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マカロンと「ラデュレ」のイメージを築いた女性サフィア スペシャルインタビュー(後編)

鈴木春恵パリ在住ジャーナリスト
サフィアの最後のシリーズ「ミモザ」に彩られた「ラデュレ」のウインドー(筆者撮影)

「Ladurée(ラデュレ)」のブランドイメージを不動のものにした女性、サフィア・トーマス=ベンダリさん。

ロングインタビューの前編では、その生い立ちとファッションジャーナリストしての活躍、そして「ソニア・リキエル」でのキャリアについてご紹介しました。

後編ではいよいよ「ラデュレ」をいかにして成功に導いたか。その核心に迫ります。

「ミモザ」シリーズのお披露目会でのサフィア(筆者撮影)
「ミモザ」シリーズのお披露目会でのサフィア(筆者撮影)

ファッションからスイーツの世界へ

1999年のこと。「ラデュレ」からの話をサフィアに持ってきたのは、元編集者ですでに「ラデュレ」で仕事をしていた旧知の女性からでした。

「『ラデュレ』って何?」

それが、サフィアの第一声だったそうです。

かつてダンサーでもあったサフィアにとって、1グラムも太ってはいけないという意識が根底にあって、スイーツとは無縁でした。だから、「ラデュレ」のことは全く知らなかったのです。

その友人はサフィアに「ラデュレ」で彼女の後継者になってほしいと思っていたのでした。

「あなたが適任なのよ」と彼女。

「冗談言わないで。私がパティスリーの世界に行くためにモードの世界を離れると思う?」

「あなたの他にこの仕事ができる人はいないわ」

「あなたはいい人だけれども、あなたの役に立つために好きでないポストにつくことはできない」

「でもとにかく来てみて」と、彼女。

そんな友人の頼みにしぶしぶ、という形で、サフィアは「ラデュレ」のプレジデント、ダヴィッド・オルデール氏とのアポイントに応じます。

でもね。最初からこれはダメだと思ったわ。というのも、彼は朝の8時半という時間を提案してきた。出だしが最悪よ。

ジャーナリスト時代は、朝から晩までというよりも、夜中まで、写真家、モデル、デザイナーたちと外にいて、眠るのは3時4時というのがざらという生活でした。みんなが家族のように一緒にいて、いい仕事をして、友情もあって…。今では夢のように素晴らしい時代を生きていたと思う。

だから今でも、私、朝はダメなのよ。

朝の8時半のアポイントなんて、クレイジー。

でもとにかく起きる努力をして、シャンゼリゼ通りの「ラデュレ」に行ったの。

まだぼーっとしているサフィアを迎えた若き「ラデュレ」のプレジデント。彼にサフィアが抱いた第一印象は、「学校を出てきたばかり」というものでした。

「ラデュレ」のシャンゼリゼ店といえば、宮殿を彷彿させるような室内装飾が見事ですが、サフィアにもそれは強いインパクトを与えました。

(パティスリーがこんなところにあるの?)

と、信じられないようなデコレーションです。ナポレオン3世スタイル。これはジャック・ガルシアのデザインだと説明してくれました。ガルシアがまだ有名になっていない最初の頃の作品ね。

「悪くない。綺麗ね」と私は言いました。

そしてダヴィッドは私にこう言いました。

「あなたの素晴らしさを聞いています。私は本を作りたいし、他にもたくさんのことをしたい。メゾンを素晴らしいものにしたいと思っている。ただのパティスリーのままではいたくない。それができるのはあなただけだ」

「なるほど。でも今まだ朝の9時半。ちょっと考えさせて。私はマダム・リキエルのところにいる」

「でも、辞表を出したとか」

「まあそうだけど、考える時間がほしい。あとは電話で」と、私。

帰宅して、夫のブルースに話すと、彼は感激屋さんなので、「すごいじゃないか。ぜひやりなさいよ」と言いました。

でも当時、パティスリーというのはメディアではあまり重きを置かれていない分野でした。今のように、雑誌にスイーツが載るというのはまずなかった。あるとしたら、料理が最後のページにあるくらい。レシピのシートとかが。

