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「記憶に残る選手」中村俊輔の「忘れない」歩み

杉山孝フリーランス・ライター/編集者/翻訳家
(写真:ロイター/アフロ)

12月17日、元サッカー日本代表MF中村俊輔の引退試合が行われる。「コーチ」の肩書を外して「俊輔」に戻る試合を前に、「記憶に残る選手」の「忘れない」歩みを振り返る。

忘れない男

中村俊輔は、覚えない。

イタリアに渡る前、横浜の練習場をほぼ毎日うろつく地元の記者がいたが、俊輔は名前を頭にとどめなかった。ただし、その目は的確に周囲の情報を取り入れているので、初めての国内移籍の後に横浜に戻ると、子どもの頃に憧れたスタジアムで見かけたその記者に、「何、ここ、入り浸ってんの?」と、独特のワードセンスで声をかけたりする。

中村俊輔は、忘れない。

地元の記者よりも、深く長く俊輔の取材を続けるジャーナリストがいた。プロ入り前から取材し、イタリアやスペインに移籍した際には、現地に1カ月以上も滞在して追いかけた。日本復帰後も、もちろん取材を続けた。

そのジャーナリストは配置換えとなって俊輔の取材から遠ざかり、倒れた。出張先で文字通り倒れて、緊急手術を受けた。

「大丈夫なのか、話をしたい」。半年後に話を伝え聞いた俊輔は同僚記者に電話を鳴らしてもらったが、つながることはなかった。ジャーナリストは、まだリハビリ中だった。

2人は磐田で顔を合わせることとなる。僭越ながら、その再会を演出させてもらった。「横浜サッカー協会85年史」のインタビューの際に、ジャーナリストに同行願ったのだ。

インタビュールームに入ってきた俊輔は予想通り、いつものごとく気だるげだった。徐々に視線を上げると、昔馴染みをとらえた目が見開かれる。

「おお、久しぶり! 大丈夫なの!?」

「よし、鰻食いに行こう、鰻! うまいところあるから!」

リアクションは、期待を遥かに超えていた。

超一流である理由

鰻どころの名店で、俊輔は饒舌だった。せっかくご相伴にあずかったので、こちらも古い話を引き出した。イタリアへ渡る年、サンフレッチェ広島相手に決めたFKのことだ。

当時、スペインから記者が取材に来るなど、日韓ワールドカップ後のレアル・マドリーへの移籍が強く噂されていた。いわば海外移籍までのカウントダウンに入っており、すべてのプレーが置き土産になるとみられていた頃だ。

詳細は覚えていないが、印象的だった。全選手が1人残らずボックス内に入って固めた広島の守りをあざ笑うかのように、ネットが揺れた。

「ああ、あのゴールね」

俊輔にしてみれば、どれほど決めたか分からないゴールのひとつに過ぎないはずだった。だが俊輔は壁の配置やGKの位置、狙いとFKのコースまで、まるで昨日のことのようにそらんじた。その情報量と、処理能力。超一流を構成する要素のひとつが見えた気がした。

原点への思い

磐田でのインタビューで、俊輔は子どもの頃から横浜のサッカー関係者に受けた恩恵を、細かく話してくれた。本来は入れない年齢ながら、選抜チームに入れてもらったこと。技術以上にサッカーに向き合う姿勢を教えてくれた指導者のこと。そうした地元への感謝を引退会見の場でも繰り返したのは、自らの原点を忘れない姿勢の表れだった。

引退会見で、他にも「らしさ」が垣間見える場面があった。キャリアにおいて、印象に残る試合を問われた時のことだ。

美しい思い出の返答を期待したであろう質問者の意図は、大きく外れた。俊輔が挙げたのは、松田直樹さんが亡くなった直後の試合だった。選手としても人間としても個性は全く違ったが、慕い続けた先輩を失った痛みは相当に大きく、「何も覚えていない」試合を覚えている。逆説的だが、極めて俊輔らしくもあった。松田さんと、こちらも亡くなっている奥大介さんの名は、引退試合のメンバーに入れられている。

思い出のスタジアム

引退試合の会場となるのは、ニッパツ三ツ沢球技場だ。選手として最後に所属し、現在もコーチを務めるクラブのホームスタジアムだが、原点でもある。

まだシートもないコンクリートの座席で、父の隣で日産自動車と読売クラブの対戦に胸を熱くした。トップチームに上がることを夢見て、ボールボーイも務めた。決勝で涙をのんだ全国高校サッカー選手権への切符も、この芝生の上で手に入れた。横浜サッカー協会85年史で、長く地元のサッカーの発展に尽力した人物が、「俊輔スタジアム」と名を冠したいと夢を語った劇場だ。

引退試合では、おそらく満員の観客が、俊輔の姿を記憶に刻み込むことだろう。おそらく俊輔も、このラストマッチを永遠に忘れない。

フリーランス・ライター/編集者/翻訳家

1975年生まれ。新聞社で少年サッカーから高校ラグビー、決勝含む日韓W杯、中村俊輔の国外挑戦までと、サッカーをメインにみっちりスポーツを取材。サッカー専門誌編集部を経て09年に独立。同時にGoal.com日本版編集長を約3年務め、同サイトの日本での人気確立・発展に尽力。現在はライター・編集者・翻訳家としてサッカーとスポーツ、その周辺を追い続ける。

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