Yahoo!ニュース

同意していない実の娘に性交を強制した父親はなぜ無罪になったのか―準強制性交無罪判決について―

園田寿甲南大学名誉教授、弁護士
性暴力と性暴力無罪判決に抗議 東京駅前で「スタンディング」開催(写真:Duits/アフロ)

■はじめに

 すでにマスコミ等で大きく報道されていますが、平成31年3月26日の名古屋地裁岡崎支部判決は、父親が19歳の実の娘に対して行った準強制性交行為について、「娘の同意は存在せず、極めて受け入れがたい性的虐待に当た」るが、(準強制性交等罪の要件である)「抗拒不能だったとはいえない」として、無罪としました。

 被告人の行為は「鬼畜の仕業」というに等しい行為ですが、無罪とした裁判所の論理に社会は驚きをもって反応しました。性犯罪に関する判決で、これほど世間の注目を浴び、社会の強い拒絶反応を引き起こした判決もそんなに多くはないと思います。3月には、他にも何件かの性犯罪事件の無罪判決が相次いでおり、これらを受けて、5月13日には性被害当事者を中心とした団体が、法務省と最高裁に刑法やその運用の見直しなどを求める要望書を提出しました。

「2020年に刑法見直しの実現を」 続く無罪判決を受け、法務大臣に要望書提出

 平成29年に刑法典の性犯罪規定について大きな改正があり、性犯罪の罪質そのものが、被害者の性的自由を重視する考え方から、被害者の性的尊厳や性的不可侵性に重きを置こうとする方向に変わろうとしている中、この判決についてどのような問題が見られるのかを検討したいと思います。

■岡崎支部判決の内容

 判決についてはすでにネットでも公にされていますが、その事実と判断は次のようなものでした。

 被告人は、被害者A(実娘)が中学2年生の頃からAに対して性交等を行うようになり、それはAが高校を卒業するまでの間、週に1~2回の頻度で行われていた。Aは抵抗していたが、被告人を制止するには至らず、むしろ専門学校入学前からは性交の回数が週に3~4回程度になっていた。そのような中で、被告人がAに対して行った、平成28年8月と同年9月の2回のそれぞれ別の場所で行った性交が準強制性交等罪(刑法178条2項)に該当するとして起訴された。

  • 刑法178条2項 人の心神喪失若しくは抗拒不能に乗じ、又は心神を喪失させ、若しくは抗拒不能にさせて、性交等をした者は、前条の例による。(法定刑は、5年以上の有期懲役)

 以上のような事実に対して名古屋地裁岡崎支部は、以下のような理由から、無罪を言い渡しました。

 「本件各性交に関していずれもAの同意は存在せず、また、本件各性交がAにとって極めて受け入れ難い性的虐待に当たるとしても、これに際し、Aが抗拒不能の状態にあったと認定するには疑いが残る」。

 刑法178条2項の定める抗拒不能には、「身体的抗拒不能と心理的抗拒不能とがあるところ、このうち心理的抗拒不能とは、行為者と相手方との関係性や性交の際の状況等を総合的に考慮し、相手方において、性交を拒否するなど、性交を承諾・認容する以外の行為を期待することが著しく困難な心理状態にあると認められる場合を指すものと解され」、心理的抗拒不能状態にまで至っていることに合理的な疑いが残る場合は、同罪の成立を認めることはできない。

 「本件各性交当時におけるAの心理状態は、例えば、性交に応じなければ生命・身体等に重大な危害を加えられるおそれがあるという恐怖心から抵抗することができなかったような場合や、相手方の言葉を全面的に信じこれに盲従(原文ママ)する状況にあったことから性交に応じるほかには選択肢が一切ないと思い込まされていたような場合などの心理的抗拒不能の場合とは異なり、抗拒不能の状態にまで至っていたと断定するには、なお合理的な疑いが残る」。(太字は筆者)

*判決文については、次を参照のこと。

江川紹子:裁判所はなぜ、娘に性的虐待を続けていた父親を無罪としたのか

前田雅英:刑法178条2項の「心理的抗拒不能」の意義~名古屋地裁岡崎支部平成31年3月26日判決 準強制性交等被告事件~

■「抗拒不能」とは?

