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行為を犯罪化する意味―話題の「大麻使用罪」―

園田寿甲南大学名誉教授、弁護士
(写真:CavanImages/イメージマート)

■明日から「犯罪」

 大麻取締法は、大麻の所持や栽培などが自己使用目的であってもたいへん重い刑罰(所持は5年、栽培は7年以下の懲役)を予定していますが、大麻の使用それじたいを処罰する条文はありません。そこで今、「大麻使用罪」という新たな条文を作ることの是非が問題になっています。

 かりにこれが制定された場合の法定刑については分かりませんが、おそらく所持罪と同じく最高で5年くらいの懲役になる可能性があるのではないかと思っています(ヘロインや覚醒剤の自己使用は10年以下の懲役)。

 大麻使用罪という条文ができれば、それまで適法だった行為が特定の日以降犯罪になるわけですが、少し前では、児童買春児童ポルノ禁止法(1999年11月1日施行)、不正アクセス禁止法(2000年2月13日施行)、ストーカー規制法(2000年11月24日施行)などがそうです。古くは、覚せい剤取締法(1951年7月30日施行)、売春防止法(1957年4月1日施行、ただし売買春じたいは今も処罰規定なし)などもそれまで適法であった行為を特定の日から犯罪とした例です。

 法の制定と施行は事前に予告されますので、ある日突然逮捕ということはもちろんないのですが、それまで普通に歩いていた道路に朝起きてみれば深い穴が開いていたようなもので、その日から細心の注意をしないといけないという場合もあります。

■一般に行為の犯罪化とは

 最初は「これから、みんなでこうしましょう」と決められたルール(約束事)も、それが既存のルールに溶け込み定着して多くの人が従うようになれば、世の中全体の仕組みも人びとの行動も変わり、ルール違反に対する評価も変わっていきます。

 たとえば道路の左側通行が決められたのは明治14年(1881年)で、警視庁によって、「人力車が行き合った場合には左に避ける」とされました。おそらくその頃、東京では人力車どうしが衝突するというトラブルがちょくちょく起こったのだと思います。その後、明治33年、警視庁が「道路取締規則」を制定し、諸車牛馬は車馬道の左側を、その設けのない道は中央を通行すること、そして、歩行者はみだりに車馬道を通行しないなどが定められました(JAF:[Q]なぜ日本は左側通行なの?)。

 左側通行のルールに違反する行為は、世の中に人や車の通行量が少ないときは形式的なルール違反(約束違反)という性格が強く、ルール違反に対する非難の内容も、「なぜみんなが決めたルールに従わないのか」という点が強調されますが、人も車も増えてくると、このルールを無視することが人の生命身体、財産などに直接重大な危険性を及ぼす行為になり、非難の内容も「なぜそのような危険な行為をしたのか」というように変化していき、ルール違反が他者の行動に重大な影響を与える犯罪としての実体をもつにいたる場合もあります。

■自然犯と法定犯

 ところで、刑法を中心に、さまざまな法律の中には無数の犯罪がありますが、それらについてざっくりと「自然犯」と「法定犯」といった区別がなされることがあります。

 自然犯とは、時代や文化、習俗にかかわらず、どこの国でも犯罪とされているもので、たとえば殺人や窃盗、詐欺、レイプなどがその典型例です。これらの犯罪は人としての根本倫理に反する最悪の反社会的行為であって、刑罰の種類と程度はもちろん国によって異なりますが、古今東西、犯罪ではないとしている国はありません。

 法定犯というのは、本来は道徳的には無色中性的な行為ですが、国家が秩序を維持する必要から違法行為と定め、その違反に罰則を設けた行為です。多くは行政法(行政の組織や作用などについて定める法規の全体)や経済法(経済政策や企業政策、消費者保護を定める法規の全体)などの分野に見られます。たとえば、車の左側通行も法律(約束)によって決められたのですが、最初に左右どちらにするかは恣意的といってもよい決定です。右であろうと左であろうと、どちらが道徳的だということはありません。たまたま日本は車が左側を走るように「決めた」わけです(世界のほとんどの国は右側通行です)。

 刑法ではもともと罪刑法定主義(法律があって初めて犯罪も刑罰も存在する)が支配していますので、すべての犯罪は法律の制定によって犯罪化されたものです。しかし、そこにはもともと犯罪としての実体が濃い行為の犯罪化もあれば、薄い行為の犯罪化もあり、またストーカー規制法のように、行為の害悪性危険性が悲惨な事件をきっかけに社会で新たに問題になり、法制定につながっていくような犯罪化もあります。

 さらに、その行為に含まれる害悪性にも種類の異なるものがあって、他人の生命身体に対する危険性という意味の場合もあれば、秩序を乱すおそれという意味の場合もあるし、経済的な混乱を引き起こすおそれという意味の場合など、さまざまなものがあります。

 自然犯と法定犯の区別は明確で絶対的なものではありませんが、犯罪化の微妙な違いを考えるうえで便利な区別だといえます。

■大麻使用の犯罪化

 さて、大麻の問題です。

 繊維の原料や食料として、日本人とは二千年以上の付き合いがある大麻。それまで誰もが違法だと思いもしなかった大麻の栽培や所持が、突然といってもよいような経緯で犯罪化されたのが1948年。まさに法定犯の典型です。

 この大麻栽培や所持などの犯罪化と、たとえば車の右側通行の犯罪化には、明らかな違いがあります。

 上で述べたように、車の左側通行の義務化は、最初は恣意的ともいえる立法ですが、時間の経過とともに違反行為(右側通行)が人の生命や身体に対する重大な危険性を帯びるようになり、法定犯が犯罪としての実体を備えていく場合です。これは、法定犯の自然犯化あるいは(現実の危険性が問題になるという意味で)法定犯の実質犯化といわれる現象です。

 ところが大麻の場合はどうでしょう?

 大麻取締法が施行されて70年以上が経ちますが、車の右側通行のように、大麻の所持や栽培の危険性は抽象的なレベルから具体的なレベルへと実体化したのでしょうか。大麻の害悪性(危険性)をどのような意味で理解するか、あるいはそれをどう評価するかについて激しい議論がありますが、いまだにそのような議論がなされることじたい車の右側通行と比べて犯罪としての性質がかなり違うように思います。

 つまり、法定犯である大麻の自己使用目的栽培や所持という犯罪は、重い刑罰が予定されているわりには、上のような意味で自然犯化(実質犯化)が生じない犯罪ではないかと思うのです。だから、かりに大麻使用が犯罪化されたとしても、大麻使用罪はずっと「みんなで禁止と決めたのに、なぜ守れないのか」という遵法精神のなさを強調して非難され続ける犯罪となるのではないかと思うのです。これで強い社会的制裁と重い処罰を受け、前科という烙印を押されてしまうというのは、どうなんでしょうか。(了)

 ◎次の拙稿も参照していただけると幸いです。

甲南大学名誉教授、弁護士

1952年生まれ。甲南大学名誉教授、弁護士、元甲南大学法科大学院教授、元関西大学法学部教授。専門は刑事法。ネットワーク犯罪、児童ポルノ規制、薬物規制などを研究。主著に『情報社会と刑法』(2011年成文堂、単著)、『改正児童ポルノ禁止法を考える』(2014年日本評論社、共編著)、『エロスと「わいせつ」のあいだ』(2016年朝日新書、共著)など。Yahoo!ニュース個人「10周年オーサースピリット賞」受賞。趣味は、囲碁とジャズ。(note → https://note.com/sonodahisashi) 【座右の銘】法学は、物言わぬテミス(正義の女神)に言葉を与ふる作業なり。

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