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なぜ人は会社を辞めるのか〜人の配置の最適化を阻む「人事権」という権力〜

曽和利光人事コンサルティング会社 株式会社人材研究所 代表取締役社長
どこに行けば自分は最も役に立つのか(写真:hiroyuki_nakai/イメージマート)

■場によって人が変わる日本人

「アイデンティティ」が「どんな場でも変わらない自分らしさ」を意味するのなら、日本人には強い「アイデンティティ」を持っている人は極少であると言われます。自分や近しい人を見ていても、会社での自分、恋人や配偶者の前での自分、子どもの前での自分、友人との場での自分、すべて微妙にあるいは大いに異なります。

この「アイデンティティ」の確立を思春期の発達課題とした心理学者のエリクソンは、その対立概念を「役割意識」としました。しかし、この「役割意識」の方が日本では現在でも暗黙的な教育目標として掲げられているようです。子どもを叱るのに「恥ずかしいよ」「笑われるよ」「誰かが見ているよ」と言ったことはないでしょうか。よく考えるとそれは「場に応じた役割に自分を合わせなさい」という言葉です。そういう教育を受け、日本人の多くは「アイデンティティ」よりも「役割意識」を重視して生きているわけです。

■個よりもチームが大事

「役割意識」を重視するのは、組織の利益のために個の本性を歪めることを厭わないということです。ですが、それはけして卑屈な感情ではありません。自分より大きな何かの一部として自分を捉えることで「大いなるもの」に同一化する喜びを味わっているのです。

会社や血脈、その他のコミュニティ、あるいは抽象的な思想や理念といった「大いなるもの」は大抵自分より長命で(会社は人よりも短命なことも実は多いのですが)、影響力が強く、同一化すれば、永遠の命や強大な力を授かった気持ちになれます。だから、所属集団を愛する、愛したいという願望が人一倍強いのではないでしょうか。私が会った約2万人の就職・転職希望者の8割方は、会社を選ぶ第一基準を「人や組織文化との相性」と話しました。この傾向はここ20年間は少なくとも変化していません。

■なのに、人は「個」しか見ない

このように、日本人の集団では、構成員が合わせようとしている集団自体の特質に目を向けねばなりません。しかし、経営者や人事でそういうことを考えている人はあまり多くはありません。

例えば、採用において「求める人物像」という個のレベルでの理想像は作るが、「どんなチームにしたいか」という議論はあまりしません。本来は、チーム像があって、それをブレイクダウンして個々の役割があり、「求める人物像」がある。だから、「人物像」は一つではありえず、複数の像のポートフォリオからなるはずです。しかし、「求める人物像」が単一の会社が大半を占めるのです。

私がリクルートで新卒採用責任者をしていた時は、常に「新卒同期」という強いインフォーマルネットワークとなるチームを意識していました。4番打者ばかり集めても強いチームにはなりません。組織の個々の役割を担える人材が適した数だけ必要ですし、昨今の環境の変化の激しさを考えれば、許容範囲で最大限多様性を持った人材を揃える必要もありました。

元気で明るい行動派だけでなく(リクルートはそういう会社と思われていました)、暗い人も敏感性の強い人もオタクも頭が良い人もいた方がよい。そのためMUSTの人材要件は最小限にし、他は「何かで飛びぬけている」ことだけを条件に採用しました。結果、ある程度多様な個性の集団にすることができたと思います。

■組織の問題を個のせいにするな

組織開発においても、人事(経営者やマネジャー含む)は、組織問題を個のせいにしてしまうことが多いです。早期退職者が出れば、受け入れ側の問題を考えることなく「採用ミス」と言う人が多い。ローパフォーマーは、上司や同僚との相性を考えずに、個の能力不足と見る人が多い。次世代リーダー候補が出ないのも、目標達成意欲の上がらないのも、何でも個が悪いと見るのです。

