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「自責な人は他責な人よりもよい」という思考停止〜自責のデメリットと、他責のメリット〜

曽和利光人事コンサルティング会社 株式会社人材研究所 代表取締役社長
「雨が降るのも、槍が降るのも、なんでもかんでも全部俺のせいだ・・・」(写真:maroke/イメージマート)

■世の中は基本的に「自責」がよいと思っている

この数十年、ずっと「自責」がはやっています。書店の自己啓発本のコーナーに行くと、「自責本」がたくさんありますし、いろいろな会社の「求める人物像」に「自責」という言葉が盛り込まれています。

「自責」とは、「何か物事が生じた際、その原因を『自分』だと考える傾向」のことを指すことが多い。「他責」はその反対です。しかし、私が以前所属した某社では、実は「他責」の人ばかり採用しており(適性検査でわかっている「事実」です)、それなのに世の中的にはかなり成功を収めている、と聞くと皆さんはどのように思いますでしょうか。

■「社会的望ましさ」に惑わされてはいけない

「人を表現する言葉」を考える上で、大事なポイントの一つに「社会的望ましさに惑わされない」ということがあります。「自責」のように、「そりゃあ、他責よりも自責な人がいいよね」と誰もが考える(=社会的に望ましいと思われている)ような言葉を使う時には、注意しなければなりません。本当は「他責」の方が自社にとって望ましい時にも、思考停止して「自責」を選び取ってしまうことがあるからです。

■「自責」と「他責」は仕事によってどちらがよいか変わる

私は、「環境の可変性」と言っていますが、自社の事業や仕事を取り囲むビジネス環境を変えてもよい(あるいは、変えなくてはならない)程度がどれほどのものかによって、「自責」を必要とするか、「他責」を必要とするかが決まってくると考えます。

例えば、鉄道の運転手さんのような仕事の場合、環境の可変性はおそらくあまり高くはありません。きちんと決められたことをしっかり守ることこそが重要で、自分の仕事の持ち分の範囲内での努力、「自責」が必要とされます。運転手が努力をして、規定の時間よりも早く目的地までたどり着くような、「環境を変える」ことは望まれてはいません。

■「自責」な人は、環境を変える力が弱い

一方で、勝ちパターンの定まっていないベンチャー企業や、これまでのやり方が陳腐化した企業などでは、環境は大いに変えるべきものとされます。現在の環境は制約条件ではなく「スタートライン」であり、変えていけないものなどないと考える姿勢こそが要求されます。

例えば、部長が最適ではない戦略や方針を打ち出していると思っても、自責の人なら、それでも自分の領域内で頑張ってなんとか成果を出そうとしますが、他責の人は「部長、その方針よりも、こうする方がよいのではないでしょうか」と直訴するなどして、他者(=環境の一つ)を変えようとするでしょう。自責の人ばかりでは、なかなか環境は変えられません。

■一見、よく見える言葉も疑ってみるべき

「自責」も「他責」も、時と場合によってよくも悪くもなるということです。このように求める人物像を検討する際、「自責」のような聞こえのよい言葉が出てきたら、一度「本当にそれは必要なのか」「どういう意味なのか」「なぜか」と疑ってみることが重要です。

人事コンサルティング会社 株式会社人材研究所 代表取締役社長

愛知県豊田市生まれ、関西育ち。灘高等学校、京都大学教育学部教育心理学科。在学中は関西の大手進学塾にて数学講師。卒業後、リクルート、ライフネット生命などで採用や人事の責任者を務める。その後、人事コンサルティング会社人材研究所を設立。日系大手企業から外資系企業、メガベンチャー、老舗企業、中小・スタートアップ、官公庁等、多くの組織に向けて人事や採用についてのコンサルティングや研修、講演、執筆活動を行っている。著書に「人事と採用のセオリー」「人と組織のマネジメントバイアス」「できる人事とダメ人事の習慣」「コミュ障のための面接マニュアル」「悪人の作った会社はなぜ伸びるのか?」他。

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