Yahoo!ニュース

自信過剰な若手の「評価に対する不満」に、上司や先輩はどう対応すればよいのか

曽和利光人事コンサルティング会社 株式会社人材研究所 代表取締役社長
「もちろん私が一番です」(写真:miya227/イメージマート)

■若者の特徴は「無知」

個々人で比べれば、我々中高年世代よりもモノをよく知っている人はいくらでもいるでしょうが、集団としての20代は上の世代よりも相対的に無知です。

最新技術とか時々の流行など20代が最も知っていることもたくさんありますが、時を超えた普遍性を持つ世界に関する知識や、自分自身に関する認識については、年を重ねるにつれ経験を積んで知識を積み上げていくわけですから、中高年世代のほうがよく知っていることが多い。私も思えば無知さゆえの恥ずかしい行いを数え切れないぐらいしてきたと思います。

ただ、無知がダメということではありません。知恵がつけば怖くてできないことも無知さゆえにできることもあります。明治維新をなしたもの20代の志士が多かった。また、無知さゆえに新しい発想もわきます。変に知識があればそれに囚われて発想が枠から出ません。ともあれ、20代は良くも悪くも「無知な世代」と言ってよいでしょう。

■無知は自信を生み出す

さて、この「無知」はさまざまなものを生み出しますが、その中で最も大きなものは「自信」ではないでしょうか。「無知さゆえの自信」。例えば、ダーウィンは「無知は知識よりも自信を生み出す」と言いました。シェイクスピアは「愚か者は自身を賢者だと思い込むが、賢者は自身が愚か者であることを知っている」と言いました。つまり、いろいろ知ると謙虚になるが、何も知らないと自信家になるとでもいうことでしょうか。

実はこのことは、心理学でも確認されています。能力の低い人物が自らの容姿や発言・行動などについて、実際よりも高い評価を行ってしまう優越の錯覚を生み出す認知バイアスが発見されており、これを研究者の名前を取って「ダニング=クルーガー効果」と言います(なんとイグノーベル賞を取っています 笑)。要は、能力の低い人は、自分の能力を正確に推定できず、能力不足を認識できない。これと人がもともと持っている防衛本能が組み合わさると「無知さゆえの自信」になっていくのでしょう。

■評価の場面では難儀な問題

この「無知さゆえの自信」は、前にも述べたように決して悪いことではありません。分別盛りの中高年は「無理だよ」と簡単に諦めることを、彼らは無知さゆえに無謀に飛び込み、やってみて、その結果、意外にも成功したりする。このようにして世界は進歩していくというものです。ですから、よく中高年が息巻いて言いますが、「自信満々なあの若手の鼻を一度へし折ってやらないとな」とか言っていてはいけません。むしろ利用してナンボと考えるべきでしょう。

しかし、これが人事評価の場面においては問題になります。自分のレベル感がわからず、大抵の場合過大評価をしているので、もし、実態通りの評価がついたら自己評価とギャップが生じて不満が生まれ、表題のような訴えが起こってしまいます。評価の不満は、ややもすれば退職にもつながるような重大な問題です。放置しておくわけにはいけません。だからと言って、せっかくの自信を打ち砕けば良いわけでもありません。大変難易度の高い問題と言って良いでしょう。

■誰と競争しているのかをわからせる

さて、ではどのようにこの難問に対処すれば良いでしょうか。若手が自己評価を実態以上に高く誤認してしまう理由のひとつは、人事評価の根本が「相対評価」であることをわかっていないことです。自分が目標としていたことを達成できればOKであると考えてしまうのは自然でしかたがないことですが、本来、人事評価というものは限界ある報酬原資の取り分を決めるものですから、「自分がどれぐらいできたか」という絶対評価ではなく、「他者と比べてどれぐらいできたか」という相対評価が基本です。

これまで述べたようにそもそも自信過剰な若者が、自分の仕事の出来しかみていなければ、自己評価が高くて当然です。ですから、「あなたは、この人たちと競争しているのですよ」と、リアルに相対評価の対称群となる人たちを示してあげるべきでしょう。そうすれば、自分の仕事にベンチマークができます。自分では「結構できた」と思っていても、横を見ればもっとやっているやつがいる。それがわかれば「まずい、もっと頑張らねば」となるはずです。