結果、対策も個に対するものがほとんどで、個人にプレッシャーを与える評価報酬制度を導入したり、人を入れ替えて解決しようとリストラしたり、個に研修やカウンセリングを施して人格変容を期待したりします。そういうものは一時的には効くかもしれませんが、「役割意識」の人々は、問題構造が温存された元の「場」に帰れば、「期待」される役割にすぐ戻ってしまいます。変えるべきは、多くは「個」ではなく「組織」なのです。

■与えられた不適切な役割に疲れて人は組織を去る

人事が組織に目を向けず、その構造や仕組み、システムを変えなければ、問題を抱えた個は所属する組織と人事とから要請される矛盾した役割の板挟みにあって立ち往生するしかありません。そして、疲れ切ってしまえば、その場を去ることになります。

象徴的な例ですが、大手転職サイト調査での「人が転職をする本当の理由」はダントツで「人間関係」でした。仕事内容でもキャリア観の相違でもありません。まさに「何をするか」より「誰と働くか」。組織システムの第一は人と人の組み合わせ、すなわち「配置」です。多くの組織問題はこの「配置」から生じており、配置を変えれば解決できるものが多い。人を辞めさせないためには、良い人間関係を周囲に作ってあげればよいのです。

■配置を権力獲得の道具にするな

しかし、配置を合理的に、システマティックに行うのは難易度の高い仕事です。というのも、「人事権」すなわち「配置」に関する権限は、組織における権力を生じさせるため、既得権として人事権を持っている者が恣意的にそれを行使することを止めさせるのが至難の業だからです。

しかし、難しいとばかり言っても意味がありません。人事が適切な配置をサポートするための突破口は二つあります。

一つは、社内に自由市場を作り、計画人事から自由市場人事に変える。かつてリクルートにはキャリアウェブという社内転職市場があり、自分で自分の配置を考え、行きたいところに応募し、相手が受け入れれば、上司も人事も反対できないというルールでした。ただ、このような制度は、前提として、キャリア自律した従業員や風土が必要です。

もう一つは、配置を科学し、適切な配置を「見える化」してしまうことです。チーム状況の評価ができる適性検査を導入して、現状の配置の問題点を明らかにし、理論上の最適組織を明確なエビデンスを元に組んでしまうのです。人事権者が気に入らない人を飛ばすなど恣意的なことをしようとすれば、そこには逆に説明責任が発生し、無茶なことはできなくなるはずです。

■人事は見えないものを見なくてはならない

個は実体だから目につきやすいのですが、組織は構成概念だから目に見えません。しかし、個をスポイルする組織問題を発見するために、人事は見えない組織を見なければなりません。

そのために「心の目」が重要です。見えるものだけではなく、その背景を想像する。人の言葉尻ではなく、その言葉を使った背景に思いを馳せる。一人の意見を鵜呑みにせず、様々な人の話から真実をあぶりださねばなりません。

問題の原因をすぐ目につく個人のせいにする思考停止に陥らず、偏見を振り払い、辛抱強く組織を眺める。そんな「心の目」を人事が持たなければ、その組織は対症療法としてスケープゴートを見つけるしかできない、個人をスポイルする組織になってしまうでしょう。

人事コンサルティング会社 株式会社人材研究所 代表取締役社長

愛知県豊田市生まれ、関西育ち。灘高等学校、京都大学教育学部教育心理学科。在学中は関西の大手進学塾にて数学講師。卒業後、リクルート、ライフネット生命などで採用や人事の責任者を務める。その後、人事コンサルティング会社人材研究所を設立。日系大手企業から外資系企業、メガベンチャー、老舗企業、中小・スタートアップ、官公庁等、多くの組織に向けて人事や採用についてのコンサルティングや研修、講演、執筆活動を行っている。著書に「人事と採用のセオリー」「人と組織のマネジメントバイアス」「できる人事とダメ人事の習慣」「コミュ障のための面接マニュアル」「悪人の作った会社はなぜ伸びるのか?」他。

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