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【高校野球】仙台二高硬式野球部から初の東大現役合格!学校としても現役合格最多の”チャレンジする学年”

高橋昌江フリーライター
仙台二高硬式野球部から初の東大現役合格を果たした酒井(左)と石井(筆者撮影)

 宮城県ナンバーワンで東北地方屈指の進学校である仙台第二高校(以下、仙台二)。1900(明治33)年の創設で、県内では「二高(にこう)」と呼ばれる伝統校だ。開校と同時に創部された硬式野球部は過去3度の甲子園出場がある。その硬式野球部から創部初の東京大学現役合格者が誕生した。それも、2人。主将を務め、二塁を守った石井優成と中堅手だった酒井捷。快挙を成し遂げた昨夏の「一・二番コンビ」は東大硬式野球部に入部予定だ。

■創部122年で初!東大に現役でサクラサク

 石井は文科一類、酒井は文科二類に合格し、「安心しました」と声をそろえた。仙台二硬式野球部からは過去、浪人を経て東大に合格、硬式野球を継続した卒業生もいるそうだが、意外にも(!?)現役合格は初めて。創部122年での快挙に石井は「これを機に硬式野球部でも、部活も勉強もできると分かってもらい、もっと多くの人に二高硬式野球部に入ってもらいたいです」と前主将としてPR。酒井も「昔に比べて練習時間が短いということもあったと思いますが、石井が言うように硬式野球部は練習時間の面などで敬遠されがち。その印象をよくして、後輩たちにも頑張ってもらいたいと思います」と語った。

 石井は、宮城教育大附属中から「レベルが高いところで勉強をしたい」と仙台二に入学。「周りが優秀なので、その環境によって自分も目指してみようかなと思った」と高校に入ってから東大を志望するようになった。酒井は中学生の頃、東大の最速150キロ左腕として神宮球場を沸かせた宮台康平投手(日本ハム→ヤクルト)の活躍や躍進するチームを見て「こういう舞台で野球をしたい」と東大を目指すように。3学年上の兄が仙台二硬式野球部だったことも影響した。

 2人を刺激したのは高校1年の頃に参加した「東京大学見学会」という進路に関する学校行事。東大をはじめとする東京の大学を見学したり、卒業生がいる企業に自分たちでアポイントを取って訪問したりするキャリア教育だ。石井が「東大を志望する他校の生徒とディスカッションする機会があり、みんなレベルが高いなと、ビックリしました」と言えば、酒井は「目標がより明確になりました」と東大へのイメージを膨らませた。

文科一類に合格した石井(筆者撮影)
文科一類に合格した石井(筆者撮影)

■「文武一道」を実現した一・二番コンビ

 そこからは勉強一筋…ではなく、2人とも「野球部を引退するまではまず、部活をやろうと考えていました」と話す。仙台二には、卒業生で柔道家の三船久蔵十段(1883年〜1965年)が唱えた「文武一道」の精神が脈々と受け継がれており、学業も野球も一つの道、同じ道として取り組んだ。

 寺岡中で軟式野球部に所属し、県選抜も経験した酒井は、1年の秋からレギュラーをつかんだ。「酒井はなんでもできる。バッティングでも守備でも、プレー面でいつも引っ張ってもらった。酒井がいるとグラウンドでの安心感も雰囲気も変わるので、とても心強かったです」と石井。3年間、指導した金森信之介監督は「足の速さはチームで一番。走塁技術もあります。3年生になってバッティングの確率も上がり、長打も増えた。彼が出塁し、ホームにかえって得点することが増えました」と振り返る。ファーストネームの捷は「すぐる」と読む。その漢字に「戦いに勝つ」という意味があるように、勝負師の気質を持った「二番・センター」として中心を担った。

 2年秋はショート、3年からセカンドを守った石井は、優成という名前の通り、優しい性格。1年生からレギュラーとはいかないまでも試合経験を積み、最終学年では主将としてチームをまとめ、一番打者として打線をけん引した。「石井はキャプテンシーがあって視野が広く、細かいところにも気付ける。本当に人格者だと思います」と酒井。金森監督も「内外野のコミュニケーションがとれて、しっかりと準備ができる。守備の安心感がありました。攻撃では流れを変えるバッティングやセーフティバントができ、ゲーム全体を俯瞰して見ていましたね」と回想。大きな信頼を寄せていた。

 OBである金森監督は母校に赴任して7年目。チームを指導する上で伝統を守りつつ、改革も行ってきた。ちょうど2人が入学するタイミングで1年生の朝練習を禁止にしたのも、その1つだ。「入学してすぐに一高(仙台一)との定期戦など学校行事が忙しく、1年生が痩せ細っていくということがありました。まずは基本的な生活習慣と学習習慣が整えられるよう、1年生は朝の集合後の練習は禁止とし、予習復習に充てさせることにしました」。東大合格は彼らの努力はもちろん、そんな指揮官の思いも反映される形となった。

