夫の介護30年。人生100年時代のヒロインの新たな一歩。『イーディ、83歳 はじめての山登り』
相手が何気なく口にした言葉に、背中を押されることはままあるもの。
『イーディ、83歳 はじめての山登り』(原題:Edie)の主人公もそんな一人です。
30年にわたり、夫の介護を続けたのち、一人暮らしを案じる娘によって高齢者向け施設への入所手続きを進められているイーディ(シーラ・ハンコック)。自身の人生について胸に秘めていた思いを娘に知られたこともあいまって、やるせなさを募らせていた彼女が、かつて父親に誘われていたスコットランドのスイルベン山へ登ることを思い立つのです。
きっかけは、馴染みのフィッシュ&チップス店で追加注文ができるか訊ねたイーディに、店のスタッフが返した「何も遅すぎることはないよ」という言葉。天啓を得たかのように、父の思い出の古びた登山グッズを鞄に詰め、イーディはロンドンから寝台列車でスコットランドへ。麓の村の登山用品店の青年ジョニー(ケヴィン・ガスリー)のトレーニングを受け、登頂に備えることになるのですが…。
80代にして登山に挑戦する女性ということで、ポジティブで快活なチャーミングなおばあちゃんを想像していたのですが、長年孤独を抱えてきたせいか、イーディは偏屈で頑固。しかし、そんな彼女が孫ほど年の離れたジョニーとの交流を通して、本来の彼女を取り戻すとともに、人の好意を素直に受け入れることも学んでいく。
一方のジョニーは、これから先の人生への不安を抱える身。自分の人生に悔いを残すイーディと、迷いを抱えるジョニー。それぞれの存在がおたがいの背中を押すと同時に、幸せな人生のためにはパートナーと価値観を共有できることがいかに大きな意味を持つかも浮かびあがらせることに。
ジョニー役のケヴィン・ガスリーは『ダンケルク』や『ファンタスティック・ビースト』シリーズといった大作にも出演していますが、『ウイスキーと2人の花嫁』といい、本作といい、ハートフルな小品で等身大の青年を演じるとひときわ魅力的。彼の出演作にハズレなしと言いたいほど。
イーディの登山そのものは個人的には無謀に感じるのですが、作品的には自分を抑えて生きてきた彼女が新たな一歩を踏み出すためのイニシエーション的な意味合いを持っています。スイルべン山に挑んだ彼女が、父親との思い出の品をどうするか。その行動にも、挑戦したことへの彼女の思いが見てとれます。
そして、撮影当時イーディと同じ83歳だったハンコックが、実際に山に登って撮影に挑んだからこその臨場感。終盤、ほとんど台詞のないなか、イーディがスイルベン山を目指す行程は、木々を揺らす風の音や水のせせらぎとあいまって、カメラが捉えたハイランド地方の雄大な自然の美しさに心が洗われるよう。
とりわけ、夕焼けや朝焼けの美しさときたら、かの地への旅情をかきたてられずにはいられません。
『八月の鯨』(’87年)が公開され、日本でもヒットした当時は、撮影時リリアン・ギッシュが93歳、ベティ・デイヴィスが79歳と、高齢の女優が主演ということも話題になりました。それから30年余り。いまや高齢者が主人公の映画は珍しくありません。そして、そこには社会が映し出されています。全国順次公開中のロシア映画『私の小さなお葬式』では、余命宣告を受けた73歳の女性が多忙な息子に迷惑をかけまいと自身の葬儀の準備を進める姿が、「終活」が注目され始めた時代を映しだしていたように。
人生100年時代。健康や老後資金あってこそとはいえ、やり残したことに限らず、やりたいことに挑戦するのに遅すぎることはない。悔いを残したまま、その先の人生を過ごすことにならないために、いくつになっても踏み出すことはできる。
それは年齢を重ねた人だけの話ではありません。今から思えばまだ若かったのに、「もう遅い」と諦めてしまい、あの時始めていればと後悔した経験がある人も少なくないでしょう。
「何も遅すぎることはないよ」
イーディがこの言葉に背中を押されたように、彼女の挑戦もまた誰かの背中を押すことになるのかもしれません。
(c)2017 Cape Wrath Films Ltd.
『イーディ、83歳 はじめての山登り』
監督・脚本/サイモン・ハンター
配給:アットエンタテインメント
1月24日よりシネスイッチ銀座ほか全国順次ロードショー