「予想以上に手強い相手だよ」

 コーナーに引き返してきたビリー・コリンズ・ジュニアはトレーナーである実父に言った。

 この時点でのコリンズの戦績は、14戦全勝11KO。21歳のアイリッシュ系アメリカンは、将来を嘱望されていた。アイリッシュ移民の血を引き、テネシー州の労働者階級の家庭で育ったコリンズは、父の指導の下、順調に歩を進めていた。

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 1983年6月16日、ニューヨーク、マディソン・スクエア・ガーデン。この日のメインイベントは、3階級制覇を狙うロベルト・デュランがWBAジュニアミドル(現スーパーウエルター)級チャンピオン、デビー・ムーアに挑むこととなっていた。

ライト、ウエルター、ジュニアミドル、ミドルと4階級を制したパナマの「石の拳」ロベルト・デュラン
ライト、ウエルター、ジュニアミドル、ミドルと4階級を制したパナマの「石の拳」ロベルト・デュラン写真:ロイター/アフロ

 プロモーターであるボブ・アラムには、近く、コリンズを同タイトルに挑戦させる気持ちがあった。アラムはコリンズの相手に、19勝(8KO)7敗3分けの無難なプエルトリカン、ルイス・レストを選び、前座に出場させた。

80年代の中量級、デラホーヤ、メイウェザー・ジュニア、パッキャオなどをプロモートしたボブ・アラム
80年代の中量級、デラホーヤ、メイウェザー・ジュニア、パッキャオなどをプロモートしたボブ・アラム写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ

 しかし、ラウンドを重ねるにつれ、コリンズはレストにお株を奪われ、両目を腫れ上がらせていく。満員に膨れ上がったマディソン・スクエア・ガーデンのファンは、思わぬ善戦を見せるプエルトリカンに声援を送った。

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 結局、コリンズは0-3の判定負けで初黒星を喫する。だが、腫れ具合と深刻なダメージ、そしてレストのグローブの薄さが問題視される。判定が読み上げられた直後、コリンズの父は、レストのグローブを自身の両手で触り、「おかしい。コミッションに確認させろ!」と発言した。

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 その日の夜からニューヨーク州アスレティックコミッションが、調査を始める。レストが使用したグローブを紐解いてみると、ナックル部分の綿が抜き取られて、およそ半分の薄さになっていたことが判明した。試合は急遽、ノーコンテストとなる。

 翌月からコリンズとその家族は、ボブ・アラムが代表であるプロモート会社、トップランク、ニューヨーク州アスレティックコミッション、また、グローブメーカーのエバーラスト等を含めた関係者を相手に法廷闘争を展開。やがて、レストのトレーナーを務めていたパナマ・ルイスには禁固6年、レストには同3年の実刑判決が下る。

 因みにパナマ・ルイスという人物は、1982年11月12日に行われたWBAジュニアウエルター(現スーパーライト)級タイトルマッチ、アーロン・プライアーvs.アレクシス・アルゲリョ戦時にも、ペパーミント・シュナップスを水に混ぜてプライアーに飲ませた、いわくつきのトレーナーだ。

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 コリンズは、このファイトで目を傷め、2度とリングに上がれない体となった。その後、酒とドラッグに溺れ、1984年3月6日に自動車事故で他界する。享年22。遺族によれば、ボクシングを奪われてから自殺を試みたこともあったという。

 レストは出所後、15年以上の月日を掛けて、トレーナーライセンスを取得。パナマ・ルイスはボクシング界から永久追放となったが、フロリダに移住し、公の舞台には立たないものの若手を育成している。

 7月は、39年前にコリンズ家が訴訟をスタートさせた月だ。この狂ったような暑さの中で、両目の視界を失いながら戦った21歳のファイターの姿が蘇った。