文科二類に合格した酒井(筆者撮影)
文科二類に合格した酒井(筆者撮影)

■「みんながチャレンジした」仙台二の歴史的な学年

 2人は高校で出会った。自分の芯を持っている酒井に対し、石井は「最初は怖かった」と笑う。酒井の石井への第一印象はもっと強烈だった。入学前の予備登校の際に行われるテストで、石井は約320人の学年で1位に。「すごくビックリした」と酒井。さらに自身は90番台で「もうちょっとできると思っていたので、二高のレベルに驚きました。頑張らないといけないと認識させられました」と奮起した。そこからはともに成績上位をキープし、切磋琢磨してきた。

 それは2人だけではない。今年、仙台二から東大に現役で合格したのは11人。それは長い学校の歴史でも過去最多の人数だ。また、地元の東北大にも73人が現役合格。近年は50〜60人台が多く、こちらは過去10年で上位3番目だという。

 彼らの学年で3年間、学年主任を務めた渡邊英樹先生は「みんながチャレンジした学年」と表現する。1年生の最初の学年集会で「今後の決意をみんなの前で話せる人はいますか?」と問いかけたところ、一人の女子生徒が手を挙げ、「私は誰よりも二高に入りたくて頑張ってきた。だから、さまざまなことにチャレンジしたい」といった内容の話をしたという。

「その一言に尽きるような学年でした。受験に関して話すと、今回の大学入学共通テストは平均点が下がり、上の大学を狙う人にとっては不安が大きかったと思います。でも、東大や東北大に限らず、ほとんどの生徒が初志貫徹で志望校にチャレンジをした。それは教員の働きかけというよりも、仲間たちと切磋琢磨して勉強や部活を積み重ねたことが大きいと思います」

 東大に現役合格したのは硬式野球部の2人のほか、サッカー部から3人、陸上競技部から3人、ラグビー部からも1人。スポーツに取り組みながら、「文武一道」でサクラを咲かせた。「進路を決める時、本人たちの努力も影響がありますが、それを支えるものとして部活の存在が大きいと思う」と話す渡邊先生は県北ののどかな高校や中高一貫校を経て、仙台二に赴任して10年になる。県内の中学校の学力トップ層が集まる仙台二の定員は1学年320人。テストを実施すればどうしても順位は付き、1位の生徒がいれば、320位の生徒もいる。校内では思うように成績を出せない生徒には”世界”の広さを伝え、ポテンシャルを信じることも伝えてきた。学年の先生方とともに全生徒に寄り添い、目配りや心配りをした姿勢が結果として、今年度の3年生の“チャレンジした進路実現”へと結びついたのだろう。

 学校としても、東大への現役合格が最多となり、石井が「一緒に東大を目指すメンバーで頑張ってきたので、多く合格したのは嬉しい」と言えば、「互いに高めあっていける環境にいられたというのはすごく有り難いこと」と酒井。学年としてのまとまりも一助になった。

渡邊先生が3年間、生徒たちに伝えてきた言葉の前で(筆者撮影)
渡邊先生が3年間、生徒たちに伝えてきた言葉の前で(筆者撮影)

■授業中の姿勢は「集中力が高い」

 その学年で2人の勉強への姿勢は抜きん出ていたようだ。英語科の渡邊先生は「酒井は1年生の時から質問の質がまったく違った」と笑う。「かなり勉強をしていないとできないような質問ができる生徒だなと、1年生の段階で思いました」。石井に対しては、英作文で「クリエイティブな印象を持った」という。

「例えば、日本語を英語に直す問題があった時、出題者の『これを使わせたい』という意図があります。でも、石井はそれにこだわらず、自分が学んできた表現の仕方を考えて表に出せる。模範解答もありますが、英語には答えがたくさんあり、正解はそれだけではありません。これから、彼らにとって英語はツールにすぎない。そのツールを活かすために実践経験を重ねていってほしいですね」

 地理を教える金森監督は、選択科目が違った石井を担当することはなかったが、酒井の授業態度は教壇からよく見えた。というよりも、むしろ、「よく見られていた」といった方が正しいかもしれない。

「教える量が多いため、私の授業では板書をしないんです。ポイントをまとめたiPadの画面を黒板に投影し、喋りが中心。授業中の高校生は、教員の話を聞く、メモを取る、問題の穴埋めをするといったことが基本だと思うのですが、酒井はずっと私の顔と口と画面を見てうなずいている。『あっ』と思った時だけ、パッと動くんです。その後はまたずっと聞いている。『なんだ、その授業の受け方は』と思ったのですが(笑)、目線を一切、外さない。だから、『今、分からないんだな』という瞬間も分かるんです」

 金森監督によると、酒井に限らず、東大に合格した生徒は「授業中の集中力が相当、すごい」傾向にあるという。石井に関しても「私は授業を教えていないので他の先生から聞く話ですが、やはり、集中力が高いことが分かる授業の受け方をしていたようです」。2人とも、現役の高校球児だった昨夏までは「授業をちゃんと受ける」ことを心がけてきたと話す。