■「ロー・ハンギング・フルーツ」に頼りすぎない

若手の自己評価が高くなってしまう、よくあるもうひとつの理由は、目標設定のレベルが低すぎることです。昔と違い、今は「褒めて育てる」がベースになっています。そのために、目標設定はロー・ハンギング・フルーツ(低い位置にある果実)といって「ちょっと背伸びすればできる」レベルにすることが多い。そうなれば、当然、「ちょっと背伸びして」目標達成してしまう。そして褒めちぎられる。このこと自体はモチベーションは上がるでしょうが、自己評価の観点からはこんな手法に頼りすぎていては誤解して当然です。

むしろ、自己評価の高い人であるなら、それをうまく逆手に取って、「君ならこれぐらいできそうだと思うけれども、できるよね?」「はい、もちろんそれぐらいできると思います!」「そうか。さすが。では、これぐらいを目標に設定してみるか」と、高いレベルの目標設定をすることも重要です。そして、うまくいけば報いてあげれば良いし、そうでなければ、「残念だった」とすれば、目標に達成しなかったわけですから、ぐうの音も出ないでしょう。

■能力を褒めずに、努力を褒める

最後のひとつは、褒め方です。若手が何か成果を出したときに、褒めることはもちろん良いのですが、「さすができる人は違うねえ」とか「天才!素晴らしい!」とか言っていませんでしょうか。実は、このように「能力」を褒めるのはあまり良くないようです。

ドゥエックの研究によれば、能力の高さを褒められると、その評価を下げることに恐怖を抱き、新しいチャレンジを避けて、先の「ロー・ハンギング・フルーツ」ばかりを狙いにいくようになることが知られています。能力に注目することで、成果をもたらしたのは(努力ではなく)能力というそもそも持っている(つまり固定的な)ものである、と考えるようになるということでしょうか。能力を固定的なものと考えるのであれば、少しでも低い評価をされればそれを守ろうとして無意識的に反発し、「それは相手の評価のほうがおかしいのだ」と考えてしまうかもしれません。

一方で、コントロールしやすい努力のほうを褒めることで、「自分の意思で成果はなんとでもなるし、成長するかどうかも決まる」という意識になるとのことです。低い評価を受けた際にもそれを自分の能力に起因すると考えるのではなく、「もう少し努力すれば良かった」「やればできたかもしれない」と考えることで、その評価を受け止めやすくなることでしょう。

■自信を失わさないようにしてあげたい

上にも述べましたが、若手の自信過剰さは特権であり、それ自体価値あるものだと思います。しかし、この「根拠のない自信」は、中高年になると現実にまみれて、どんどん失われていってしまいますので、下手すると、無意識に自信ある若手を妬ましく思う気持ちになってしまうのではないでしょうか。その気持ちに気づかずにいると、未熟で無知な若手に、そのままの現実を見せつけてコテンパンにして潰してしまうオッサンになってしまいます。自分も昔は自信過剰な若手だったわけですから、大人である我々はもっと鷹揚に若手を受容してあげてほしいと思います。

OCEANSにて、若者のマネジメントに関する連載をしています。こちらも是非ご覧ください。

人事コンサルティング会社 株式会社人材研究所 代表取締役社長

愛知県豊田市生まれ、関西育ち。灘高等学校、京都大学教育学部教育心理学科。在学中は関西の大手進学塾にて数学講師。卒業後、リクルート、ライフネット生命などで採用や人事の責任者を務める。その後、人事コンサルティング会社人材研究所を設立。日系大手企業から外資系企業、メガベンチャー、老舗企業、中小・スタートアップ、官公庁等、多くの組織に向けて人事や採用についてのコンサルティングや研修、講演、執筆活動を行っている。著書に「人事と採用のセオリー」「人と組織のマネジメントバイアス」「できる人事とダメ人事の習慣」「コミュ障のための面接マニュアル」「悪人の作った会社はなぜ伸びるのか?」他。

曽和利光の最近の記事