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外国メディアは排除!河野防衛大臣会見後に開かれる番記者オフレコ取材のおかしさ――多くの省庁で慣例化か

高橋浩祐米外交・安全保障専門オンライン誌「ディプロマット」東京特派員
23日に会見した河野防衛相。番記者オフレコ囲み取材はこの直後にあった(筆者撮影)

今からここで書くことは、一般読者にぜひその善し悪しを判断していただきたいことである――日本の記者クラブ制度はこのままでいいのか。

日本では、各府省庁の大臣の定例記者会見は昔から、毎週火曜と金曜の閣議後に行われている。筆者は6月23日の火曜午前、河野太郎防衛相の閣議後の定例記者会見に、英軍事週刊誌ジェーンズ・ディフェンス・ウィークリー東京特派員として参加した。防衛省A棟11階の第1省議室で開かれた記者会見場には、数十人の記者やテレビカメラクルーが集った。

この日の記者会見は30分ほど続いた。会見では、6月18日午後に鹿児島県・奄美大島の北東の接続水域内を潜ったまま航行した中国海軍の潜水艦とみられる外国潜水艦についてや、配備計画が停止となった陸上配備型の弾道ミサイル迎撃システム「イージス・アショア」の今後の行方についてなど、さまざまな質問が飛び交った。

筆者は先週16日の河野防衛相の記者会見にも出席したが、河野防衛相は基本、記者全員の質問を受け付け、質問をしたいと思う記者の挙手がなくなるまで会見を続けている。これは、安倍首相の官邸での記者会見が毎回、質問者がまだたくさんいるにもかかわらず、途中で打ち切られていることに比べれば、評価ができるだろう。

●外国メディアを常に排除

問題はここからだ。大臣会見が終わって、大臣が退出すると、記者たちがその後を追っていった。筆者は「大臣会見でみんなたくさん質問したばかりなのに、なんでまた大臣の後をこんなに付いていくなんだろう?」と思いながら、興味津々、他社の記者たちの後を追っていった。そうすると、記者会見場のある第1省議室と同じ11階にあるエレベーターホールのすぐ脇の通路で、10数人の記者たちが大臣を囲んで取材する、いわゆる「囲み取材」が始まっていた。筆者も取材の輪に加わろうとすると、防衛省報道室の職員から、なんと「排除」された。「報道の自由」を盾に、現場に立ちすくんで断固戦うこともできたが、そこは周囲に迷惑をかけたくなかったので、大人になり、そうすることはやめた。筆者以外の外国メディア勤務の日本人記者も常に排除されている。

防衛省記者クラブのメンバーでない筆者は会見後、会見室から一階に降りるまで報道室職員の「お見送り」が付いている。以前はこうした「お見送り」はなかった。他の外国メディアに勤める知人の記者はこれを「監視」と呼んでいる。

●番記者オフレコ囲み取材

この囲み取材は、「防衛記者会」と呼ばれる防衛省記者クラブに所属している記者たちの仕切りによる「オフレコ取材」だ。彼らは河野防衛相の番記者でもある。直前の記者会見の場では、記者クラブのメンバーも、ときに厳しい質問をしていた。同じ記者が大臣との問答を繰り返す「更問い(さらとい)」も珍しくない。しかし、その後の記者クラブメンバーオンリーの囲み取材では、河野防衛相も記者も笑い声をあげながら、なごやかに囲み取材を続けていた。日本人得意の本音と建前なのか。

そもそも、記者会見直後に、筆者のような外国メディアを排除し、ムラ社会的な非公式のオフレコの場を設けていいのか。記者クラブ非加盟の外国メディアを「囲み取材」から排除することは、あからさまな差別ではないか。

筆者はかねて、民主主義の基本はフェアネス(公平性)とオープンネス(開放性)にあると思っている。北朝鮮のような独裁体制で閉鎖的な社会には、民主主義は育まれない。公式な記者会見後の記者クラブメンバーだけの囲み取材は、そのフェアネスやオープンネスの精神に反しないか。

また、記者たちも質問がまだあるならば、正々堂々、テレビカメラが入った記者会見の場で聞くべきではないか。河野防衛相も、質問の手がなくなるまで、指名を最後まで続けているのだから、わざわざ記者会見直後にまた、舞台裏のオフレコ取材で聞かないで、会見で聞くべきではないか。ムラ社会的な「囲み取材」での大臣への取材は、読者への透明性に著しく欠ける。大臣と記者クラブの癒着とみなされないか。

