空に浮かぶ方舟で、欲望と暴力が荒れ狂う。キム・ギドクの過激な寓話『人間の時間』
「20年以上映画を撮るなかで、映画とは何か、そしてまた映画が持つ役割とは何かについてもいろいろと考えるようになったんですね。結果、人間の歴史、人類の過去と現在と未来に関する映画を撮ってみたいと思ったんです」
こう話すのは、『人間の時間』(原題:Human, Space, Time and Human)のキム・ギドク監督。カンヌ(『アリラン』:ある視点部門最優秀作品賞)、ヴェネチア(『うつせみ』:銀獅子賞)、ベルリン(『サマリア』:銀熊賞)と世界三大映画祭で栄冠を手にしている鬼才が、本作で描くのは、人間の欲望と業。
舞台は、年齢も職業もさまざまな人々を乗せ、クルーズ旅行へと出航した退役軍艦。船の上では暴力と欲望が荒れ狂い、さらに乗客たちはいつのまにか船が空に浮かんでいることを知る。自分たちがどこにいるのか、そこから出られるのかもわからない極限状況のなか、生き残りをかけて人々の暴走はさらに加速していく。
男たちの欲望の対象となり、過酷な状況に放り込まれるヒロイン“イヴ”には、韓国でも活動する藤井美菜。その恋人タカシには、『悲夢』(’08年)でギドクと組んだオダギリジョー、有名な議員(イ・ソンジェ)の息子“アダム”には、チャン・グンソク。さらに謎めいた老人には名優アン・ソンギという豪華キャストにも興味をかきたてられる。
しかし、船で繰り広げられる出来事のおぞましさやそのあからさまな描写は思わず目を背けたくなるほど。しかも、それがこれでもかと言わんばかりに繰り広げられるのだ。
議員の力を利用しようとするヤクザ役のリュ・スンボムが主演した『The NET網に囚われた男』では、取り調べシーンの暴力は直接映さずに想像させたギドクが、ここまで直接的に暴力や欲望を描くのはなぜか。
「人類の歴史の中で言及しないわけにはいかないのが戦争です。第二次世界大戦や朝鮮戦争など、たくさんの戦争があったことを包み隠さず見せたかった。政治家やヤクザ、軍人といった船にいる多種多様な人たちは、人類のイメージです。
もうひとつ付け加えるなら、これは人間が人間を描く映画ではなくて、人間が自然の一部だという観点から作られた映画。なかでもアン・ソンギさんのキャラクターは自然そのもの。人間が自然を見つめたらどうなるか、そしてまた自然が人間を見つめたらどうなるかという思いも込めました。そういう観点から撮ったので、すべてのシーンがとても正直で、自由でありながら残酷なところがありつつも、崇高であると同時に美しさも持った映画だと思っています」
空に船が浮かんでいる幻想的な美しさがまた、船上で繰り広げられる出来事の酷たらしさを際立たせる。
イヴとタカシが日本語のままで話しても、韓国語を話す登場人物たちと会話が成り立つのも、『悲夢』でもオダギリが日本語で話していたキム・ギドクらしいスタイルだ。
「藤井美菜さんは韓国語がお上手なので、最初はチャン・グンソクさんと話すシーンでは韓国語を話してもらおうかなと思っていたんです。でも、韓国語で台詞を言うことに藤井さんが不安を感じているように見えた時がありまして。そういう気持ちのまま演じると、ぎこちなくなるのではないかと思って、日本語で台詞を言ってもらうことになったんですね。
役者がそれぞれの国の言葉を話していても意思疎通できるのは、映画なので問題ないだろうと。観客の皆さんは、最初は戸惑うかもしれませんが、映画が進むにつれて違和感なく観てくれるようになるだろうと判断したんです」
実際、言葉が違っても会話が成立していることが、物語の寓話感を高めることに。
過酷な状況に置かれながらも人間という存在の命が受け継がれていくことへの象徴的な存在となるイヴを演じる藤井も体当たりの演技だが、日本語の台詞も多いチャン・グンソクもまた鬼気迫る熱演。ショッキングなシーンのかずかずは、多くの人が彼に抱いているだろうアイドル的なイメージを吹き飛ばす。
「最初、チャン・グンソクさんにシナリオを渡すことは考えてなかったんですけれども、製作スタッフが彼に送ってくれたんです。それを読んだ彼が、やりたいと名乗りを上げてくれた。お会いして、シナリオの解釈を聞いて、十分に作品のことをわかってくれていると感じたので、出演してもらうことになりました。キャラクターについて深く理解してくれましたし、撮影現場でもほんとに頑張って努力している姿が見えたんですね。演じるときに大切なのは、最高の演技を披露しようとか思うのではなく、自分の持っている才能を最善を尽くして見せようという気持ちだと思うんですが、彼はまさに最善を尽くしてくれた。とても満足しています」
衣装は基本的にスタッフの意見を参考に選ぶというギドクだが、アン・ソンギの衣装にはこだわったそう。
「実は、アン・ソンギさんが着ているのは、私の服です。今まで自分が着ていた服を衣装に使ったことはありません。なぜ、今回そうしたかというと、アン・ソンギさんのキャラクターは、私自身が人間を見つめる眼差しだから。世界を見つめる眼差しの役だったからです」
「人間」「空間」「時間」「そして人間」と4幕に分けて描かれる物語。壮絶な事態のあとに待ち受ける最終幕に注がれる視線にもギドクらしさがうかがえるとともに、人間とはしょうがない生き物だという達観めいた、諦念のようなものを感じずにいられない。
「この映画における船は、私たちが生きている世界の縮図でもある。と同時に、この船で私たちが生きている世界の循環を表現したいと思いました。人は死に、堆肥になって、自然の土に帰る。それが繰り返されて、人間が生きていく大地になるんだということを表しています。
第3幕で終わることも考えましたが、その先をあえて見せることで、命の循環を表現したかった。依然として欲望は尽きないし、暴力も繰り返されるんだというメッセージを伝えたかったんです。これが私たちの現実なんだ、未来なんだと。
実はもともとのシナリオにはそこからさらに踏み込んだシーンがあったんですが、撮らなかったんですよ。とても撮れない内容ですし、何が起きたか想像してもらうほうが映画的ですから」
これからご覧になる方のために監督が教えてくれた “撮らなかったシーン”はここに記すわけにはいかないが、それはやはり禁忌に触れるものだということをお伝えしておこう。ご覧になれば、それだけで想像がつくはず。
ちなみに、作品紹介で“イヴ”と“アダム”と記されている藤井とグンソクの役は、作品中ではその名前では呼ばれていない。ストーリー紹介するときには、どう表記すべきか聞いてみた。
「“男”と“女”でもいいですよ。シナリオを書くときに設定したのが、“アダム”と“イヴ”だったんです。書くときには名前にはあまり拘らない。ただ単に“男”と“女”とすることもよくありますよ」
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『人間の時間』
シネマート新宿ほかで公開中。全国順次公開。
提供:キングレコード
配給・宣伝:太秦