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「私たちは特別な感性の世代」という若手社員にどう対峙するか〜本当はそこまで変わらない中年と若者〜

曽和利光人事コンサルティング会社 株式会社人材研究所 代表取締役社長
「俺たちは、あんたたちとは違うんだよ」(写真:GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート)

■真や善は共通だが美意識は違う?

人間の精神が求める普遍的な価値をよく「真・善・美」と言いますが、知性における理想が「真」、倫理における理想が「善」とすれば、最後の「美」は感性における理想と言ってもよいかもしれません。要は、感性とは物事に関する美意識です。

「真」や「善」は、若者と我々中高年世代の間でもそれほど違いはなく割と共通しているのですが、こと「美」についての感性においては今回のタイトルのように隔絶があるとよく言われます。世代間の考え方の違いは、「働き方についての価値観」など「真」や「善」に関するようなことももちろんありますが、音楽やファッションなどのセンス、「美」に関することに最も現れるように思います。確かに「世代間の違いを一番感じるのはカラオケだ」と我々中高年達は口々に言います。格好いいと思う歌が全然違うので愕然とするというわけです。

■実は結構中高年世代が作る「私たちの」感性

しかし、です。本当に美意識は世代独特のものなのでしょうか。流行色が国際会議などで実際に流行る2年前に決まっているとか(流行するものを決めるというのも変ですが)、ファッションや音楽には流行にはサイクルがあって20年周期で繰り返している(確かに、’90年代のものが今再ブレイクしていたりします)などと聞くと、若者が言うほど世代によって独特の感性や美意識が本当にあるのかどうか疑わしく思えてきます。

人は経験から学び、感性も例外ではありませんが、実際今の20代ぐらいの若い世代が子供の頃から経験してきたものは、ほとんどが親世代など大人たち、つまり我々中高年世代などが考えてきたものです。つまり、若者達が「私たちの感性」とか言っているものは、その上の中高年世代が与えたものではないですか。だから、おおよそ20年周期で流行のパターンが繰り返されるのかもしれません。私は恥ずかしながらフェスなどに行ったことはありませんが、観客には20代が多いようですが、ステージに立っているのは結構中高年世代もいますよね。

■なぜ、「私たちは特別だ」と言いたがるのか

上述のように、おそらく20代の言う「私たちの感性」は、本当はそれほど中高年と違わない、むしろ、裏で中高年から受け継いでいるものであるということは20代にとっては「不都合な真実」です。ですが、20代の若者の感性が独特である、個性的であるということが本当か否かということは、それほど問題ではありませんし(どうでもよい)、若者に嫌なことを言えばただ嫌われるだけですし、取り立てて言挙げし、まくしたてる必要はないでしょう。

我々がすべきことは「私たちはあなたたちと違う」ということをなぜ彼らが言いたがるのかという背景を理解し、適切な対応を取ることです。エリクソンのライフサイクル理論を見ると、20代というのは個性というものについての考え方がぐらついた不安定な時期に私には思えます。

前半はまだ思春期を引きずっていて、いわゆるアイデンティティの確立(自分は一体何者かということについての肯定的な確信)が精神発達上の課題である状況が続いている人が多い。自分を確立することは、他と区別することに近く、ひいては個性の主張につながる。「私は特別である」と言いたい時期ということです。

■「特別な人たち」の「集団」?

ところが、特別な人、独特な人は、必然的に孤立します。特に日本のような同調性圧力という文化的宿痾を持っている国においては、「変わっている人」は排除されてしまいます。それに加えて、アイデンティティの確立ができれば、エリクソンによれば次の段階としては「親密性」という、他者とわかりあい親密な関係を築く(そして恋愛や結婚に続いていく)という発達課題の時期に入ります。

多様性に対して受容的な社会においては、「違う独特な個性」同士がお互いを認め合うことをサポートする雰囲気がありますが、同調圧力の強い排他的な社会においては親密さを作るのは主に同質性です。それなのに、前の発達段階で「私は特別」と言ってしまっている。矛盾です。ここをどう乗り越えるのかが日本社会の20代にとっては難しい。そこで彼らは「私『たち』は、あなた『たち』とは違う」「私『たち』は特別なのだ」というニュータイプみたいな幻想をなんとか作り出し、それを拠り所にするようになるのではないでしょうか。

■ただし、ことさら「一緒である」ことを伝える必要はない

要は、彼らは無意識的に我々中高年世代を仮想敵にすることで、本当は結構価値観が違う若者たち同士が親密性をなんとか深めようとしているのです。彼らは我々の世代よりも考え方や趣味・志向はバラバラでしょうからこそ、この中高年を仮想敵にして団結することの意味がより強くなります。それで若者は「私たちの感性は、あなたたちとは違う」と言いたいのです。

中高年世代は、職場で若者をマネジメントする際などに、これを真正面から受けて「いや、一緒じゃん」とか「違うと言っているが、やっていることは同じ」とか、野暮なことを言わないようにしましょう。「違う」と思いたいのですから、別にそれでいいではありませんか。細かく見れば実際にいろいろ違うわけですし、「確かに、僕たちは君たちといろいろ違うね!」と言っておけば良い。

それができない中高年は逆に20代〜30代の発達課題である「親密性」を引きずっているのです。それは早く卒業しましょう。「中高年も若い世代も一緒だ」とか無理やり認めさせることをしないままで、若者とはさりげなくミスチル(長寿バンドはこういうときに便利ですね)とか『キングダム』とかの話に花を咲かせておけば良いのです。マネジメント研修でよく言われるからといって、ことさら「共感しているよ」などと示さなくてもよいのです。

もちろん、いろいろ矛盾ですが、そうすることで、中高年世代と若者世代が仲良く共存できるなら、それでいいのではないかと思うのです。

OCEANSにて若者のマネジメントについての連載をしています。こちらも是非ご覧ください。

人事コンサルティング会社 株式会社人材研究所 代表取締役社長

愛知県豊田市生まれ、関西育ち。灘高等学校、京都大学教育学部教育心理学科。在学中は関西の大手進学塾にて数学講師。卒業後、リクルート、ライフネット生命などで採用や人事の責任者を務める。その後、人事コンサルティング会社人材研究所を設立。日系大手企業から外資系企業、メガベンチャー、老舗企業、中小・スタートアップ、官公庁等、多くの組織に向けて人事や採用についてのコンサルティングや研修、講演、執筆活動を行っている。著書に「人事と採用のセオリー」「人と組織のマネジメントバイアス」「できる人事とダメ人事の習慣」「コミュ障のための面接マニュアル」「悪人の作った会社はなぜ伸びるのか?」他。

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