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大統領の恋文

鈴木春恵パリ在住ジャーナリスト

親愛なるアンヌ、これがオスゴールの夜に話した『ソクラテス』だよ。約束していたスイス版をまだ入手できずにいるので、私のを送る。この本は旅によく携えていったから、長年の友のようなものだ。Mermodに注文した版が手に入ったら、直接会って渡すか、シェーズ通りに届ける。この本が、あの美しい夏の数時間の確かな記憶をあなたに伝える使者になってくれるだろう。

こんなふうに、『Lettre a Anne (アンヌへの手紙)』は始まる。

著者は元フランス大統領フランソワ・ミッテラン(1916-1996)。というより、彼が33年間、アンヌ・パンジョさんに宛てた恋文1218通が、この秋一冊の本になって出版され、話題をよんでいる。

最初の手紙の日付は、1962年10月19日。ミッテランはこのとき46歳の上院議員。それから19年後の81年、社会党の政治家として初めて大統領になり、2期14年の長きにわたり国家元首の立場にあった。20代で結婚し、3人の息子(1人は夭折)をもうけたダニエル夫人とは生涯婚姻関係にあったが、恋の噂は多かったらしい。

最初の手紙のとき、お相手のアンヌさんはまだ19歳。親子ほども年の差のあるふたりだったが、のちに一人娘も生まれ、死の直前まで私的生活の多くを分かち合った特別のカップルだったことは、いまや周知の事実になっている。

帯の写真はアテネの旅の2人。1970年
帯の写真はアテネの旅の2人。1970年

とはいえ、大統領の恋文が公に、それも名門出版社から1276ページの大部として発行されるとは…。

どちらの国でも“大統領”の存在がさまざまにクローズアップされる昨今、このトピックはいかにも愛と自由の国というフランスの“佳き”イメージを象徴しているように思えて、出版の立役者になった人物に会いたいと思った。

道の名前にもなっている「ガリマール」社、創業者ファミリーの邸と向かい合う一室で出版の経緯を語ってくれたのは、ジャン=ルー・シャンピオンさん。「コレクション」部門のディレクター、大ベテランの編集者だ。

ガリマール社のディレクターJean-Loup Champion氏
ガリマール社のディレクターJean-Loup Champion氏

きっかけは一年前、アンヌ・パンジョさんが彼を自宅の昼食に招いたことに始まる。アンヌさんはオルセー、ルーブルなど美術館の学芸員を務めた人。シャンピオン氏とは特に親しい友人というわけではなかったが、彫刻の本のプロジェクトを一緒に手がけた25年前に知遇を得ている。

「これをご覧になって」と、食後に彼女は昔の大きな靴箱を取り出してきたのですが、中にはぎっしりと手紙が入っていました。当事者以外にはおそらくずっと誰も知らなかった大統領の手紙。一通目を読んだときの驚きはかなりのものでした。そしてすぐに、歴史資料としての重要性、文学的価値の高さを直感しました。

アンヌさんは、自分のもっとも大事な秘密を託すに値する人物としてシャンピオン氏に白羽の矢を立てたのだった。

わたしはすぐに会社にもどり、アントワーヌ・ガリマール氏(現社長)にこのことを話すと、彼も感激していました。

ただ、そのあと出版を実現するには、すこし複雑でした。

フランスの法律では、手紙は物理的に所有しているアンヌさんのものです。しかし、倫理的権利はない。つまり出版する権利は彼女にはないのです。

そのため、わたしたちはミッテランの3人の子ども(故ダニエル夫人との間の2人の息子と、アンヌさんとの間の娘)の許可をとる必要があった。著作権は彼らにあるからです。

3人の契約書をとりつけたあと、アンヌ・パンジョ自身がすべての手紙を書き起こしました。その仕事たるや膨大なものです。そして部分的に削ったりはせず、ミッテランが彼女に宛てた手紙すべてを提供しました。

彼女は一流の学芸員として活動をしていた人ですから、自分自身の手で、しかも学術的な方法で書き起こそうした。なにか差しさわりのあるものをよけたりせず、まるごと全部発表するという強い意志がありました。

本ではたしかに、手紙は時系列に並べられ、日付、宛先、差し出し場所、「ポストカード」、「上院のレターヘッド」など手紙の形状も添えられているほか、そのあとどこで食事をしたかなど、ふたりの動向がわかる注釈が簡潔に挿入されている。

最初の頃の手紙は、40代の男性が若い女性に講義するかのような、非常にクラシックなものです。その後次第に文学的になり、親密さを増してきます。もちろん、この時代のことですから、手紙は誰にとっても大事な通信手段でしたが、33年間に1218通とはかなりの量。ミッテランはいつもペンをとっていた人でした。

