厳しい現実の中での偶然の出会いが、思いがけない才能を開花させる。ヨアン・マンカ監督の『母へ捧げる僕たちのアリア』は、オペラと出会った少年のひと夏の成長物語。

南仏の海辺の町に育ったヌールは14歳。兄3人と暮らす古びた公営住宅では、重篤な病で昏睡状態の母が在宅看護を受けていて、ヌールは母が大好きだったオペラを大音量で聴かせるのが日課だ。夏休みのある日、耳馴染みのある曲に引き寄せられるように夏期教室をのぞいた彼は、講師サラに才能を見出され、歌うことに魅せられていく。

ヌールが母親にオペラを大音量で聴かせるのは、昏睡状態からの回復を信じているから。しかし、兄たちは必ずしもそうではない。日々の生活に追われ、ヌールの才能に無関心な長男アベル、お調子者だが心優しい次男モー、自暴自棄でヌールにも悪事の片棒を担がせようとする三男エディ。3人の兄の置かれた状況も、現実生活には問題が山積のなか、可能性の扉が開かれようとしているヌールの物語にリアルな苦さを与えている。

これが長編デビュー作のヨアン・マンカ監督に聞いた。

ヌールの才能に気づくサラを演じるのは、監督の公私に渡るパートナーだったジュディット・シュムラ。
ヌールの才能に気づくサラを演じるのは、監督の公私に渡るパートナーだったジュディット・シュムラ。

「ヌールはまだ14歳ですから、彼にはまだ希望がある。すべてが可能だと思っていますし、人間は死なないと思っているところがある。でも、ほかの3人はさまざまな経験をしてきたぶん、希望も少ない状況にいるんです。

フランスでも自分の家で最期を迎えたいと望んでも病院で亡くなる人はたくさんいますし、入院することによって助けられる場合もある。そんななかで、兄弟が自宅で看病しているのは、それが母親の最後の望みだったから。それでも、母親が生と死の間にあることで、兄弟は繊細な状況に置かれ、傷つきやすくなっているんです」

かずかずのオペラの名曲が

ドラマを彩る

オペラが大きな意味を持つ作品だけに、作品中にはルチアーノ・パヴァロッティの公演シーンも登場する。そこには監督の才覚も光っている。

「私たちの映画はそんなに予算もなかったんですが、パヴァロッティが実際に歌っているところを使おうとするととんでもない金額になってしまいます。それで解決法として『三大テノール』というコンサートの一部を使いました。ドイツのテレビ局が所有している映像だったので、そこまで高くなかったんです」

アベルの理解が得られないなか、ヌールは歌うことの喜びに目覚めていく。
アベルの理解が得られないなか、ヌールは歌うことの喜びに目覚めていく。

芸術との出会いは、ときに可能性の扉を開いてくれる。マンカ監督のこの長編デビュー作は、18歳のときに演出・出演したエディ・ディレット・ド・クレルモン=トネールの戯曲『なぜ私たちは去ったのか−兄さんたちとぼく』が原案だ。

家族の愛は翼を与えて

飛ぶことを助けてくれる

「私の芸術との出会いは、ヌールと同じ14歳のときでした。フランス語の先生との出会いです。演劇のモノローグを覚えてくるように言われたのがきっかけで演劇を観るようになり、演劇が自分の人生の一部になりました。

その後、映画の方が向いているのではないかと感じるようになり、今回はこの戯曲からインスピレーションを受けて映画を作りました。けれども、内容はとても違うものになっています。共通点は、兄弟の物語で、海のそばにある街での話ということくらい。第1作では自分のことを語る監督が多いと思いますが、私もその例外ではありません。私自身は兄弟が多いわけではありませんが、自分自身と芸術との出会いを思い出しながら個人的な映画を作りたいと思いました」

アベル役のダリ・ベンサーラ、モー役のソフィアン・カーメら、フランス映画界の注目株のケミストリーも見どころ。
アベル役のダリ・ベンサーラ、モー役のソフィアン・カーメら、フランス映画界の注目株のケミストリーも見どころ。

となると、気になるのは、監督が演劇を志したときの家族の反応だ。やはり反対されたのだろうか。

「むしろ勇気を与えてくれました。どうなるかわからないということで心配はしていましたが、私のことを信用してくれました。そのおかげもあって、私はこの道に進むことができました。ですから、全ては可能だと思っています。

この映画では兄弟愛が描かれているわけですが、兄弟愛に限らず、家族の愛は、その人に翼を与えて飛ぶことを助けてくれるんです」

4人の兄弟が醸し出す空気も魅力。ヌールを演じるマエル・ルーアン=ベランドゥは、歌の才能が開花していく過程も鮮やかに表現。『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』にも出演しているアベル役のダリ・ベンサーラ『アプローズ、アプローズ!囚人たちの大舞台』(7月29日公開)も控えるモー役のソフィアン・カーメという注目株が、弟を見守る兄たちのそれぞれの包容力を味わい深く演じている。かと思えば、エディ役のモンセフ・ファルファーは、これまで演技経験がなかったとは思えないほど、青春の苛立ちを放っているのだ。

「マエルには一目惚れでした。オーディションでたくさんの子供と会いましたが、説明のしようがないというか、すぐにこの子だと感じた。そうしたインスピレーションは大切ですし、この作品は俳優たちの映画だと思っています。みんな家族のような存在になったので、撮影現場でも2人のお兄さんが弟たち2人を注意するという状況は映画と同じでしたね(笑)」

好きなシーンを尋ねると、ポスターに使われているシーンを挙げてくれた。そのシーンの意味するものに、きっと胸が熱くなるはず。

夏休みの前日から夏休みの終わりまでが描かれるなか、最初と最後のヌールのモノローグで語られる“ある言葉”が、同じ言葉なのに全く違う意味合いを持って響くことと共に。

ヨアン・マンカ:俳優、舞台演出家としてキャリアをスタートさせ、2012年に短編映画を初監督。『母へ捧げる僕たちのアリア』が長編初監督。(c)Philippe Quaisse  Unifrance.
ヨアン・マンカ:俳優、舞台演出家としてキャリアをスタートさせ、2012年に短編映画を初監督。『母へ捧げる僕たちのアリア』が長編初監督。(c)Philippe Quaisse Unifrance.

『母へ捧げる僕たちのアリア』

6月24日(金)よりシネスイッチ銀座ほか全国順次公開中

配給:ハーク 

(c)2021 – Single Man Productions – Ad Vitam – JM Films