Yahoo!ニュース

ブラジルの名門チーム、グレミオの米国での活動

林壮一ノンフィクションライター
グレミオ・サンディエゴの代表&監督であるアンドレ・カンズ・サナ  撮影:筆者

 昨年末、ブラジルの名門クラブ、グレミオが同国リーグの2部に降格した。

 レナト・ガウショ監督率いるグレミオが、2017年にリベルタドーレス杯を制した姿は記憶に新しい。この優勝はグレミオにとって、リベルタドーレス杯における3度目のVであった。

「猛牛」と呼ばれた現役時代のレナト
「猛牛」と呼ばれた現役時代のレナト写真:山田真市/アフロ

 1983年のトヨタカップにグレミオのスターとして来日し、ハンブルガーSVから2得点を奪って自チームの勝利に貢献すると共に、MVPを獲得したレナトに胸を焦がした日本人ファンも多いだろう。現在では考えられない禿芝の国立競技場のピッチで、セレソンにも選ばれていた背番号7のレナトは躍動した。

レナトは背番号7の右ウイングだった
レナトは背番号7の右ウイングだった写真:アフロスポーツ

 そのレナトが監督となり、グレミオを率いて2017年に結果を出した姿に、オールドファンは溜飲を下げた。

3度、グレミオの監督を務めたレナト
3度、グレミオの監督を務めたレナト写真:ロイター/アフロ

 レナトが2021年にグレミオを去ったことが響いたのか、昨季の最終節で降格が決定。2部に落ちるのは、1991年、2004年に続き、クラブ史上3度目である。

 「本当に哀しかった。でも、再建されることを信じている。僕には生まれる前からグレミオの血が流れているんだ。母方の曽祖父である1897年9月3日生まれのジュリオ・カンズが、グレミオのGKだったからね。セレソンでも20試合以上プレーしているそうだ」

 そう語るのは、アンドレ・カンズ・サナ。米国で4部リーグにあたるUnited Premier Soccer League(UPSL)に属するグレミオ・サンディエゴのオーナーであり、監督も務める40歳だ。

サナの曾祖父のキャリアを物語るアルバム 撮影:筆者
サナの曾祖父のキャリアを物語るアルバム 撮影:筆者

 「当然のことながら、我が家は代々、グレミオの大ファン。祖父は軍人で、父はエンジニア、母は心理学者という家庭だった。僕自身もグレミオのあるポルト・アレグレで生まれ育った。トヨタカップでグレミオが勝ったのは2歳の時だよ。

 4歳でフットサルを始めて、グレミオの下部組織であるアカデミーでプレーした。17歳の頃、ブラジル国内で4部のSão José Esporte Clubeとプロ契約を結んだ。その後、2002年から2005年まではスペインの2部、Racing de Ferrolでプレーし、翌シーズンはOrillamar Sociedad Deportivaに移籍して現役生活を終えたんだ」

グレミオ・サンディエゴのユニフォームも、本家と同じデザイン 撮影:筆者
グレミオ・サンディエゴのユニフォームも、本家と同じデザイン 撮影:筆者

 2007年、母国に戻ったサナは、大学(Faculdade de Tecnologia Tecbrasil)でインターナショナルビジネスを学び、卒業後に米国、カリフォルニア州サンディエゴに移り住んだ。

 「英語を学びながら、アメリカ合衆国でコーチライセンスを習得した。ブラジルと違って、この国のプロリーグは入れ替え戦が無いよね。だから、仮に連戦連敗のチームでも資金力でトップリーグに居続けられる。その点に、違和感を覚えるな。また、テクニックよりもフィジカルを重視したサッカーだね。

 この国の若者をもっともっと伸ばし、アメリカのサッカーが発展したらいいと考えて、グレミオ・サンディエゴを立ち上げた。もちろん、本家のグレミオとじっくり話し合ってだよ。2018年にチームを創設し、UPSLに加盟した。毎年トライアウトをして、可能性のある子と契約する。夏にはブラジルのグレミオ本部に遠征し、チャンスのある子はブラジルやスペインのチームと契約させるように働きかけている」

「チャレンジこそが自分の人生」と話すアンドレ・カンズ・サナ 撮影:筆者
「チャレンジこそが自分の人生」と話すアンドレ・カンズ・サナ 撮影:筆者

 「今季はU23のカテゴリーも増設して18歳から22歳の若者、そしてTOPチームをを指導しながら共に闘っているけれど、日々感じているのは2つの点。まず、選手というのは、右足も左足も使えるようにしなきゃいけないってこと。そして、この年代はどこのポジションもこなせるようにしてほしい。世界は広い。どんな国でプレーしようが、監督の要求は十人十色。生き残っていくには、柔軟に複数のポジションをこなせた方がいいんだ。

 グレミオのメソッドに、僕が経験したスペインのサッカーを加えて、アメリカ人選手の可能性を広げたいと思っている。22歳になってしまうと、花が咲くチャンスはかなり狭まる。伸ばせるうちに、最大限まで各々の能力を発揮させたい」

サナは、グレミオ・メソッドをいかに米国で伝えていくか
サナは、グレミオ・メソッドをいかに米国で伝えていくか写真:ロイター/アフロ

 プロサッカー選手、引退後は大学に進学、そして米国に移住と、サナの人生は常に「挑戦」だ。彼がサンディエゴで、どんな仕事をやってのけるか。期待を込めて見届けたい。

ノンフィクションライター

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

林壮一の最近の記事