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タイキシャトルがジャック・ル・マロワ賞を制した日

花岡貴子ライター、脚本&漫画原作、競馬評論家
ジャック・ル・マロワ賞を控え仏・シャンティで調教に励むタイキシャトル(筆者撮影)

 2022年のジャック・ル・マロワ賞(仏GI)に日本調教馬のバスラットレオンが出走した。このレースは1998年に日本のタイキシャトルが制したレースでもある。そこで当時の様子を記しNumberに掲載した記事を加筆修正し、掲載する。

 なお、極力当時のままの内容にしてあるため、2022年現在とは異なる表現がありますがご了承いただきたい。

1998年夏、フランスでおきた日本馬フィーバー

 1998年夏、フランス競馬で2頭の日本馬が歴史を変えた。

 まず8月9日、シーキングザパールがフランス・ドーヴィル競馬場で行われたGI・モーリス・ド・ギース賞を優勝した。芝1300mの直線競馬。日本調教馬が初めて海外のGIを勝ったのだ。武豊騎手が大きく両手を広げ、天を仰ぎながらガッツポーズを決めた写真は翌日の競馬専門紙パリチュルフのトップを飾った。日本ではNHKのニュースでその勝利が報じられたそうだ。

 しかし、戦前の評価で大きく注目されたのは翌週8月16日に行われるジャック・ル・マロワ賞に出走予定のタイキシャトルのほうであった。それゆえ、モーリス・ド・ギース賞当日は日本の報道陣も数少なかった。

 そういった背景もあったことから、このシーキングザパールの勝利はかなりインパクトの強いものだった。日本競馬のレベルの高さを日本、海外の両方にあらためて知らしめ、欧州の競馬マスコミの話題は「シーキングザパールよりもさらに強いタイキシャトル」という表現でジャック・ル・マロワ賞の主役候補を盛り立てたからだ。

1番人気で迎えたジャック・ル・マロワ賞

 ジャック・ル・マロワ賞の優勝賞金は100万フラン。フランス・GIの25レース中、6番目にランクされる高額賞金レースだ。歴史も古く、タイキシャトルが参戦した時が第70回にあたる。過去の優勝馬はリファール、ヘクタープロテクターなど一流馬が名を連ねる由緒ある重賞である。

 となれば、当然強豪が集まるはずだったが、今年(注:1998年)に限って有力馬が次々と脱落した。まず、藤澤調教師が最も警戒していたインディカブが打撲のため回避。クイーンアンS(英GII、芝1600m)では2着のアマングメンに8馬身差をつけて優勝、13戦8勝2着5回といまだその実力は底知れない有力候補だった。続いて安田記念(GI、芝1600m)5着のアライドフォーズ、英ダービー8着(GI、芝2400m)のセカンドエンパイヤらが出走を見送る。さらにレース直前、仏1000ギニー(GI、芝1600m、日本の桜花賞に相当)優勝馬のザライカまでがスクラッチ(出走取消)した。

 戦前よりメンバーは手薄になったことも手伝って、タイキシャトルの人気は上振れ気味だった。単勝オッズは1.9倍からスタートし、一時は1.1倍に下がるが、最終的に1.3倍に落ち着いた。

 タイキシャトルはフランス滞在中はトニー・クラウト厩舎の馬房を借りて調教を行っていた。状態はとても落ち着いており、食欲も旺盛。トニー師はジャック・ル・マロワ賞の前にひと叩きしたほうがいいのでは?と提案するほど、タイキシャトルの心身はゆったりと保たれていた。

 8月9日、この日の馬場状態は重。ジャック・ル・マロワ賞が行われるコースは芝1600mの直線コースだ。スタンドの遥か向こうにスタート地点が確認できるが、その詳細を見るには双眼鏡では追いつかず、モニターで確認する必要があるほどだった。もちろん、ゲート付近の物音など聞こえるはずもない。スタート時刻。静かにモニターを見守ると、タイキシャトルは好スタートを決め、すんなり2番手につけてレースを進めた。