しかもこの期間は、彼の政治家人生の大切な期間にあたります。大統領選についてはあまり語られていませんが、どこで誰と会い、どのくらいの距離を移動していたかなど、唯一心を打ち明けられる相手だった彼女に書き送っている。日々の精力的なスケジュールには驚きます。明らかに彼は、フランスの奥の奥までようく知っていた人です。

一切の取捨選択をしないという、アンヌさんのたっての希望のために、1217ページ、価格は35ユーロ(約4000円)という、書店でもちょっとびっくりする厚さの本になっているが、初版は3万部。これはすでにかなり多い数字だが、一ヶ月後には3刷の版を重ね、9万部という大ヒットになった。

わたしたちもこの数字には驚きました。大統領とはいえ死後20年経過して人々の記憶が薄まっているはずなのに、これだけの反響があるとは。

優れた書き手の美しい愛の手紙が、おもに女性の読者を引きつけたのだと思います。

「“わたしはこんな手紙をもらってない!”って、妻に責められました」と、男性諸氏がこぼすくらいですから…。

ともあれ、書き手が亡くなったあとにこのような形で発表することはスキャンダルではないのだろうか?

千人に2人か3人は、恥だと言います。ただ、メディアの9割は非常にポジティブな評価をしている。歴史資料としてもすばらしいものだと。

では、もしも彼が生きていたら、ミッテラン自身は承諾しただろうか?

それはわたしたちの問いであり、アンヌ・パンジョでもたしかな答えはありません。ただわたしが思うのは、これは文学作品であり、それが評価されることに彼は満足するだろうと思います。

大切なのは、アンヌさんの丁重な気持ちがあったことです。ミッテランの配偶者の存命中には決して発行されるものではなかったと彼女は私に言いました。そのダニエルさんが5年前に亡くなり、アンヌさん自身現在73歳。死後に手紙が散り散りになるのを恐れた。ほかの誰もまとめようとは思わないだろうから、自分自身が生きているうちに…と。

そもそも、彼女はたいへんなブルジョワの家に生まれました。父親がミッテランとゴルフをするような仲で、そんな経緯からふたりは知り合っています。

だからよけいに、未婚の母となった彼女の人生は、家族にとってはスキャンダラスなものでした。

ただ当時のメディアはアンヌさんと娘の存在を知っていても、それをことさらには言いませんでした。でも今日ではそれは不可能です。町で愛人といるのを写真に撮ってSNSに公開されてしまいますからね。

「言わないでおく」という文化はなくなりました。

アンヌさんは、ミッテランにとって一緒に人生を歩んでいたほどの関係ですが、彼は離婚はしなかった。おそらく、離婚は政治人生のなかで、当時たいへんマイナスになるものだったでしょう。不可能でした。

未婚の母も珍しいものではなくなり、大統領の離婚、再婚、事実婚、そして、別れた相手が大統領の任期中にエリゼ宮での生活を綴った本の出版もあるというフランス。時代は変わった。

いまでもフランスは愛の国というイメージはあると思いますし、人々は政治家の性的なことについて寛容だというのは事実です。

と語る一方で、シャンピオン氏は、こんな感慨も口にした。

世界的に重要な指導者として、文学的に価値のあるものを残すという意味において、ミッテランのような人が今いるでしょうか?

ひとつの文化が終わったのかもしれません。

じつは『Lettre a Anne』のほかにもう一冊、『Journal pour Anne(アンヌへの日記)』も同時に発行されている。こちらはより大判で、493ページ47ユーロの豪華本。ブロックノート22冊分の私信の数々が写真で納められている。ミッテランの筆致に加えて、新聞やポスター、イラストを切り貼りした彼のアーティスティックな面が発揮されていて、多忙を極めただろう人物のいったいどこにこんな時間とエネルギーがあったのかと感嘆してしまう一冊。こちらも初版で25000という思い切った発行部数になっている。

帯の写真は、アンヌさんが撮影したミッテラン
帯の写真は、アンヌさんが撮影したミッテラン

このヒットはなにを物語るのだろう。

文字を書くということが激減した時代だからこそのノスタルジー? 禁断の恋の覗き見趣味?

それもたしかにあるだろう。

それより何より、読む人の心に響くという点で最強の文学が恋文であり、一個人の恋情は時代や環境を超越した普遍のもの。

そこに多くの人が我が身を重ねるのかもしれない。

そんなふうに思うのだが、みなさんはいかがだろうか?

旅の行程を貼り絵にしたページ
旅の行程を貼り絵にしたページ
「なぜアンヌを愛さなくてはならないのか?」と題した日記の1ページ
「なぜアンヌを愛さなくてはならないのか?」と題した日記の1ページ
パリ在住ジャーナリスト

出版社できもの雑誌の編集にたずさわったのち、1998年渡仏。パリを基点に、フランスをはじめヨーロッパの風土、文化、暮らしをテーマに取材し、雑誌、インターネットメディアのほか、Youtubeチャンネル ( Paris Promenade)でも紹介している。

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