料理雑誌、料理とワインの雑誌が2冊くらいあったかもしれないけれど、それくらいのもので、とにかくおしゃれでもなんでもなかった。

「私はモード系のジャーナリスト。それで何ができるというの?」

けれども、ブルースが「とにかくエスプリをオープンにしてみなさい」というので、少し考えてみようか、とは思いました。

すると、翌朝7時に電話が鳴ったの。朝の8時半にアポイントがあって、考えた結果を聞きたくて翌朝7時に電話をしてくるなんて、あり得ない…。

「ラデュレ」大改革

いちいちチグハグなサフィアとプレジデントとのスタートでしたが、「もしかしたら結構面白いかもしれない」と感じたサフィアは、午後になってから電話をかけ直し、オファーを受けることを伝えました。

その時、彼女は3つの条件を提示しています。

1、毎日あなたと一緒に働くわけではない。なぜなら店に毎日いるということは私には考えにくいから。

2、イメージ、コミュニケーションとマーケティングのディレクターでありたい。あなたのところにはすでにマーケティング担当者がいると思いますが、その人が継続することはできない。なぜなら、私が納得する商品でなければコミュニケーションはできない。そしてシェフは私と一緒に仕事をする。シェフはあなたと私と一緒に仕事をしてもらわなくてはならない。

3、常駐して私のアシスタントをしてくれる人を私が選ぶ。

サフィアの条件は全て通り、「ティエリー・ミュグレー」で仕事をしていたオード・シュロセールさんを呼び寄せ、コラボレーターとして仕事を始めました。

けれども私たちはこの世界のことを何も知らず、手探りから始めました。そして、すでにいくつかのフレーバーが出ていたマカロンを見て、私は直感しました。

「小さい。これなら太らない。モード系のジャーナリストが怖がらない。だったら、たくさんの色を作ろう。これが主力商品になるに違いない」と。

他の伝統的な菓子はとりあえず忘れて、マカロンをメインに据え、コミュニケーション、パッケージングを考える。ついては、ファッションショーと対応するように、6ヶ月前に制作すれば、ジャーナリストにとってはいいテーマになりうると考えました。モードの色や傾向とマカロンのフレーバーがリンクするようなイメージ。

指でつまんで食べられるサイズの「ラデュレ」のマカロン。黄色いのは新作の「ミモザ」シリーズ、ピンクのは定番の薔薇のフレーバー(筆者撮影)
指でつまんで食べられるサイズの「ラデュレ」のマカロン。黄色いのは新作の「ミモザ」シリーズ、ピンクのは定番の薔薇のフレーバー(筆者撮影)

当時のシェフ・パティシエ、フィリップ・アンドリウーは素晴らしくて、私の考えに同意してくれました。そして発表したのが黒いマカロンです。ファッションウイークに合わせて作りました。その期間中は色々なところでパーティーがあったりします。黒いマカロンを入れた黒い箱をショーのゲストたちのお土産にしました。

そして黒いマカロンは雑誌『ヴォーグ』で巻頭の2ページを飾ったのです。私たちがしたかったことは、スイーツが雑誌の終わりのページから最初のページになること。口紅、アイシャドー、ハイヒールの色と同じように、モードの一部になることでした。

私が興味を持っていたのは、料理のジャーナリストではなくモード系の人たち。料理系のジャーナリストたちは当時、マスキュランなイメージの仕事をしていたパティシエたちを盛んに取り上げていましたが、私はそちらにはほとんどコンタクトを取らず、文化的でビジュアルセンスの良いモード系のジャーナリストたちにマカロンを贈り、知ってもらうようにしました。

私自身、マダム・リキエルというとてもフェミニンな世界からきましたが、「ラデュレ」でも、女性がそこにいるデコレーション、具体的には「boudoir(ブードワール)」風をブランドのイメージにしようとしました。