さらに、もっと著しい問題として、フリーランス記者は河野防衛相の記者会見すら参加できていない。この点は、安倍首相の官邸での記者会見が、抽選とはいえ、江川紹子さんらフリーランスの記者の参加を認めている点で評価できる。

●他の省庁でも大臣会見後に「オフレコ囲み取材」か

防衛省以外の他の省庁でも同じような、番記者による「オフレコ囲み取材」は行われているのか。たとえば、河野大臣の前任であった外務省はどうなのか。

ある新聞社に勤める知人の記者は筆者の取材に対し、番記者オフレコ取材が「会見からそのままの流れで行われる」と言い、「これは茂木外相も現在やっているので、いろんな省庁で慣例化しているのではないかという気がします」と述べた。

さらに、「ただ、クラブ外のメンバーは入ってはだめというようなルールがあったかは定かでありません。外国メディアが待ち構えて話しかける分には大丈夫だったような気がしますが…」と述べた。

しかし、筆者は現に排除された。

これについて、この記者は「防衛省ルールなんでしょうか…?大体終わってからの囲みオフレコは、発言の方向性を確かめる程度ですし、時間も長くないので、私はお付き合いで従ってました(汗)イージス・アショアの件等々、(防衛省は)重要案件が多いので、過敏になっている可能性はありますね」と話した。

そして、最後に「番記者制度自体、今の時代どうなのかという問題がありますよね…」と付け加えた。

●記者クラブは大手メディアによる情報独占のカルテル

筆者以外の外国メディアの受け止めはどうか。

元ニューヨークタイムズ東京支局長のマーティン・ファクラー氏は筆者の取材に、「記者クラブは本当に大手メディアによる情報の独占を守るカルテルだ」と述べた。

そして、「記者クラブの実態は、公的情報源への独占的なアクセスを維持しようとする寡占にほかならない。記者クラブの全メンバーが同じ情報を共有し、互いにスクープ合戦ができないという点で、守りのジャーナリズムの体質を如実に示している。これは、記者たちが情報ソースにますます依存することを助長し、受け身のジャーナリズムを作り出している」と指摘した。

さらに、ファクラー氏は、「最大の問題は、記者たちが当局の情報に依存させられるような仕組みになっていることだ。記者たちが権力を批判したり、権力に挑戦したりすることを難しくされてしまっている。そして、その代わりに、記者クラブのせいで、当局の言われるままの説明を鵜呑みにしたり、政府の方針に沿ったことを平気で書くようになる記者が増えてしまっている」と述べた。

●改めて問われる記者と権力の関係

記者と権力との関係は、東京高検の黒川弘務・前検事長と産経新聞記者、朝日新聞社員の賭けマージャンでも社会的な問題になった。

記者は取材先の懐に飛び込んで情報を取らなくてはいけないのは事実。しかし、新型コロナウイルス感染拡大による緊急事態宣言中に加え、賭け麻雀など法律を犯すのはもってのほかだろう。

振り返れば、ここ数年、ハリウッドのセクハラや角界での暴行、アメフト部やボクシング協会など長年のムラ社会で続いてきた慣行が暴露され、改善を余儀なくされてきた。SNSの普及やグローバル化でフラットな社会になってきたため、これまでの業界の常識が一般社会では通用しなくなっている。これに気づかないといけないだろう。

日本特有のムラ社会の中で、密着しすぎていたメディアの権力取材も、これからは癒着とみなされかねない。外国メディアもどんどん入ってきている。日本語のできる外国人記者もますます増えている。筆者のように日本の新聞社に勤めた後に外国メディアで働く日本人も増えている。そして、何より、市民目線での権力との距離が大いに問われている時代に入っていることを忘れてはいけないだろう。

米外交・安全保障専門オンライン誌「ディプロマット」東京特派員

英軍事週刊誌「ジェーンズ・ディフェンス・ウィークリー」前東京特派員。コリアタウンがある川崎市川崎区桜本の出身。令和元年度内閣府主催「世界青年の船」日本ナショナルリーダー。米ボルチモア市民栄誉賞受賞。ハフポスト日本版元編集長。元日経CNBCコメンテーター。1993年慶応大学経済学部卒、2004年米コロンビア大学大学院ジャーナリズムスクールとSIPA(国際公共政策大学院)を修了。朝日新聞やアジアタイムズ、ブルームバーグで記者を務める。NK NewsやNikkei Asia、Naval News、東洋経済、週刊文春、論座、英紙ガーディアン、シンガポール紙ストレーツ・タイムズ等に記事掲載。

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