 準強制性交等罪(刑法178条)とは、物理的あるいは心理的な方法で被害者の抵抗を封じるか、少なくとも抵抗が困難な状態にして、性交等を行ったり、そのような状態にある被害者に対して性交等を行ったりすることを処罰する規定です。刑法は被害者のそのような状態を「抗拒不能」という言葉で表現しています。典型的な例としては、睡眠薬やアルコールを飲ませて意識を失わせて性交等を行う場合です。

 問題となるのは、抗拒不能の程度です。とくに心理的な抗拒不能の程度が問題になりますが、過去の判例では、心理的に拒否の意思表示がまったくできないような状況でなくてもよいとされています。これは、一般の強制性交等罪(刑法177条)では、性交の手段として暴行や脅迫が要件となっていますが、これは被害者の抵抗を完全に封じてしまうほどの強いものでなくてもよく、抵抗が著しく困難な程度であればよいと解されており、準強制性交等罪でもこれと同じように解釈されています。

 具体的には、次のようなケースに刑法178条が適用されてきました。

  • 教会の信者であった少女に対し、被告人の指示に従わなければ地獄に堕ちて永遠に苦しみ続ける旨説教して姦淫した事案(京都地裁平成18年2月21日判決)
  • 性交しなければ病気を治療できない等とだまされた被害者が、それを医療行為であると誤信したのに乗じて姦淫した事案(名古屋地裁昭和55年7月28日判決)
  • 就職斡旋のための身体検査を装って14歳の少女を姦淫した事案(東京高裁昭和31年9月17日判決)
  • プロダクション経営者が、女子学生らにモデルになるためには必要であると言って全裸にさせて写真撮影するなどした事案(東京高裁昭和56年1月27日判決)
  • 被害者が姦淫行為を拒めばその身近な者に危難が生じると誤信させて姦淫した事案(東京高裁平成11年9月27日判決)
  • 女子高生に対し英語の個人レッスンをリラックスして受けるためであるとして下着を脱いで着替えさせ、わいせつ行為に及んだ事案(東京高裁平成15年9月29日判決)

 以上のような過去の裁判例を見ますと、裁判所が考えている「(心理的な)抗拒不能」の程度は、それほど高いものとはいえないように思え、岡崎支部判決はそれらに比べるとかなり厳しい解釈をとったのではないかとの疑問を禁じえません。

 この点は、次の類似のケースである最高裁(第一小法廷)平成28年1月14日の事案と比べるとよりはっきりすると思います。この事件では、第一審は被害者が「抗拒不能」状態にあることを否定しましたが、控訴審では肯定し(ただし、故意がなかったとして無罪)、最高裁も控訴審の判断を支持しました。

■最高裁(第一小法廷)平成28年1月14日の事案

 これは、被告人が、自ら主催するゴルフ教室の生徒である被害者(当時18歳)を、ゴルフ指導の一環との口実でホテルの一室に連れ込み、恩師として信頼していた被告人の言動に強い衝撃を受けて極度に畏怖・困惑し、思考が混乱している状態の被害者を姦淫したとする事案です(本件は、岡崎支部の事案と被害者の年齢がほぼ同じであり、被告人と被害者の関係[師弟関係と親子関係]も類似しており、さらに被害者本人は性交に同意していなかったという点において類似しています)。

 第一審(鹿児島地裁平成26年3月27日)は、被害者が被告人との性交を拒否しなかった原因としては、信頼していた被告人から突然性交を持ちかけられたことによる精神的混乱に陥っていた可能性があるが、その程度は「抗拒不能」に陥るほどではなく、自分から主体的な行動を起こさなかった可能性を排斥できず、被害者が「抗拒不能」状態であったことの合理的な疑いを超える証明はできていないとして無罪を言い渡しました。