「ブードワール」。辞書をひくと「(婦人用の小ぎれいな)居間、私室、閨房」と出てきます。

美しく着飾った貴婦人たちが、これまた見事なデコレーションの、けれども大きすぎない部屋で午後のお茶をしながらおしゃべりに花を咲かせる。そんな香水と花の香り、柔らかな光に彩られたような雰囲気をサフィアたちは頭に思い描いていたわけです。

当時、みんながデザイン、デザインと言っていた時代だけれども、私はそういうものはあまり好きではなかったし、興味がなかった。

まず、色を変えました。緑色でも、ピスタッチオのグリーン、ものすごく明るいグリーンをメインにしました。そしてピンク、青。どれもパステルカラーです。そして黒もある種とてもフェミニンな色。

こうして、女性の世界を意識してゆくと、自然に男性もたくさん惹きつけることになるの。なぜなら、男性でもフェミニンなものに対して、とても感性の鋭い人がいるから。

そしてファッションデザイナーたちとのコラボレーションをしました。すると彼らはファッションウイークの時に、招待客たちにマカロンを贈ったりもできる。そんなことって、かつてなかったことだから、とても喜ばれました。私たちがしたことといえばそれだけ。とてもシンプルなのよ。何もたいそうな発明をしたわけではないの。

例えば、雑誌にはそれぞれのアイデンティティがある。それぞれの写真家、モデルがいて、その雑誌のイメージにふさわしい写真をとる。『ヴォーグ』の表紙の洋服が『エル』と被るということはとても稀。雑誌ごとにストーリーが違うから。

そういうところが私は好きだったから、私もそのようにしたいと思っていた。だから、他の人の真似はしない。他の人がしていることを忘れることよ。

「ラデュレ」と聞いてすぐに思い浮かぶ、淡いグリーンのパッケージやパステルカラーのマカロンなどのブランドイメージはこうして形作られていったのです。

1862年からの歴史ある「ラデュレ」。パリ・マドレーヌ店、2021年9月のウインドー装飾(筆者撮影)
1862年からの歴史ある「ラデュレ」。パリ・マドレーヌ店、2021年9月のウインドー装飾(筆者撮影)

2021年クリスマスシーズンには、パリの老舗宝飾ブランド「メレリオ」とコラボレーションしたシリーズを発表(筆者撮影)
2021年クリスマスシーズンには、パリの老舗宝飾ブランド「メレリオ」とコラボレーションしたシリーズを発表(筆者撮影)

広告をしない戦略

ところで、ブランドイメージを定着するためには広告が大事、と考えますが、「ラデュレ」は一切広告をしていません。

(え? そうだっけ?)と思われる方も多いでしょう。ブランドイメージがあまりにも定着していますから。

けれども言われてみれば確かに、ポスターや雑誌の広告ページとしての「ラデュレ」は見たことがありません。そのことについて、サフィアはこう言います。

私は広告を出すことについては常に反対でした。

広告1ページで何が言えるの? 

「ラデュレ」に来て何をするか。何を食べるか。お客さんは千差万別。体格、人種、年齢も違うから、一人のモデルを使って、すべてのお客さんを代表することはできないし、ブランドのアイデンティティを語るのにモデル一人を選ぶことはできない。ブランドにそんな権利はないと思った。

だったら、マカロンが入った箱の写真を1ページで使う? それもなんの意味もない。

広告費を使う代わりに、サフィアたちがしたのは、ジャーナリストや雑誌の編集者たちをたびたびお店のイベントに招いたり、新製品をお土産として贈ったりしたこと。

結局のところ、彼ら彼女ら一人ひとりが日々切磋琢磨して、アイディアを収集したり、具体的なクリエーションをしているのよ。私自身が経験してきたことだからよくわかるの。

そして彼らにも家族や子供たちがいる。お土産を家庭のテーブルで分かち合えば、そこに喜びが生まれる。そんなふうに彼らとの関係を築いてきたの。

また、純粋な広告ではないのに、「ラデュレ」のイメージをより広く強く浸透させることになった最たるものとして、ソフィア・コッポラ監督の映画『マリー=アントワネット』が浮かびます。

