見ながら、感激を新たにしていた。そして、最後を一緒に過ごした太田さんからウイニングチケットの様子を聞くたび、何度もうなづいて嬉しそうだった。

 1頭の馬を通じて、たくさんの人の気持ちが交差する。それが具現化され、"みんなのチケゾー"への気持ちが寄り添っているっていいな、と改めて感じた。

ウイニングチケットのいた馬房に飾られた弔いの品々(筆者撮影)
ウイニングチケットのいた馬房に飾られた弔いの品々(筆者撮影)

 島さんと太田さんのウイニングチケット談義はその後、夜が更けても続く。

 そして、太田さんが「島さんに見せたい」と、AERU内に設けられた「ウイニングチケットルーム」に案内してくれた。そこはウイニングチケットがレースで走る大型パネル、ぬいぐるみ、ゼッケンのクッション等が飾られている特別な部屋だった。

AERU内の宿泊施設に設けられた特別な「ウイニングチケットルーム」。島さんは部屋のプレートに指をさす。(筆者撮影)
AERU内の宿泊施設に設けられた特別な「ウイニングチケットルーム」。島さんは部屋のプレートに指をさす。(筆者撮影)

 部屋に入るや、大きく飾られたダービーのゴール前写真が視線を奪う。そして、とめどなく島さんの"あの日"の記憶がよみがえる。

「ゴム手綱が多かったけど、(柴田)政人さんは布手綱しか乗れないから。政人さんが布手綱にしてくれ、というからそのために用意した。」

「ダービーのときに初めてDバミにした。それまでは普通のハミだったんだけど、政人さんから『ちょっと、かかりが悪いから考えて』と言われて。だから、ダービー当日にDバミにした。追い切りでも使ってなかった。」

AERU内の「ウイニングチケットルーム」でダービー優勝時の思い出を話す島さん(筆者撮影)
AERU内の「ウイニングチケットルーム」でダービー優勝時の思い出を話す島さん(筆者撮影)

「ダービーを勝ったとき、(柴田政人騎手が所属していた)高松先生がスタンドから降りてきて『政人を勝たせてくれて、ありがとう』と握手を求められたんだ。あの、高松先生が、だよ。でも、俺は俺でダービーを勝っただけでも興奮しているし、もう何かなんだか、いろんな気持ちが溢れていっぱいいっぱいだった。」

 高松邦男調教師は桜花賞馬ブロケード、天皇賞馬キョウエイプロミス、メジロマックイーンやメジロライアンらと対決したホワイトストーンを送り出した名伯楽だが、わざわざその偉大な調教師が降りてきて握手を求めてきたのだ。そんな"凄い"光景が島さんの脳裏に鮮やかに蘇り、それを聞く我々もあの日の興奮を分けてもらえている気分に高揚させられる。

 そして、島さんは興奮冷めやらぬ様子でその部屋を背にしながら、言った。

「俺はこの部屋には泊まれないわ。もしも泊ったら、一晩中泣いてる。」

■1993年 日本ダービー 優勝馬 ウイニングチケット

ライター、脚本&漫画原作、競馬評論家

競馬の主役は競走馬ですが、彼らは言葉を話せない。だからこそ、競走馬の知られぬ努力、ふと見せる優しさ、そして並外れた心身の強靭さなどの素晴らしさを伝えてたいです。ディープインパクト、ブエナビスタ、アグネスタキオン等数々の名馬に密着。栗東・美浦トレセン、海外等にいます。競艇・オートレースも含めた執筆歴:Number/夕刊フジ/週刊競馬ブック等。ライターの前職は汎用機SEだった縁で「Evernoteを使いこなす」等IT単行本を執筆。創作はドラマ脚本「史上最悪のデート(NTV)」、漫画原作「おっぱいジョッキー(PN:チャーリー☆正)」等も書くマルチライター。グッズのデザインやプロデュースもしてます。

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