 が、しかし。タイキシャトルは首をスタンドのある左方向に向けてモノ見をするように遊びながら走っていた。流れは最初の200mが15秒0、前半800mが50秒8のスローペースで進む。いつになったら、タイキシャトルは正面を向くのだろう?遠目に米粒のように見えた姿がどんどん近づいてくる。ラスト400m。まだタイキシャトルは浮ついた様子だ。逃げるケープクロス。タイキシャトルはいつになったら本気を出すのだ?見ているほうは落ち着かないが、当のタイキシャトルにとっては余計なお世話だろう。そう思えるほど余裕を持った様子で正面を向き本気をだしたのはラスト100m過ぎ。前を行くケープクロスをすんなりかわすと、首をグイっと前に伸ばしながら力強く駆け出した。前哨戦であるサセックス賞優勝馬のアマングメンが追撃。しかし、さらにゴールに向けて首をゆったりと大きく伸ばしたタイキシャトルはアマングメンに半馬身差をつけてゴール板を駆け抜けた。勝ち時計は1分37秒4。2週続けて日本調教馬がフランスGIを制した瞬間だった。

 タイキシャトルを勝利に導いた岡部幸雄騎手は1972年に海外初挑戦。その後、133戦目にして手にした海外GIタイトルだった。

タイキシャトルがジャック・ル・マロワ賞を優勝した翌朝のレーシングポスト紙(筆者撮影)
タイキシャトルがジャック・ル・マロワ賞を優勝した翌朝のレーシングポスト紙(筆者撮影)

藤澤師がフランスの検量室で「バンザーイ!」

 なお、4着は武豊騎手が騎乗したミスバーバーだった。レース後、武豊騎手もがっちりとタイキシャトルを管理する藤澤師と握手をかわしていたのが印象的だった。

「やはりタイキシャトルは強かった。もちろん勝負だから、僕も負かしにいった結果、及ばなかったんだ。ただ、勝負を度外視すれば、タイキシャトルみたいな馬が負けていたら、僕もショックだったと思う。藤澤さんは『今回勝てなかったら、海外GI遠征は考え直す』と言っていた。藤澤さんのような人が海外に行かなくなると僕らも困る。だから、今回のことは良かったと思う。」(武豊騎手)

 ジョッキールームではシャンパンをあけて岡部騎手が祝福されている。検量室前では大声で両手をあげた藤澤調教師が「バンザーイ!」と叫びながら満面の笑みを浮かべていた。

 ドーヴィルでの2週にわたる日本調教馬の活躍。現地では「ブラボー!」と賞賛の嵐ではあったが、欧州ホースマンの心中は決して穏やかものではなかったはずだ。その翌日、イギリスの競馬専門紙であるレーシングポストには「Japan 2,Europe 0」の大見出しが踊っていた。

 そして、この勝利はその後の日本調教馬の欧州での活躍の序章に過ぎなかった。

※Number 452号より加筆修正

ライター、脚本&漫画原作、競馬評論家

競馬の主役は競走馬ですが、彼らは言葉を話せない。だからこそ、競走馬の知られぬ努力、ふと見せる優しさ、そして並外れた心身の強靭さなどの素晴らしさを伝えてたいです。ディープインパクト、ブエナビスタ、アグネスタキオン等数々の名馬に密着。栗東・美浦トレセン、海外等にいます。競艇・オートレースも含めた執筆歴:Number/夕刊フジ/週刊競馬ブック等。ライターの前職は汎用機SEだった縁で「Evernoteを使いこなす」等IT単行本を執筆。創作はドラマ脚本「史上最悪のデート(NTV)」、漫画原作「おっぱいジョッキー(PN:チャーリー☆正)」等も書くマルチライター。グッズのデザインやプロデュースもしてます。

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