それについて尋ねると、このコラボレーションは「ラデュレ」側から提案したものではなく、監督本人から「ラデュレ」に話があったもの。しかも、映画の中に登場する、めくるめくようなスイーツの数々は「ラデュレ」が無償で提供したものなのだそうです。

撮影チームのためのスイーツはこちらが提供しました。だから彼らはいつもマカロンやスイーツ、シャンパーニュが楽しめて満足していたことでしょう。

私たちはできるだけのことをしました。それが結局みんなにとって良い結果につながった。ブランドを作るというのはそういうことです。

と、サフィア。確かに、あの映画のイメージこそ、ほとんど永遠に続く“広告”になったと言えるかもしれません。

ソフィア・コッポラ監督作品『マリー=アントワネット』の一コマ。ふんだんに登場するスイーツは「ラデュレ」が提供したもの
ソフィア・コッポラ監督作品『マリー=アントワネット』の一コマ。ふんだんに登場するスイーツは「ラデュレ」が提供したもの写真:Shutterstock/アフロ

「長くて豊かな時代だったかもしれない」

と、「ラデュレ」での23年間をサフィアは振り返ります。

ブランドを世界的な存在に成長させ、大成功を収めた彼女。

誰かに敬われたいと思ったら、自分から連絡をしてはいけない。

もしもあなたが良い仕事をしていれば、相手の方から会いにやってくるもの。

と、彼女の口からは含蓄に富む言葉が次々と自然に出てきます。

新しい“モード”を創る

オルデール家が「ラデュレ」の株式の多くを売却する、つまりメゾンの持ち主が変わるというタイミングで彼女自身も引退するということに、ほとんど迷いはありませんでした。

確立した世界観に手を加えてはいけないと思っています。

けれども誰かがブランドを買う時、何も変えずに、と思うことはないでしょう。つまり、変わるということは間違いないのです。新しい大株主はとても素晴らしい人物です。新しいストーリーが始まる。もちろん、とてもいい方向に行くかもしれません。

けれどもそれはもう私のヒストリーではありません。いずれにしても私はもうそこにはいない。他の人に譲るべき時なのです。

私はダヴィッド・オルデールのコラボレーターであって、他の人にはつかない。マダム・リキエルの時と同じです。

また、私が長年一緒に働いてきたチームのメンバーが去ってゆくのを見たくはない。むしろ私が真っ先に去る方がいい。誰の重荷にもならないようにしたい。

こうして、昨年10月に「ラデュレ」を去ることを決めたサフィア。

そして彼女はもうすでに新しいページをめくっているように見えます。

未知のことを恐れてはいけない。運命を信じること。

勇気があって、ビジョンがあったら、未知のものを怖がる必要はない。

すでに立ち上げている紅茶のブランドを継続しつつ、今後はヴィンテージ雑貨についてのビジネスを立ち上げようとしています。

長持ちしない、すぐにゴミになるような粗悪なものを消費するのをやめないといけないと思う。雑貨も洋服も古いもので素晴らしいものがある。

また一方では、「ラデュレ」で培った豊かな経験と人脈を駆使して、マーケティングやブランディングアドバイザーとしての活躍が期待されています。分野は主に食。

20年前、“モード”といえばファッションと同義でしたが、今では「食」こそが“モード”、つまり流行そのものになった感があります。その変化を起こした立役者の一人が紛れもなくサフィアその人。

常に最先端“モード”の中心にいる彼女の今後の展開がこれからますます楽しみです。

3月8日の国際女性デーには、在仏の日本人ジャーナリストを自宅に招いてお茶会を開いてくれた(以下写真は全て筆者撮影)
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パリの自宅で大事にしている「はこせこ」
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パリ在住ジャーナリスト

出版社できもの雑誌の編集にたずさわったのち、1998年渡仏。パリを基点に、フランスをはじめヨーロッパの風土、文化、暮らしをテーマに取材し、雑誌、インターネットメディアのほか、Youtubeチャンネル ( Paris Promenade)でも紹介している。

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