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三ツ沢に響かなかったブーイング 中村俊輔とファンが歩む、それぞれの道

杉山孝フリーランス・ライター/編集者/翻訳家
(写真:西村尚己/アフロスポーツ)

満員の熱気に包まれた横浜ダービー

 今年で開催99回を数える天皇杯の3回戦で、横浜F・マリノスと横浜FCによる「横浜ダービー」が実現した。その試合で最初のイエローカードを受けたのは横浜FCの新戦力、中村俊輔だった。

 横浜FMに2点リードされていた54分、松原健に対して繰り出したスライディングタックルがラフプレーと判断された。「気合いが入っていた」などとは、本人が決して認めないだろうが、やはり普段とは違う空気がまとわりついている横浜ダービーだった。

 まさに“奇しくも”実現したカードだった。カテゴリーが違うが本拠地を同じくするチーム同士が激突する。しかも、昨年の3回戦の再現である。

 昨年も1万435人が集まったが、この日のニッパツ三ツ沢球技場は満員の観客で埋め尽くされた。同じ日に開催された全16試合のうち、1万人超えは三ツ沢を含む3試合のみ。10会場で5000人に満たなかったことを考えると、やはり「格別」だった。今季もリーグ1試合平均3万人近くを集める横浜FMのもう一つのホームである日産スタジアムと比べて収容人数に大きな制限はあるが、その分だけ熱気は凝縮されていた。

 開門を待つキックオフ2時間半前の時点で、ニッパツ三ツ沢球技場の周辺には人があふれていた。入口に向けて折り返す長い列のみならず、テニスコートの脇や陸上競技場にも、順番持ちの列がのたうつ。チケット完売との情報とその風景に、想起されたのは、やはり横浜FMのかつての背番号10、中村の存在だった。

 動きが活発なこの夏の市場でも、スパイスの一つとなる移籍だった。中村にとって初の2部リーグでのプレーとなる、横浜FCへの加入。手放したジュビロ磐田のファン以上に、2年半前にクラブを去る姿を見送ることになった横浜FMのファンにとって、心を騒がせる移籍だったと想像した。横浜には帰ってきたものの、袖を通したのは別のクラブのユニフォームだったのだから。

隠しきれない意識を隠して

 ダービーとはいえ異常なほどだったが、スタンドの半分以上を占めた横浜FMのファンの心理を邪推すれば、その熱も理解できた。そして、身構えた。

 磐田の一員となって初となる対戦で、日産スタジアムは特大のブーイングで中村を迎えた。選手紹介の場面など、試合前から前年までのエースへの意識をむき出しにしていた。

 昨年と今年の横浜への遠征ではメンバーから外れていたので、中村にとっては2年ぶりの古巣との対戦となる。完売でチケットを入手できないファンがいたほど、熱が圧縮された三ツ沢。その圧力が、中村にぶつけられることになる。

 そんな予想は、あっさりと覆された。

 試合開始まで15分を切り、両チームの先発メンバーの名前が読み上げられる。まずは、横浜FCから。GKから始まり、7番目の中村に達しようとした瞬間、聞こえてきたのはブーイングではなかった。ボリュームをさらにアップして、横浜FMのゴール裏はクラブの名を歌い上げた。

 別に特別視するわけじゃない。勝利への道を突き進むだけ。そんな宣言に聞こえた。

 我が道を行くのみ。それは、中村も同様だった。

 慣れた攻撃的なポジションではなく、入ったのは中盤の底。しかもボールを動かし続ける横浜FMを相手に、守備の時間が長くなる。新天地での初先発試合は、不慣れな90分間となった。

「チームはできあがっているから。急に来て自分に合わせさせられるのは、ストライカーだけ。自分の色に染めるのではなく、自分がこのチームに染まるくらいどうしたらいいか」。豊富過ぎる経験を持つ41歳のプロフェッショナルは、そう話した。

 ただし、「もっとボールに触りたいし、ボランチというポジションの考え方を変えなきゃいけないけど、自分しかないものをつくりたい」。確立された自己があることは、誰もが認めている。

 数は少ないが、ボールを持てば違いを見せた。日本列島に接近した台風による強風が、パスの軌道を大きく揺さぶる。だが、1度その影響を体でつかむと、左サイドバックへのロングパスを2本、ピタリと通した。しかもボールの回転は、受け手に最適なものだった。姿勢良いドリブルでは、絶対的な支配地である自分の間合いに絶妙なボールの置き方をして、優雅にスラロームを描いて相手選手2人の間を抜けていった。

 最大の見せ場の一つであるFKの威力は、敵に回した横浜FMのファンがよく知っている。だから数度あった直接ゴールを狙えるFKでは、一部のファンがブーイングをしかけたが、それをはるかに上回る声量のチャントが覆い隠した。

 そんな横浜FMのスタンドが、1度だけ中村にブーイングを送った。それが警告を受けた冒頭のファウルの場面。ただ、それだけだった。

 もしかしたら本人にとっては肩透かしだったかもしれないが、不自然すぎる中村への「非特別視」は、かつてのアイドルへの思いをかえって雄弁に物語っていた。実は、中村の好プレーに、横浜FM側のスタンドから小さな拍手が起きることもあった。

 かつてJリーグでは、チーム以上に選手に対してファンがつく、と言われていた。昔の横浜FMにも、そう感じられる時期はあった。

 この夏に入っても選手や監督など、チームの中の一人の存在が非常に大きくクローズアップされる事例が出ているが、クラブを一人で背負えるわけもなく、そんな酷なことをさせるべきでもない。ただ、クラブに携わった実績にふさわしい敬意を払えばいい。

 中村は自身が目指すプロサッカー選手であり続けるため、ここまでのキャリアを選び取ってきた。横浜FMを応援する人たちも、自分たちの先にある幸せな未来を強く信じている。

 それぞれが信じる道のりが、いつかどこかで再び重なることがないなどとは、誰にも断言できない。

フリーランス・ライター/編集者/翻訳家

1975年生まれ。新聞社で少年サッカーから高校ラグビー、決勝含む日韓W杯、中村俊輔の国外挑戦までと、サッカーをメインにみっちりスポーツを取材。サッカー専門誌編集部を経て09年に独立。同時にGoal.com日本版編集長を約3年務め、同サイトの日本での人気確立・発展に尽力。現在はライター・編集者・翻訳家としてサッカーとスポーツ、その周辺を追い続ける。

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