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【ゴッホ】ひとりの女性のパッションが生んだ一大コレクション クレラー・ミュラー美術館

鈴木春恵パリ在住ジャーナリスト
クレラー・ミュラー美術館内のパンフレット(写真はすべて筆者撮影)

ゆかりの地巡り

旅をするのがままならない時期ですが、あらためて自由に旅ができる日のために、あるいは画面のうえだけでも旅気分を味わっていただきたいという思いを込めて、ゴッホゆかりの地を巡る旅をお伝えしてきました。

○ゴッホ生誕の地ズンデルト

○初期の傑作を生んだニューネン

○「ひまわり」と「耳きり事件」のアルル

○精神科施設で円熟味を増したサン・レミ・ド・プロヴァンス

○終焉の地オヴェール・シュール・オワーズ

それぞれの土地を訪ね、彼が生きた日々に想像を巡らせることによって、作品がいかにして生まれたのかを知ることができます。

説明や基礎知識がなくても、向き合った絵からパワーを感じることは確かにあると思います。加えて、人生そのものが濃密で、その時々の全人格を投影するように絵を描いたゴッホという画家の場合には、制作の背景を知ることで作品から受け取るものの厚みが増すように思えます。

ゴッホファン必見の美術館

アムステルダムの国立ゴッホ美術館に次いで、世界第2のゴッホコレクションを誇るクレラー・ミュラー美術館。ゴッホに詳しい方ならばすでにご存知かもしれませんが、わたしは今回初めてこの美術館の存在を知りました。ヨーロッパに長く暮らし、幸いにして多くの美術館を訪ねる機会を得ましたが、クレラー・ミュラー美術館の桁外れの豊かさには正直、圧倒されました。

国立公園の緑のなかにたたずむクレラー・ミュラー美術館と彫刻庭園
国立公園の緑のなかにたたずむクレラー・ミュラー美術館と彫刻庭園
館内にいても緑に囲まれていることを実感
館内にいても緑に囲まれていることを実感
充実のゴッホギャラリー
充実のゴッホギャラリー

美術館の様子は、こちらの動画でご覧ください。

都市にある美術館とは違い、首都アムステルダムから車で1時間ほど行ったデ・ホーへ・フェルウェ国立公園の大自然のただ中に位置しているので、アクセスがよいとは言えません。ただし、この美術館が旅の目的のひとつになる。それくらいの魅力をもった場所です。

しかも今回は、クレラー・ミュラー美術館の公認ガイドである大橋杏子さんにご案内いただいたおかげで、ゴッホへの理解がさらに深まり、絵を巡りながら、そこに画家の人物像がオーバーラップして見えてくるような時間となりました。

クレラー・ミュラー美術館の公認ガイド、大橋杏子さん
クレラー・ミュラー美術館の公認ガイド、大橋杏子さん

さすが日本人ならでは、と感じたのは、斎藤茂吉、白樺派といった言葉が解説のなかに盛り込まれていることです。歌人で精神科医でもあった斎藤茂吉は大正時代にヨーロッパ留学をしていますが、現地でゴッホの絵に向き合ったときの感銘を短歌に詠んでいます。

また、アルルの記事でもすこし触れましたが、大正時代に白樺派美術館を作る構想のために、白樺派のパトロンだった実業家がスイスでゴッホの「ひまわり」を購入。作品は日本に渡り、数々の展覧会などが行われたものの、残念なことに第二次世界大戦の空襲で焼失してしまったことなど、ゴッホと日本には少なからぬエピソードがあります。

ゴッホの名声を世界規模にしたふたりの女性

ところで、生前には油絵が1枚しか売れなかったというゴッホですが、彼の死からおよそ20年経ち、日本の大正期になると、白樺派しかり斎藤茂吉しかり、ゴッホの名声は世界的になり、作品は高額で取引され贋作も出回るほどになりました。

ゴッホの感性に時代がようやく追いついた、と言えるのかもしれません。ただしそのためには、ふたりの女性が果たした役割が多大でした。

ひとりはゴッホの義理の妹、ヨハンナ・ファン・ゴッホ(愛称ヨー)。

彼女は義兄フィンセント・ファン・ゴッホの死から半年後に夫のテオも失うという不幸に見舞われますが、義兄と同じファーストネームを付けた一人息子と懸命に生きてゆきます。義兄、つまりゴッホの売れなかった大量の作品は彼女が管理をし、ゴッホの死から15年後の1905年にアムステルダムの美術館でゴッホ展を実現。現在、国立ゴッホ美術館に所蔵されている作品は、その流れをくんだものです。

さらに、亡き夫テオの夢でもあった、義兄から夫への手紙を世に出すという目標のために、何百通という手紙を整理して書き起こし、1914年に出版しています。以来「ゴッホの手紙」は世界中で翻訳され、それによってわたしたちは彼の絵の背景や生き様を知ることができます。

もうひとりの女性は、ヘレン・クレラー・ミュラー(1869ー1939)。

ドイツ人の父親が起こした会社をオランダ人の夫がさらに盛りたてて手にした富を、彼女は美術品の収集にあて、20世紀最大級の個人コレクションを築きました。それが現在のクレラー・ミュラー美術館の2万点にもおよぶ所蔵品のもとになっています。

なかでも世界第2のゴッホコレクションを成したのは、彼女と彼女のアドバイザーだった芸術批評家の先見の明によるもの。1908年からゴッホの絵を買い始め、油彩90点、素描180点あまりを集めました。そして単に収集するだけでなく、1913年からはハーグで一般公開も始めていますから、留学中の斎藤茂吉がその場を訪れたことは十分に考えられます。

国立公園のなかには、ヘレン・クレラー・ミュラーのかつての別荘もあります
国立公園のなかには、ヘレン・クレラー・ミュラーのかつての別荘もあります

彼女の夢は、自身のコレクションをもとに美術館を建てることでしたが、1930年代の経済危機のために独自でその夢を果たすことが難しくなってしまいました。そこで、美術館建設を条件にコレクション全部をオランダ政府に寄贈。そうして誕生したのがクレラー・ミュラー美術館なのです。

美術館がオープンしたのは1938年で、初代館長には彼女が就任。そしてライフワークの完結を見届けたかのように、翌年に他界しています。

美術館の中で行われた葬儀では、彼女の棺の周りにゴッホの絵が飾られました。その中央にあったのが彼女がもっとも愛した、4本の花の盛りを過ぎたひまわりの絵でした。

それは半世紀前のオヴェール・シュール・オワーズの小さな旅館の風景と重なるように思えます。ゴッホの終の棲家となったラヴー旅館。そこで慎ましく行われたゴッホの葬儀では、部屋は絵で満たされ、棺には彼が好きだったひまわりが手向けられていたのでした。

ヘレン・クレラー・ミュラーがコレクションのなかで一番好きだったというゴッホのひまわりの絵
ヘレン・クレラー・ミュラーがコレクションのなかで一番好きだったというゴッホのひまわりの絵

【取材協力】

SOMPO美術館(公益財団法人SOMPO美術財団)

ファン・ゴッホ・ヨーロッパ 

ブラバント州観光局

パリ在住ジャーナリスト

出版社できもの雑誌の編集にたずさわったのち、1998年渡仏。パリを基点に、フランスをはじめヨーロッパの風土、文化、暮らしをテーマに取材し、雑誌、インターネットメディアのほか、Youtubeチャンネル ( Paris Promenade)でも紹介している。

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