 夏以降は必然的に勉強時間が増えた。石井は「野球は団体競技。周りにみんながいるので頑張れた。受験は結局、自分との勝負なので、他に頼るものがないという点が一番、大変でした」と振り返る。多い日は12、3時間、机に向かった。酒井も「どうしても飽きがきたり、嫌になったりすることもあって苦しかった」と苦笑する。ただ、「野球と比べると勉強には明確な答えがあるというか。そういう意味では、やるべきことが分かりやすかったので、モチベーションは保ちながらできました」とも言い、ともに受験を野球になぞらえるあたりが球児である。

渡邊先生によると、英作文に”クリエイティブさ”があったという石井(筆者撮影)
渡邊先生によると、英作文に”クリエイティブさ”があったという石井(筆者撮影)

金森監督によると、特殊な(?)授業態度だったという酒井(筆者撮影)
金森監督によると、特殊な(?)授業態度だったという酒井(筆者撮影)

■酒井「有名なピッチャーとの対戦が楽しみ」、石井「他の強い大学に勝てる方法を見つけていきたい」

 これまでの人生で積み上げてきた力に、最後にスパートをかけて受験。それでも、石井は「不安だった」と口にする。手応えも「まったく」なかったそうだ。逆に酒井は「受ける前は自信があった」という。だが、「受けた感想としてはあまりできなかったなと思って。合格発表は不安でした」と打ち明ける。同時に、酒井には「これで受からなかったら来年も厳しい」という思いもあった。というのも、酒井の受験勉強は仙台二の先生方を驚かせるものだったからだ。

 なんと、取り組んだ東大の過去問題は30年分以上。記述式問題を添削する先生方の間で「こんなにも解いてくるか」という声が上がるほどで、長年、勤めるベテランの先生も舌を巻いたという。

「よくそんなに問題を解く時間があるな、と(笑)。情報処理能力が速いんでしょうね。出版されている過去問題も最長は25年分。それ以前のものを誰かからもらってやっていたようです。なので、これで受からなかったら、来年、何を勉強する? という感じでした」(金森監督)

 石井は酒井から「とにかく過去問題をやりたい」と聞いており、学校や一緒の塾で問題を解く姿を見ていた。「私は過去15年分くらいです。最初は、本当に全部やるのかなと思ったのですが、酒井は本当に30年分、全部やっていたのですごいなと思いました」と石井も目を丸くした。酒井がこなした量もすごいが、仙台二の先生方が添削する生徒は1人や2人ではない。石井は「先生方の存在はとても大きかったです。生徒ひとりひとりに合わせて添削し、返答してくれて、丁寧に指導してくれたので助かりました」と感謝する。

 晴れて、2人で赤門をくぐる。石井は「将来は人と温度感を持って接する仕事に就きたいなと考えています。高校野球は、理学療法士や外部コーチ、保護者の方など、いろんな人に支えられて最後までできました。自分も人と強くつながっていけるような仕事を、学生生活を通して見つけたいなと思っています」と高校時代の経験を糧に、未来のビジョンを描いていく。宮台投手の活躍で飛躍した東大を見て志望した酒井は「プロ野球選手」に憧れてきたという。「それは今も、なりたいなと思っています」。

 最後の夏は1-2の初戦敗退。1900年から続く仙台二硬式野球部の活動を通して得たものもあるが、結果には不完全燃焼だったというのが本音だ。酒井は「東京六大学の他大学には甲子園球児などが集まってくるので、そういう有名なピッチャーとの対戦が楽しみです」と、夢に向かってアピールしていくつもりだ。石井も「スキルが足りていないので、4年間を通して高めていきたいです。そして、他の強い大学に勝てる方法を見つけていきたいです」と意気込む。

 自身のたゆまぬ努力と先生方の温かな指導で、仙台二硬式野球部の道標となる2人。杜の都から舞台を移し、東大でも「文武一道」で人生を創造していく。

法を学びながら、東大硬式野球部でスキルアップを目指す石井(筆者撮影)
法を学びながら、東大硬式野球部でスキルアップを目指す石井(筆者撮影)

経済を学び、プロを目指して野球に励む酒井(筆者撮影)
経済を学び、プロを目指して野球に励む酒井(筆者撮影)

フリーライター

1987年3月7日生まれ。宮城県栗原市(旧若柳町)出身。大学卒業後、仙台市在住のフリーライターとなり、東北地方のベースボール型競技(野球・ソフトボール)を中心にスポーツを取材。専門誌やWebサイト、地域スポーツ誌などに寄稿している。中学、高校、大学とソフトボール部に所属。大学では2度のインカレ優勝を経験し、ベンチ外で日本一を目指す過程を体験したことが原点。大学3年から新聞部と兼部し、学生記者として取材経験も積んだ。ポジションは捕手。右投右打。

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