私たちも日本の政策形成ついて学んでおくべきことがある…集団的自衛権法制から見えてきたこと

(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

先の通常国会において、集団的自衛権に関する安保法制が成立した。

だが、同法制の審議や成立に関しては、国会でも与野党入り乱れて、強行採決や一部暴力的行為もあり、さまざまな形で紛糾した。メディア等においても、日本の戦後の日本の安全保障の方向性を大きく変えるものとして、同法制に関して、さまざまな形で取り上げられ、多様な議論がなされた。

さらに、同法制の成立に反対する多くの国民によるデモや活動が、国会周辺ばかりでなく全国各地でも、長期的にかつ頻繁に行われた。筆者は、自身が居住する東京近辺の地域でも、子どもを伴った家族連れなども含む一般の市民によるデモの光景を何度も目撃して、これまでの日本の状況と確実に違うことが起きているという実感をもった。

そのようなデモなどの中でもメディアや社会的に最も注目を浴びたのは、学生たちが設立したSEALDs(Students Emergency Action for Liberal Democracy-s [自由と民主主義のための学生緊急行動])」の活動だ。その中心メンバーの一人は、同法制に関する採択における最終段階である国会の中央公聴会で野党の公述人として発言する機会も与えられた。

このように、同法制における国会審議は、多くの国民や社会全体から非常に注目されたのである。

筆者は、日本が自衛権を的確に行使できる法整備はあってしかるべきであると考えると同時に、今回の同法案の国会審議等において、安倍政権の民意に対する対応があまり乱暴でありやや誠意に欠けており、多くの問題があると言わざるを得ない。それは、特に同法制のように、国民の生命に関わり、戦後の方向性を大きく変える可能性のある法制に関しては、多くの国民の理解と支持がない限りは、たとえ法整備ができたとしても、必ずしも有効に機能しないのではないかと考えているからだ。

また、今回の日本国内のデモなどに対して、愚行であるとか、今日の国際情勢における安全保障の問題などを理解していない行動だなどという意見もあるようだが、筆者はそのような意見にも組しない。それは、自己の意見を表明したり、政策や法案の形成に影響を与えようとする行動は、民主主義の社会において、当然の行為であり、健全な社会の表れであると思うからだ。

だが、他方、今回の国民・市民の活動や意思表明に対して、苦言というか、今後のために、問題点も指摘しておきたい。

それは、日本は、議院内閣制を採用しており、与党と内閣・行政が一体化しており、与党内での事前承認手続きおよび党議拘束のある、現在の立法の仕組みというか慣行においては、政策や法制は、国会で審議される前に、与党の中心である自民党内部ではすでにコンセンサスが形成されており、さらに同党と与党を構成している公明党とも事前協議がすでに終わっており(注1)、その時点で、国会内での採択において、多数および大勢が決せられているも同然ということなのである。

つまり国会審議の前に、与党内ではほぼすべてが決まっていて、国会の審議(委員会および本会議)では、形式的に野党が意見を表明し(ある意味、ガス抜き的な意味しかない)、政策的な議論が行われるというよりも、正に単に儀式が行われるだけなのである(注2)。もちろん、民主主義の理想論からすれば、たとえ大勢が決まっていても、少数意見を聞き、それを政策や法案に反映すべきではあるが、日本の国会の実態はそうなってはいないのである。

また、一度国会に提出された政策や法案の一部、より大げさにいえば文言や言葉さえ修正あるいは変更するにも、与党内でのコンセンサスを得ることが再度必要になるので非常に大変なことになるのが実情である。そのため、修正などもめったに行われることはないのである。たとえあったにしても、法案の本文の外に「付帯決議」を追加することがある程度だ。しかも、同決議は、議決される法案・予算案に付される、施行に関する意見や希望などを表明する決議にすぎず、法的拘束力はないのであり、要は、単に姿勢を示しているだけであり、これまた「ガス抜き」的意味合いしかないのである。

これらのことからもわかるように、今回の集団的自衛権に関する安保法制に関して、国会で審議をしている時点で、メディアがどんなに騒ごうが、国民や市民がいくら国会周辺や全国でデモや市民活動などをしようが、実はそれらの法制の審議や方向性に大きく影響を加えたり、変更を加えたりすることは、現実的には難しく、ほぼ不可能なのである。

そのことを別言すれば、本来であれば、せめて昨年7月の集団的自衛権の行使の容認に関する閣議決定の時(この時点では、すでに自公の与党内では集団的自衛権の行使の容認の合意が形成されていたわけである)、否それでも遅いかもしれない、それ以前の与党内でコンセンサスができる以前から、メディアも市民・国民も、集団的自衛権に反対なら、もっと積極的に与党や与党議員に働きかけたり、デモをすべきだったのだ。もし、そのような動きがなされていれば、今回の法制は成立していないなり、大きく変更されていたということもありえたかもしれない。

以上のことは一例であるが、それからもわかることは、国民・市民が、政治や政策において影響力や力を発揮するには、実は日本の政策形成や立法府・行政府の現状や慣習などをまず学び理解し、それを踏まえて、行動したり、戦う必要があるということなのである(注3)。また場合によっては、それらを知る者も仲間にして、行動し、影響力を与えていく必要があるということでもある。

私たち国民・市民も、そのことをまず理解すべきなのだ。つまり民主主義社会において、民主主義的に戦い、政策形成において、影響力を行使していくには、まずそこでのルールや戦い方を知らないといけないのだ。

最後に、私たちが、今回の経験を踏まえて、今後それらのルールなどについて知り、より影響力のある活動を起こしていく上で、参考になると思われる書籍を紹介することで閉じたい。ぜひ参考にしていただきたい。

1 日本の立法府や市民による政策形成に関する書籍

『ニッポンの変え方おしえます: はじめての立法レッスン』政策工房著 春秋社 2013年

『女性たちが変えたDV法―国会が「当事者」に門を開いた365日』DV法を改正しよう全国ネットワーク著 白水社 2006年

2 日本の政策形成や行政の在り方等に関する書籍

『日本国の正体 政治家・官僚・メディア-本当の権力者は誰か』長谷川幸洋著 講談社 2009年

『「規制」を変えれば電気も足りる』原英史著 小学館101新書 2011年

『日本人を縛りつける役人の掟: 「岩盤規制」を打ち破れ!』原英史著 小学館 2014年 

3 政策形成に関わる上での資料づくりや問題を見抜くポイント等に関する書籍

『官僚が使う「悪徳商法」の説得術』原英史&真柄昭宏著 講談社+α新書 2013年

4 立法府である国会などの慣習などについて学べる書籍

『河野太郎の国会攻略法』河野太郎著 英治出版 2003年

(注1) 特に現在のように、小選挙区制が重要な役割を果たす選挙制度では、党内の派閥の力よりも、党本部・党執行部が、公認権や資金等を握り、強力な影響力があるために、個別の議員の独自性を発揮しにくい状況にある。そのために、その党内および与党内のコンセンサスの影響力は、所属議員に対して非常に強いといえる。

(注2) このことは、野党ももちろん熟知している。その意味で、集団的自衛権の安保創生に関わる国会における混乱は、極論すると、与野党共に、その国会の現状を知った上で、自分たちが頑張って法案に対処しているという「役割り」を演じている(あるいは、演じているかのように見せているだけ)という面があるのだ。

(注3) もちろん、それらの現状や慣習などに問題があれば、それを変えていく働きをする必要もあろう。