■マイナス評価に理由として「一貫性がない」はよくある

私は面接担当者のトレーニングを担当する機会が多いのですが、優秀で実績もある採用候補者に対し、担当者が「話の一貫性のなさ」を唯一の問題として、この人はダメと断じる場面に遭遇することが相当数あります。

彼らは、例えば「なぜ高校でラグビー部を選んだのか」と「なぜ大学で心理学を学んだのか」について具体的な理由を尋ねたが、答えに一貫性がなかったなどと答えます。確かに一貫性があれば話も分かりやすく、評価に影響してしまうのは仕方ないかもしれません。

■イケてるキャリアの人でも矛盾だらけ

しかし、そうした言葉を聞くたびに「そういうあなた自身の行動は、すべて一貫していますか?」と言いたくなります。

確かに社会において生活や仕事をしていくに当たって、表面的に見えている自分を一貫性があるように見せかけることは重要です。そうでなければ、支離滅裂な人に思われて信用を失ってしまうからです。

その一方で、誰もが「会社での自分」や「配偶者や恋人などのパートナーの前での自分」、「趣味のサークル内での自分」や「SNSでの自分」など、いろいろな自分を持っているものです。人は葛藤や矛盾を抱えた状態で、様々な選択をする存在でもあるのです。

キャリアにおいても同様です。仕事柄、私は世間的に「イケてるキャリア」と言われている人にお話をお伺いする機会も多いのですが、キャリアについて一貫性を持って歩んできた人は意外にも少数派です。

彼らが採用面接時にどう言っていたかはわかりませんが、少なくとも気負わないインタビューでは、キャリア選択の判断基準が見事にコロコロと変わっています。

むしろ、一つの基準にこだわらずに、訪れたチャンスに身を任せていたからこそ、彼らの今があるとも言ってもよいかもしれません。かく言う私も、最近「恥ずかしいキャリアの私」という文章をnoteにまとめ、その行き当たりばったりさに呆れていたところです。

■「私」という複合体

そもそも「私」という存在は、いろいろな「私」の集まりなのです。心理学用語のコンプレックスは「心的複合体」とも訳されますが、人は様々なコンプレックス(劣等感コンプレックスなど)を内に抱え、それらに影響を受けて、ときには自我を乗っ取られたりもしながら生きている複合体なのです。

それは別に悪いことではなく、いろいろな自分を出し入れすることで柔軟に場に合わせていくことができるわけです。実際、どんな場でも一貫していて、変わらない人はむしろ「空気の読めないやつ」と低く評価をされているではないですか。

それなのに、もし話の一貫性にこだわり過ぎれば、状況に柔軟に対応できる優秀な人材を見逃してしまう可能性があります。

もちろん、面接担当者に話の一貫性にこだわる人が多いのは、ある意味仕方がないことです。人は、自身の中で矛盾する認知を同時に抱えたとき、そのときに感じる「認知的不協和」という不快感を解消するために、自身の態度や行動を変更しようとするからです。

面接で言えば、担当者が自分の中に生じた「不快感」を、「候補者がダメだから不快だ」と理解することでスッキリしようとするということです。

■面接担当者には「あいまい耐性」が必要

そういう性質が人間にそもそも備わっていることを考えると、面接担当者という職務を担う人は、努力をしてその不快感に耐えなくてはなりません。人間は矛盾を抱えて生きている極めてあいまいな存在なのだという「事実」を受け入れなくてはなりません。

確かに一貫性のない話を聞いていると、モヤモヤしてストレスを感じます。しかしそこから逃げてはいけないのです。我慢して受け入れて、その上で、その候補者がバラバラで多様な「私」を場面に合わせて使いこなしているのかを評価すればよいのです。

「ギャップ萌え」という言葉があります。日頃のその人の言動からは想定しにくい側面を見つけたときに、その人の魅力を感じるという意味です。このように、むしろ一貫性のない人の方が魅力的であることすらあります。

自分の中に多様な性質を抱えることで、多様な場面に適応できるとすれば、マネジメントにおいても、いろんなタイプのメンバーに合わせたアクションが取れる可能性があります。新しいものは異質なもの同士の結合から生まれるとすれば、創造性も高いかもしれません。そんな魅力的な「一貫性のない人」を、面接担当者の狭量で、むやみに不合格にしてはいけないのではないでしょうか。

キャリコネニュースにて人と組織についての連載をしています。こちらも是非ご覧ください。