 第二審(福岡高裁平成26年12月11日)は、「被害者において、不承不承であれ、被告人との性交に応じてもよいという心情にあったことをうかがわせる事情は全く見当たらず」、被害者は「逃げようのない深刻な状況に直面したわけであって、被害者が、信頼していた被告人から裏切られて、精神的に大きな混乱を来していたことは優に認められる」。また、「具体的な拒絶の意思表明をしなかったのも、このような精神的な混乱のためにそれらができなかったものと考えられ、被害者は、強度の精神的混乱から、被告人に対して拒絶の意思を示したり、抵抗したりすることが著しく困難であったことは、明らかである。」として、当時被害者が「(心理的に)抗拒不能」の状態にあったことを認めました(ただし、被告人は被害者が「抗拒不能」の状態にあるとは認識しておらず、被害者が性交に同意していたと錯誤していたために、準強制性交の故意はなかったとして、無罪の結論は維持しました)。

 そして、最高裁も福岡高裁の判断を支持し、上告を棄却しました(無罪が確定)。

■まとめ

 岡崎支部は、被害者が被告人との性交に同意していなかったことは認めており、さらに抵抗が困難な状態にあったことも肯定しています。そして、裁判では、被告人による性的虐待等が積み重なった結果、心理的に抵抗できない状況が作出され抗拒不能の状態にあたるとした、精神科医の鑑定意見も出されました。

 しかし、岡崎支部は、被害者の心理状態は、「被告人との性交を承諾・認容する以外の行為を期待することが著しく困難な程度」とは認められないと判断しました。準強制性交罪が成立するには、〈被害者の人格を完全に支配し、全面的に服従せざるを得ないような強い支配従属関係〉が必要だというのが岡崎支部の「(心理的)抗拒不能」についての理解です。しかし、これは最高裁が控訴審の「抗拒不能」との判断を支持したケースと比較すると、「(心理的)抗拒不能」の程度としては、かなり高いものであるといえるでしょう。

 岡崎支部の事案が最高裁の事案と比較してより深刻な点は、被害者が中学2年生の頃から週に何回か性交を継続的に挑まれ、それが数年間続いていることです。被害者の精神的・肉体的苦痛は、想像を絶するものだったでしょう。本件の被害者が「(心理的)抗拒不能」の状態になかったとする岡崎支部の判断は、精神科医の鑑定書を持ち出すまでもなく、理解が困難です。被害者は、長期間に渡る父親からの性的虐待を受けて、被告人に対する抵抗の意思・意欲を奪われた状態にあったといえ、被告人に精神的に強く支配された状態で本件性交が行われたと思います。確かに、「抗拒不能」は、最終的には裁判官がみずからの経験則に基づいて判断する法的な概念ですが、岡崎支部の裁判官が依拠する経験則は、多くの人びとによって共有されているものとはズレているように思わざるをえません。

 なお、最高裁の事案では被告人の故意が否定されて無罪になったわけですが、本件では性的虐待が長期間に渡って行われており、それが被害者の意に反するものであることは、性交を拒んだ際に被告人が暴力を振るったこともあったことから、被告人は重々承知していたと断定できます。(了)

【次の拙稿も合わせてお読みいただければ幸いです。】

泥酔した女性が性行為に同意していると誤信したら無罪か

同意の問題を性犯罪の中心で議論すべきではない―伊藤詩織さんのケースについての一つの見方―

新しい性犯罪規定(7月13日施行)の概要

「処女ですか?」と聞く捜査官にレイプ被害を相談できますか?

【補訂】

 本文中に判決文について一部私の勘違いがありましたので、訂正しました。ご指摘いただいた方に感謝いたします。

【追記】

 論旨をより明確にするために、本文の表現を若干変更しました。(20190517)

甲南大学名誉教授、弁護士

1952年生まれ。甲南大学名誉教授、弁護士、元甲南大学法科大学院教授、元関西大学法学部教授。専門は刑事法。ネットワーク犯罪、児童ポルノ規制、薬物規制などを研究。主著に『情報社会と刑法』(2011年成文堂、単著)、『改正児童ポルノ禁止法を考える』(2014年日本評論社、共編著)、『エロスと「わいせつ」のあいだ』(2016年朝日新書、共著)など。Yahoo!ニュース個人「10周年オーサースピリット賞」受賞。趣味は、囲碁とジャズ。(note → https://note.com/sonodahisashi) 【座右の銘】法学は、物言わぬテミス(正義の女神)に言葉を与ふる作業なり。

園田寿の最近の記事